哲学日記

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zoom RSS モツニ、主治医との会話(その3)

<<   作成日時 : 2006/07/08 21:03   >>

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1月11日(水)
(モツニ)もう、断末魔に近いや・・本当に・・今日明日って感じだよね、限りなく・・明日もつか、もたないか?・・自分としては生きた心地がしてないよ。だって一つ一つ動作が命がけなんだもの・・自分の体を自分で起こせないんだよ。こんなの最悪じゃないですか?
(瑞光)若いから癌の進行が早いんだよ。
・・・・・・
(モツニ)痛てて・・・
(主治医)痛いですか?
(モツニ)さっきの注射って歯医者の痛み止めと同じで・・・
(主治医)それよりは強いんだけど・・・
(モツニ)時間が来れば消えるじゃないですか。
(主治医)どの注射でも、筋肉注射は途中で切れてきます。静脈注射に変えましょう。
(モツニ)起こしてくれますか?
(主治医)体を動かすとお腹の膜が動いて出血したり、穴が大きくなる可能性があります。
(モツニ)この体勢じゃないといけないの?
(主治医)楽な体勢で居てもらえればいいんだけど。
・・・・・・
(モツニ)お願いはね、できるだけ不愉快な思いをしないで確実にあっちの世界に行きたい・・
(主治医)それが私の仕事だと思ってます。
(モツニ)ある意味で自殺なんだけど、自殺とは思っていません。
(主治医)はい。自殺とは違うと思いますよ。
(モツニ)自分でも、本当に、明日はないというイメージになってしまいました。
・・・・・・
(モツニ)今週が勝負だな、あの・・身辺整理。もう来週になるとほとんど身辺整理らしいのはできなくなると思う。だから一月は無理だろうな。一月何日かに、たぶん死ぬよ。
(瑞光)・・・・・・
(モツニ)3週間、持ちそうにないよ。自分で解るもん・・

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コメント(28件)

内 容 ニックネーム/日時
☆いい医者ですね☆
医者は「患者の苦痛を緩和させる者」という事が、解っておられる。
Qちゃん
2006/07/09 06:27
医者の仕事は何か? 病人を助ける事ですが、それと同じ位に重要な仕事に、助からない病人を楽に逝かせる事があると思います。肉体の痛みをなくすか和らげる事と、死への恐怖から救う事ではないでしょうか。後者の仕事を医者に求めるのは、多くの医者に対して要求が大きすぎる様な気がします。肉体的な死は理解していても、死そのものを理解している医者がどの位いらっしゃるのか?。一番のポイントは当事者である患者自身の逝く事への心の準備だと思います。それを担ってきたのが宗教でしょう。モツニは19歳でキリスト教の洗礼を受けクリスチャンとして何年かの教会生活(日曜学校などを通しての布教活動)を送りました。その後、教会を離れ独自の宗教観を持つ様になった様ですが、死への恐怖からは完全に脱却していたと思います。キリスト教でも仏教でもそれぞれの教えを通して各自の人生観を確立できれば死への恐怖はなくなると思います。言い換えれば、死への恐怖を消せない人は宗教人として「いまだみちなかば」と言えるのではないでしょうか?
モツニの弟
2006/07/09 12:13
モツニの主治医は若かったようですが、洞察が深い先生でした。モツニとは相性が良かったようです。
モツニの弟
2006/07/09 12:26
モツニの主治医の言動は完璧でした。が、環境(病院の)の中でという条件が付きます。Bedのままの移動のときに、Doorにぶつけて無用の振動(衝撃、痛み)を与えたり、とか、はありました。3ミリの段差(レールとか窪みとか)でもそれなりの振動の原因となります。
 宗教は嫌いだ、という人がいます。その人は自分教という宗教(哲学、考え、)を持つ宗教人と義圓は考えますので、義圓には宗教人という言葉は持ちあわせていません。という訳で非宗教人という言葉も同じく…です。義圓 拝
モツニ寺
2006/07/10 10:44
施餓鬼とはお盆、イコール棚経の行事、風習だそうです。木蓮(?)モクケンレンという僧が神通カであの世の母を見たところ、想像に反し逆さ吊りされていた。(モクケンレンをかわいがり過ぎた、つまり、他の兄弟にはその分かわいがらなかった罪がある?)それから始まったそうです。
ヒンズー教、儒教、中国、東アジアの風習を仏教が取り入れ(苦渋の決断)たそうです。本来の、純粋の仏教ではないらしいようです。仏教の変質ということか?義圓なんにも知りませんでした。はい
頭の悪い義圓
2006/07/10 11:27
 小次郎くん、な、なんと!あなたも名古屋へ行ったのですね。すご〜い!車に数時間いるんでしょ。信じられませーん(尊敬の意)
あたしなんか、近所に予防接種のため連れて行かれるほんの数分だけで、気絶寸前ですもの。でも初めての場所で、行方不明はちとまずかったわね。皆さんが必死で探された様子が目に浮かびます(これは飼い主ママのコメントよ) 男の子はたまに脱走(放浪)したくなるようだけど、失う親のことも想ってあげてねっ・・・。それにしても留守番ができないからお供したのかなあ??そこいらあたり興味津々だわ。そういえば、ひと昔にうちのママがお世話して里親さんに託した先輩のお名前は「もも」でした。その頃は団地住まいだったので、拾って育てて泣きながら手放していたそうで。
メイ
2006/07/10 20:27
「生きがい発見の心理学」諸富祥彦〜P279〜
 すべての人には、その人だけの「隠れた使命が与えられている。
人は、自分だけに与えられた「ほんとうの人生」=その「見えないシナリオ」を生き、現実化してその使命を果たすために、この世に生まれてきた。その「見えないシナリオ」は、この世界でその人に発見され、実現されるのを「待っている」のだ、と。 なるほど・・・・
M
2006/07/10 21:48
↑同本〜P261
・・・死後、私は、この見えない「いのちの働き」そのものに帰っていくのだ、と想っています。この「いのちの働き」は言葉を変えれば「生命エネルギー」・・「意識」そのもの、「覚醒」それ自体・・「微細なエネルギー」・・「いのちの波」あるいは「ゆらぎ」、気功などでいうところの「気」そのもの、或いは「波動」(量子波動関数)、道教でいう「道」そのもの、般若心経でいう「空」・・華厳経などでいう「一即多」の「一」に当たる何か、・・・「たましい」という言葉をもし使うのならば、わたしは「たましい」をそのようなものと考えているのです。・・これらの言葉は「この世=見える世界」の側から見れば、「無」に等しいけれどその背景にある「見えない世界」の側から見れば「すべて」であり、それこそ「いのちの大本」「万物の大本」であるような「何か」を指し示すために考え出された言葉であるに違いありません。
M
2006/07/10 22:09
↑の続き
私は、死後、「この世=見える世界」での「形」を失い、この「何か」に帰っていく、と思っているのです。「見えない世界」の「いのちの大本」である「意識=エネルギー」そのものになるのだ、と思っているのです。
・・・・・死は、こうして「この世=見える世界」の側に立てば、それこそすべてを失う一大事ですが、「見えない世界」の側に立てば、「あるいのちが、特定の形から脱して、その働きそのものへと純化される」という、ただそれだけのことに他ならないのです。こう書くととかなり安心できるのですが、それでも「この世」の側から見ると、これは、見ることも、考える事も、感じる事も、食べる事も、・・触ることも、そして「これが私だ」と自らを意識する事も、二度と永久にできなくなるということに違いはありません。だから私は死が怖いし、この怖さを意識しながら生きていくことがとても大切だと思うのです。(引用終わり )
 なるほど、わりとすんなり入ってくるようです。この方の文章(思想?)  さて、皆様はいかに・・・。
M
2006/07/10 22:34
人間はどんな有り得ない事(言葉)を発明する、とスマナサーラ長老は言う。「考え出された言葉」があるからといって、その言葉の示す実体があるとは限らないかもしれない。
 「見えない世界」のことを考えたら1000年考えても時間が足りません。
義圓
2006/07/10 22:44
死が怖いとは
 A死後が怖い
 B死の瞬間が怖い
 C死に近ずきつつある時が怖い
のどれだろうか?多分Aのことであろう。
 死後の世界があると考えるにせよ、
 死後の世界がないと考えるにせよ、今(生きているとき)何をやる(やらない)か?が最緊急事だと思います。
 義圓小3の頃眠たまま起きなかったらやだなあ〜(死の恐怖)と思ったことがあります。拝
義圓
2006/07/10 23:16
Q様の小冊子の感想、まだ老師に聞いていません。スミマセン。
 小次郎においしいものを食べさせてあげて!と言って沖縄国際大学教授(大学院教授も)比嘉俊岳師よりお布施をいただきました。義圓より小次郎のほうがエライ!?(「おいしいもの」という言葉は義圓の勝手な追加です)。
 Q様宅でモツニ会がありました。まるで竜宮城での宴会でした。あまりに綺麗ですごいのでゲストの小次郎はビックリしていました。
 汲み上げ湯葉を2人前食べた高谷師は元気がでたようで、控えめな性格なのに9月2日(3日)に1時間以上の講演をしたい、関市の広報に載せろと言いだした。レジュメを希望したところ、それも用意すると名言した。食べ物の陰陽も明らかに示すとのことです。師は英語フランス語ができるのだから外国も行けばいいのに…。師のコメント(Zen、本山について)オーストラリアで放映されています(3年前)。拝
義圓
2006/07/11 00:48
「善友もどき」という言葉は使っておりません。善友かぶりです。これはアルボムッレ スマナサーラ長老より習った言葉です。長老または日本テーラワーダ仏教教会にくわしいことはお尋ねください。私もQ様もお互い気を付けましょうと言ったつもりですが、Q様が私にとって善友もどきだと曲解されたようですね。
 承諾を得ずに猫を勝手に家に入れることが出来るでしょうか?
小次郎は猫ですが、失礼ですが勝手に犬と思い込んでいらしたようですね。
 「報告もない」、、、報告したらさらに睡眠のジャマになるのではないですか?
 Q様の寝室のDoorを開けたのは悪かったですが、そのドアーの向こうにQ様がいらっしゃるとは知るよしもありません。
 「研修」に参加ではなく、研修会の見学だと思いますが?クリスチャン(教会に属していなくとも)に施餓鬼の方法(作法)は不必要だと思いますが?わたしは老師の人柄を見てもらいたかっただけですが?
 裁判官が判断ミスをするのだから、誰がどんな誤解をしても不思議はない。私を悪者にしたいのなら好きなだけ悪く言って下さい。Q様は小次郎を家に入れていいと言いましたけど?


よしだみつひこ
2006/07/11 02:49
モーレツな勢いで頭を回転させても、グルグル同じところを回っているだけで、心をワープさせなければ心(感情も)の平安は期待できません。私は言葉遊び、空想遊び、妄想遊びしているヒマありません。妄想、空想はあります。それが消えたら私はすでに聖者ということですが、私はタダのヒヨコです。はい
義圓
2006/07/11 03:09
モツニ会の会長を今までどうりつずけてもらいたいですね。拝
モツニ寺
2006/07/11 03:13
同情されて満足ですか?同情した人は悪くない。Q様の説明が100%正しいならだれでも同情します。
吉田光彦
2006/07/11 03:26
 午前中「こころを聴く」講座の学びに行って来ました。10回目(2時間、週1、今回は8名での学び)今日が最終でした。ロールプレイで相手の話を聴く役で、見事に失敗・・・「こころを開く質問」でなく逆に「こころを閉じさせてしまう質問」になっていたようです。あ〜あ難しい!!
 でも、そういう目的のために、集まる場所というのは、終始安心して居られる、嬉しい場所だとつくづく感じました。普段の会話とのあまりの違いに「やはり学び続けるしかないな」と再確認。今朝上記のコメントを読んで、大変心が痛み、いろいろ想いながら出かけたのです・・・。言葉の行き違いや、小次郎君関連での思い違いが重なって・・という感じですか?詳しい事を知らないので。でも修復の道はありますよね。人の言葉は時として思いがけなくコミュニケーションを阻んでしまいます。あとで本人もびっくり!するように全く違って受け取られていたり・・・。信頼する大切な相手と、そうなる事は辛いです。祈っています。
M
2006/07/11 15:56
 
今日の講座で配布されたプリントから〜(講師のまとめた文)
 「傾聴の態度と姿勢」
 ・私はあなたの全存在と人格に深い関心を持っています。
 ・わたしは、あなたがいま抱えている問題に積極的に取り組み、必ず自  分なりの解決方法を見つけ出すと信じています。
 ・私は、特にあなたの内面の世界や内面の流れにそのまま触れたいと思  っています。私はあなたがどんな事を表明しようとも、私の価値観や  社会的な一般常識でよしあしの判断をしようとは考えていません。
 ・あなたの説明する事が、どうしても私に受け入れられないときなは正  直に伝えたいと思っていますが、そういった時でも、あなたの表明し  た事を無理に変えようとは思いません。むしろそのことはあなたに
  とってとても大事な意味があると感じています。
 ・私と一緒に居る限り、あなた自身が思う存分あなたの内面に関心を向  けていられることを願っています。 
M
2006/07/11 16:16
↑変な間ができてしまいスミマセン。
その人が出す言葉、の後ろにあるその人の気持ちに焦点をあてて聴き、こころに寄り添う・・・。普段はともかく、いざというときにこの「カウンセリングマインド」で少しでも聴けたら、人間関係は変わっていきそうだけどな・・・。ひとつの同じ言葉でも、それを使うその人と私とでは、まるで違う言葉になっていることさえあるんですよね、これがまたややこしい事で。
M
2006/07/11 16:29
   「平和の祈り」 
  主よ、私を平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を
  争いのあるところにゆるしを
  分裂には一致を
  疑いのあるところに信仰を
  誤りがあるところに真理を
  望みなきところには、希望を
  暗きには、光をもたらす者としてください。  
  主よ、慰められるよりも
  人々を慰める者にしてください。
  理解されることよりも
  理解する者に。
  愛されることよりも
  人々を愛する者とならせてください。
  それは、私たちが、みずからあたえることにより受け
  ゆるすことによってゆるされ・・・・・
  
M
2006/07/11 16:40
☆義圓和尚様☆
正直、真夜中、「こじろ〜」「こじろ〜」と声を低めて、1階から3階まで、お坊様が徘徊されるのはどうかと。又、ノックされて、返事してないのに部屋開けるのは、迷惑。ワタシャ、自分の体に「般若心経」書こうと思ったぞ。M様の様な、投稿なら、此方も、投稿しようと思いますが、人の批判で、返ってくるのは、批判しか、ありませんよ。(この文がいい例)
Q拝
Qちゃん
2006/07/11 21:54
<コメントありがとう>というようなコメントをQ様はされていました。モツニ会の会長としての仕事をされていました。ほんとはその時お礼を言うべきでしたが、、吉田ファミリー側からはお礼は言っていないと思います。
 善友かぶり、は何ヶ月にも渡ってパティパダーに連載されたものなので義圓の2行に満たないメールで理解してもらうことは、とうてい不可能ですね。<パティパダーはテーラワーダの月刊誌です> 
 <迷惑>、、、ゴキブリさんから見ると人間に殺虫剤をかけられるのは迷惑です。
 地球さんから見ると地球に1番迷惑をかけているのは人間です。
 大腸菌さんから見るとせっかくボクたちがプールや風呂(温泉)で人間を攻撃するレジオネラ菌をやっつけてあげているのにバカな人間達はボクらを殺すため塩素を沢山いれている。<ボク達に迷惑なことするな!>
 自分がうけた迷惑は<迷惑だ迷惑だ>と言って大騒ぎする。拝
吉田光彦
2006/07/12 04:58
ボク達が全滅したらレジオネラ菌が人間を殺すことになりますよ。塩素はほどほどにおねがいします。はい。
大腸菌
2006/07/12 05:10
私を嫌っている人びとも幸せでありますように
私を        の悩み苦しみがなくなりますように
私を        の願い事が叶えられますように
私を        にも悟りの光が現れますように
義圓
2006/07/12 05:27
仏教の基本は無常です。つまり常に変化する、です。今日のQ様と5日前のQ様は別人とみます。だから何も怒る理由(必要)はありません。
ただ薬の影響は感じます。心神耗弱状態であったと推測されます。
タバコもアルコールも薬だと思います。
薬の効き目は2種類です。作用(いい効き目)
           反作用(悪いききめ)あります。拝
吉田義圓
2006/07/12 05:48
☆モツニの弟様☆
なにを言っているのか解ら〜ん。
☆M様☆
ここの今の状況では、会話出来ない様です。洛南院のブログ(出来てマダ一月位ですが)紹介します。義圓様もよかったらどうぞ。
http://yaplog.jp/gabriel0835
Q拝
Qちゃん
2006/07/12 06:24
 猫騒動、その場に居なかったので事件そのものについてのコメントはできません。何かが起きた時はそれなりの事情と言い分が双方にあるものです。それは当事者しか分からない事が多いようです。言ったとか言わなかったとかの話はお互いの認識の違いから来る様な気がします。「こういう風に言えば分かってもらえるだろう」は相手に分かって貰えないことが多いです。こんなことは「常識」が人によって違うのです。その違いがあるからこそ、世の中は面白いと思います。そこから話し合いが始まるのです。相手の言う事を聞き、それを理解して自分とは違うと認識し、そして相手を認めるという事が大人の付き合いではないでしょうか?相手の意見や生き方が自分のとはなじまない場合は会釈はするけど会話はしないのも大人の付き合い。人間がみんな同じ価値観を持って、同じ趣味を持って、同じ顔つきだったらどうでしょうか? 自分とは違う他人の生き方や考え方に教えられたり感動したり、これが生きていて良かったと思える事だと感じています。そういう感動が多いほど豊かな人生だと思います。 これからの行方は「神のみぞ知る」・・・
モツニの弟
2006/07/13 00:25
赤色で書かれたニックネーム。クリックすると他のブログに行きます。そこにはこのコメントには書き込めなかった事や、より詳しい解説、関連する事柄が書かれているものと期待します。そうでない時にはリンクを張る必要はないような気がします。人のブログを見に行くのは新しい話題や意見や「何か」を探す為だと思います。多くの人に「何か」を残せるブログがリンクされる事を願っております。
モツニの弟
2006/07/13 00:44

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モツニ、主治医との会話(その3) 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
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