哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《世界認識》

<<   作成日時 : 2005/12/08 09:37   >>

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五 世界認識

 邊りは限りなくブルーに近い淡い緑の光線で蔽われていた…

 《新藤君》は頻りに何か訴えている…。彼の周辺には《心理学者》、《精神分析学者》、《精神病理学者》たちだけでなく、《牧師》、《ラビ》、《哲学者》、《芸術家》なども見受けられるが、彼等は凝っと新藤君を見守っているだけである……

 やがて《心理学者》が怒ったような口ぶりでこう切り出した。
「《分析だ!》、もっと《分析だ!》、より科学的に、より客観的に、《心理分析》するのだ!………」

 その横で、《精神分析家》たちが喚いている…
「その《理論》は通用しない! 駄目だ! その《理論》では駄目だ! ………」

 すると《精神病理学者》が出てきて静かにこう呟いた……
「もう《分析》はいらない! 《理論》もいらない! それはわかっている。それより、《薬物だ!》………」

 《新藤君》は相変わらず激しく罵っている……

 〈誠一は《新藤くん》が神に愛されていることを知っていた……〉

 《牧師》は憤りと怒りに満ちていた。彼はこころの中でこう思っていた……
〈何故このような汚すべき《ことば》が許されているのか? これは《冒涜だ!》、《憎むべきことだ!》、きゃつは完全に気が狂っている! ……〉

《ラビ》は黙っていた……。

《哲学者》も黙っていた……。

しかし、《新藤君》は吠えるように人々を罵っていた……
「《インチキだ!》、《インチキだ!》、そのような治療はすべて《インチキだ!》……」

するとひとりの《芸術家》がそっと《新藤君》に近寄り、何か入れ知恵するように耳打ちした。
「いいんだ! いいんだ! もうそれでいいだろう!」 ……

            ………………

 やがて気づいてみると偉大な《芸術家》は《新藤君》を自分の画廊に招いていた……
邊りには誰もいない。《菩提樹》、《桔梗》、《トネリコ》、《桜》、《楓》、《樅》など大小の樹々が欝蒼としている森の中、邸の中央にあるアトリエで《画家》と《新藤君》は並んで静かに話し合っていた……

 大小様々なキャンバスを一つひとつゆっくり眺めなら二人は歩いている……

「これは何だか判るかね」と《芸術家》は訊ねた。
「《牛》みたいですね」と《新藤君》は興味深く絵を眺めながら、旧約聖書のある箇所を思い出していた。《芸術家》は彼のこころのなかにある深い思想を《イメージ》で見抜き、こう言った。

「私は《神》の命令でひとびとに《メッセージ》を送ってきた。そう、いま君がやっているようにね…」と。そして、そのあと《芸術家》は友達のようにやさしく、こう続けた。
「しかし、彼等は自分ではわかったつもりでいるが本当のところは何も分かっちゃいない……」

やがて、キャンバスのなかのイメージがぐるぐる廻りながらどんどん大きくなって、誠一の顔を蔽ったと思った途端、誠一の躰全体がどんどんどんどん奈落の底へ緩やかな螺旋を描きながら落ちてゆくのが感じられた……

暫らく誠一はぼうっとしていたが、意識が回復するにつれ聖書のある箇所を思い出した。

〈……「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた……、
   無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
   わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
   わたしが地の基をすえたとき、あなたはどこにいたか。
   もしあなたが知っているなら言え……」

 ……「主は言った、ここまで来てもよい、しかしこれを越えてはならぬ、
    おまえの高波はここにどどまるのだ」………〉

 誠一は夢のなかで自分が精神分裂病になったらどうなるのだろうか…と考えていた…

〈自分自身が分裂病にならない限り、分裂病者の本当の内面世界は絶対に理解することができないのだろうか?〉

〈偉大な芸術家たちは自分たちの分裂病の世界をどのように認識し、どのようにしてあのようにわれわれに示すことができるようになったのだろうか?〉

〈偉大な芸術家たちは自分たちが《どのようにして》あのような作品を生み出したのか私たちには何も教えてはくれない…。しかし、少なくとも彼等が《認識》した彼等の《内面世界》の一端を《作品》というかたちで私たちに伝えてくれる…。偉大な芸術家たちは彼等の極めて内的な世界を独特の《イメージ》や《表象》あるいは《象徴》でわたしたち知らせてくれる。それは、彼等が《天才》であると同時に《分裂病者》であるからなのだ! そう、《超逆説両義性》がなせる技なのだ! 〉

〈偉大な芸術家たちが見た《内面世界》と偉大な分裂病者たちが見た《内面世界》はどうしてあのように共通していることが多いのだろうか? そこには普遍的な独特の内面世界が広がっているのだろうか? 〉

〈偉大な芸術家たち、異常な精神分裂病者たち、そして大部分のわたしたちのような凡人たちは、はたして同じ世界を見ているのだろうか? それとも、全く異なった世界を別々に見ているのだろうか? 〉

〈どうして《世界》というものはひとびとによってこうも《異なって》見えているのだろうか? どうして、同じものが異なって見えているのだろうか? 〉

〈外面世界と《内面世界》とはどのような仕組みで繋がっているのだろうか? そもそも《外面世界》そのものが《随伴現象》なのだろうか? それとも、《内面世界》の現象そのものが《随伴現象》なのだろうか?〉

〈 《言語》と《認識》にはどのような《関係》があるのだろうか? そして、この《関係》がどのようにして自分自身に《関係》してゆくのだろうか? そう、《関係》が《関係》に《関係》する、その《関係》は、どのようにして《関係自身》を《関係》させることができるのだろうか? 〉

〈 《言語》と《狂気》にはどのような《関係》があるのだろうか? 《関係》が《関係》に《関係》する、その《関係》が《自分自身》に《関係》する…ということはとりもなおさず《狂気》そのものではないだろうか? 〉

〈 《認識》はどのようにして《狂気》に変化するのだろうか? 生まれつきの《分裂病者》というものがかつて存在したことがあるだろうか? もしそのような者がいない…とすれば、いったいどのような《契機》によって《認識》が《狂気》に変貌するのだろうか?〉

〈 《狂気》が生み出す《イメージ》は《文学》と《絵画》あるいは《哲学》では顕著であるが、《音楽》では何故はっきりとしていないのだろうか? 《音楽》と《絵画》この二つはどのような《関係》が存在するのだろうか? 《時間》と《空間》だけの《関係》ではなさそうだ! 〉

〈 なぜ《イメージ》は《作品》にまで《昇華》されるのであろうか? 《音楽》しかり、《絵画》しかり、《詩》がそうだ! 《哲学》がそうだ! 《思想》がそうだ! これらはすべて《言語》が絡んでいる! では、《音楽》は《言語》なのか? 《絵画》も《言語》なのか? 《言語》と《イメージ》が深い《関係》にあるのはわかったが、《言語》とはそもそも何なのか? 〉

〈 《作品》とは何か? 《狂気》と《作品》には深い《関係》がある! なぜ、学者は《作品》を生み出せないのだろうか? なぜ、学者は《狂気》からかくも《隔絶》されているのだろうか? ああ、なぜ《学者》は《作品》が生み出せないのだろう? 〉

〈 《天才》と《狂人》に本質的な《違い》があるのだろうか? 《天才》であり、かつ《狂人》である…ということは、同じひとつのことなのであろうか? それとも、《超越超限帰納法的》な意味で《極限》なのだろうか? これは、超越論的な意味で《帰納法的な極限》なのであろうか? それとも、超越論的な意味で《斜影的な極限》なのであろうか?〉

〈何故ある《狂人》は認められ、ある《狂人》は拒否されるのであろうか? 〉

〈そもそも、《狂気》とはどのように世界を認識するのだろうか?〉

〈そもそも、《狂気》とはどのような世界を認識するのだろうか?〉

〈そもそも、《世界》を《認識》する…ということはどういうことなのか?〉

              ……………………


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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について

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関連ブログ:
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■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
■ エキサイト・ブログ
(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
■ ウェブリブログ
(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
■ gooブログ 
(心理学、精神医学;脳科学、神経科学;教育、思想、哲学、その他)



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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
作品のこの部分は20年まえの部分をかなり修正しました。つまり、説明部分をすべて削除し、すべてが”夢”なかでの”幻想”という風なつくりに仕上げ直しました。その理由は、作品そのものの質をある一定のレベルに保つことと、作品の流れに関して”独特”のリズムを与えるためです。つまり、この第一章はすべて”単品”の集まり…ということで統一されているのです。あのジェームス・ジョイスの”ユリシーズ”のスタイルに共通するものを入れました。
モツニ
2005/12/08 09:45
この『異常なる感性』という作品の主人公は”新藤君”であり、誠一は常に脇役なのです。ここで暗示されている芸術家とは言わずと知れた”シャガール”です。このシャガールという天才画家についても”新藤君”はモツニに貴重な手紙を送ってくれています。したがって、やがて作品の別の部分でそのことの詳細に触れるようになります。
モツニ
2005/12/08 09:48
夢の”前半部分”は現代精神医学に対する”アイロニー”あるいは”軽蔑”です。要するに、現代の”精神医学”のレベルでは”精神分裂病”の本質は永久に解明できない…ということの痛烈な批判なのです。また、牧師あるいは宗教関係者は”精神分裂病者”を信仰の対象から完全に除外しているそのことに対する痛烈な批判になっているのです。また、夢の後半部分は、作者が理解できたレベルでの”精神病”に対する”将来”の取り組み…についてのいくつかの示唆を暗示しているのです。
モツニ
2005/12/08 09:54
この辺のところの詳しい関連記事は『信のたわむれ』の第三章と第四章に超限帰納法、超越超限帰納法といったことがらが展開されていますので、それを参考にしてみてください。また、この分野の本格的な分析はエキサイト・ブログでの”意味論的空間トポロジー”およびgooブログでの”精神病理学”の本格的な分析で展開する予定です。ただし、現在はこのウェブリでの作品展開を第一優先順位としているため、エキサイトおよびgooブログでの詳細な展開はまだこれから先のはなしになるわけです。
モツニ
2005/12/08 09:58
この”テーマ”は、分裂病者の”世界認識”ということで『異常なる感性』の第V部で詳しく展開される予定ですが、”分裂病者”についての分析は”人工知能”、”認知科学”、”神経科学”、”意味論的空間トポロジー”といったトータル的な学際的な射程で展開される予定です。
モツニ
2005/12/08 10:41
また、このテーマは”フッサール”の現象学とも関連してきますので、最近の”神経科学”と伝統的な”現象学”の複雑な組み合わせになるとともに、たぶん、精神科学に関連して”超ひも理論”との絡みさえも出て来る可能性は否定できないかも知れません。
モツニ
2005/12/08 10:45
認識論に因んで、”クオリア”といったようなわけのわからない概念が巷で話題を呼んでいるようですが、モツニの洞察ではそのような理論は根本的に全く問題にすらされないようなそのような時代になるかと思うのです。名前をあげて申し訳ないのですが、あの”茂木健一郎”という人物はわたしが知っている範囲でもっとも愚かな学者のひとりになってしまうようなそんな気がします。というのは、彼の”クオリア日記”にそれなりのコメントを入れたのですが、全く返事がないばかりでなく、彼自身が”ほんものの馬鹿”であることを証明してしまっているからなのです。これがブログの恐ろしさのひとつでもある訳ですが…
モツニ
2005/12/09 12:02
また、茂木健一郎に因んで、そのような人物を持ち上げる巷の多くの並の精神科医、精神病理学者たちのレベルの低さ…というもを感じない訳にはゆきませんでした。つまり、問題は茂木さんだけでなく、ほとんどすべての”精神科医”、”精神病理学”たちそのものであるかもしれないのです。ぶっちゃけ、多くの問題に直面しながら、本質的な解決方法の筋道すらつけることができていないのが、日本の精神医学の現状だからなのです!
モツニ
2005/12/09 12:06
世界認識というより”分裂病者の世界認識”と題した方が妥当だと思うのですが、いずれにしても”存在論”と”認識論”のこの二つが”哲学”の根本的な課題であることに間違いはありません。問題はどちらを優先させるか…といったような枝葉のことではなく、その”両方”を”極限”まで追求することが最も重要なことなのです!
モツニ
2005/12/09 12:09
この小説はできれば”精神病理学者”、”精神科医”、”精神分析学者”、”深層心理学者”、”異常心理学者”…といった一連のひとびとにも読んでほしいのですが、正直言って、現在の”精神科医”のレベルが極めて”低い”という認識をもっておりますので、当然予想されることでありますが、このような小説の本当のインパクトを洞察できるにはあと数十年あるいはそれ以上の年月が掛かるのではないか…ということを申しあげておきましょう。
モツニ
2005/12/10 10:41
私は既に人工知能システムをどのようにすれば”実現”できるか、その”原理”を発明してしまったのです! ということは、ある意味で”人工的”に精神病の人間をシミュレートすることが可能なのです! (わかりますよね) で、そのことはいったい何を意味するのか、そのへんを現在の超低水準の”精神科医”あるいは”精神病関係”の専門家たちに一度聞いてみたいのですが、たぶん、本質的なことがどこにあるか、適切に答えられるようなそのような人物は出てこないのではないだろうか…というのがモツニの見解なのです!
モツニ
2005/12/10 10:45
小説のここで展開されているのは”シンボリック”な精神医学の批判のイメージですが、モツニが本質的に狙っているのは、そのような”子供だまし”ではなく、超本格的な”未来型”の精神医学がどうあるべきか…ということなのです。つまり、ゲーデルレベルでの数学能力が要求され、ソシュールレベルの言語理解が要求され、かつ、同時に、長尾真レベルの”人工知能”に関する識見を所有し、かつ、現在展開されているような、このような小説のほんとうの凄さ、あるいはこの小説の未来…ということについての洞察を踏まえた上で、本来の精神医学、あるいはこれからの精神医学がどうあるべきか…ということを論じてもらいたいのです。
モツニ
2005/12/10 10:51

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『回想T』 《世界認識》 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
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