哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《変化の兆し》:後半

<<   作成日時 : 2005/12/07 10:48   >>

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       ………………

 あるとき誠一と新藤君はこういう会話をした。
「…へえー、君がキルケゴールのファンだとは知らなかった」と新藤君は初めて目を輝かせた。
「…ほう、ぼくもまさかあなたがキルケゴールについて語るなど思ってもみなかったよ」と、誠一もある種の驚きを隠すことをためらわなかった。そして、こう続けた。
「あなた、キルケゴールのどの作品を読んだの?」
「ぼくか、ぼくは彼の作品を全部読んだわけではないが…」と、はじめて自分に興味がある話題で会話ができたことに喜びを顔全体で表現した。
「ぼくは『誘惑者の日記』と『不安の概念』を読んだ。依田くんは」と訊ねた。
「ぼくも『誘惑者の日記』と『あれかこれか』の全体、それに『不安の概念』、『死に至る病い』、『反復』、『おそれとおののき』、『哲学的断片』とその『あとがき』、それに最近『キリスト教の修錬』を読み終わったとことかな…」と同じように興味を示しながら新藤君に答えた。そこで、新藤君はたぶん誠一を試すつもりだったと思うのだが、こう訊いた。
「じゃあ、依田くん、君はキルケゴールのどのようなところに魅力を感じているの?」と新藤君は誠一の返事を興味ありそうに待った。
「まあ、彼にはいろいろな要素があるから一概にこれが彼の魅力ですよ…というようなもを言うのも何かと思うのですが、とにかく、彼は《フモーリスト》であることだけは間違いないですね」と誠一は新藤君の問いには直接答えないで、新藤君の反応を窺うことにした。
「《アイロニー》の達人ソクラテスの弟子としての《フモーリスト》キルケゴールですか」と新藤君は探りを入れた。
「いやいや、そういう意味ではなく、例のあの『哲学的断片』、あの『断片』の『あとがき』が実に面白くて、つい、《フモール》という概念が頭の中を掠めてしまったもんで、そう言ったまでです」と誠一ははぐらかす。
「まあね、《アイロニー》とか《フモール》の本質を理解できる牧師なんか全然いないじゃん。それに、ほんとうに牧師というのは出来が悪いね、どうしてああも出来がわるいのか信じられないよ。でも、なんでそうなのかなあー」と新藤君は相変わらず腑に落ちない。
「キルケゴールを本当に理解するにはどうしても《逆説》、《両義性》、《逆説的両義性》といったことが理解できなければ駄目だよね、ねえ新藤君」と誠一は促がした。
「依田くん、それそれ、《逆説両義性》だよ。《両義性》ですらぼんくら牧師たちには理解できないくらいなんだから、《逆説両義性》なんて絶対理解できないかもね」と新藤君はしきりに牧師の理解不足を強調している。
「新藤君、『誘惑者の日記』のあの《誘惑者》って《ドン・ジョバンニ》のことを暗黙に意味している部分もあるんだけれど、そのこと知っていた…」と誠一は新藤君に訊いた。
「いいや、そんなこと知らないよ」
「実は、あの『誘惑者の日記』というのは『あれか、これか』というより大きい作品の一部分で、要するに《芸術家としての人生》あるいは《美学的な人生》を選ぶか《信仰者としての人生》つまり《倫理的人生》を選ぶか…の《あれかこれかの選択…》といった意味あいがあるの知ってた?」
「いいや、そんなこと全然考えないで読んでいたね」
「で、『誘惑者の日記』の読者は実は《レギーネ・オールセン》で、キルケゴールは実は自分が《ジョバンニ》を演じていながら、実はほんとうはそうではない…ということを《逆説的》にレギーネにだけそっと内緒で《知らせる…》という意味があの著作には込められていたんだけれど、そのことを理解できるひとはほとんど誰もいないんですよ」
「そうだろうね、だいいち、そもそもあのキルケゴールの書き方そのもの、あのような文章をすらすら理解できるような人間なんていないじゃんか」と新藤君はキルケゴールを理解出来るのは限定された人間だけだ…というように勝手に決めつけていた。
「だけど、キルケゴールって人間はあの有名なアンデルセンに手紙を書いているんだよ、そのこと知っていた?」
「うんにゃ、そんなこと全然知らないよ、だいいちそんなことどうでもいいじゃん」
「いやいや新藤君、もしキルケゴールがあのアンデルセンに学んでいればキルケゴールの一連のあの難解な著作群がアンデルセンのあの童話のような実に民衆受けする大衆向けの著作の群に変身していたかも知れないんだから」
「依田くん、よしたほうがいいよ、そういう安易な考え方は。いいかい、キルケゴールがあのキルケゴールとして価値があるのは、ぼんくらの牧師や一般の大部分のぼんくらクリスチャンの理解を遠く超えた、実に深い理解を要求しているそこのところにあるんだから。で、なぜそうなのかとぼくが考えるに、《神》がキルケゴールにそのような《役割り》を与えているからなんだ! わかるかな、その意味が」
「ええ、新藤君、ある意味でそうなのかも知れない。でも、まあ、それにしてもですよ、キルケゴールの役割はひとびとをして一旦キリスト教から離れさせるのが《仕事》のようなところがあるじゃないですか」
「まあね、それはそれとして、だいたいキルケゴールを読んでそれを理解して、それから《キリスト教》がインチキ宗教だ…てなことほんとうに考えられるんかな」
「さあ、どうですかね新藤君、そもそもキルケゴールのほんとうの狙いは《キリスト教》が《インチキ》である…ということを示すと同時にその《インチキ》の中に《逆説的》に、実に、実に不思議ですが、《ほんもののキリスト教》というものがあるんですよ…ということを《超逆説的》に証明しようとしているではありませんか。ほんとうに不思議な思想家ですよね、あのキルケゴールっていう人物は」
「まあね、依田くん、でもキルケゴールに限らず、天才って呼ばれる人間は皆んな何等かの《不合理》、《不可解》、《矛盾》といったようなことをその思想に本質的に《内在》させているんじゃないの、あの《ゲーデルの定理》だってそういうことを言っているんじゃないの?」
「そうかもね、でも、いつかキルケゴールの思想をゲーデルの《不完全性定理》で証明してみたいもんですね。だって、キルケゴールの《公理系》が《真理》でありかつ《非真理》である…ということが《完璧》に《証明》できるなんて、ほんと、《ゲーデルの世界》そのものではありませんか! どう、新藤くん、このことどう思う?」
「《ゲーデルの定理》ね、あれはあれでいいかもよ、でも、《ゲーデルの定理》なんてぼくに言わせれば《古い》、《古い》、もうそんな定理は昔の話だよ」
「と言いますと?」と誠一はちょっとむきになった。
「これからは、《スピン》の問題、それに《超ひも理論》などが絡んでくるんだよ。これからはね。物質の《極限》が《点》ではなく《ひも》あるいは《超ひも》と呼ばれているひとつの《非物資》なんだよ!」
「《非物質》ですか、《物質》の根源というのが」
「そうなんだよ。《非物質》的なものが《物質》そのものを《構成》している…というようなそういう《図式》になっているんだな。つまり、《実時間》プラス《虚時間》、《+実時間》、《-実時間》、《+虚時間》、《-虚時間》、《+絶対虚時間》、《-絶対虚時間》、《+相対虚時間》、《-相対虚時間》といったいろいろな《時間概念》が新しく創出され、そこでこの《超ひも理論》というものが本格的に展開されるんだ!」

 新藤君にとってこのような会話ができたことは生まれて始めてのことだったかも知れない。尤も、そのとき誠一はそんなことつゆ知らず、自分にも興味がある話題だったのでただ熱心にそのような話をしていただけだが、誠一は知らず知らず新藤くんの考え方、ものの見方、捉え方といったものに非常に興味を覚えただけでなく、実際に新藤君的な世界認識の方法をある意味で身につけていたのかも知れない。

 このようにして東京の下町の路地裏にそっと隠れている小さなキリスト教会を舞台に誠一と新藤君はいろいろなことを話すようになっていった。別にクリスチャンどうしが教会のなかで出会うことはちっとも珍しくもなんともなく、むしろごく普通のことで特筆すべきことは何もないが、誠一と新藤君とが教会で出会うことにより、非常に不思議な友情を持つようになり、結果的に教会を《離れる》ようになっていったのである…。もちろん、必ずしも信仰を《捨てた》ことを意味するわけではないが、一般の常識的な信仰からは遠く離れてしまったことだけは確かである。やがて、誠一は《聖書》や《信仰》に対してこれまでとは違った考えを少しづつ持つようになると同時に、《牧師》や《教会》に対してだんだん物足りなくなっていくように思っていったのである。



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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について

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関連ブログ:
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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
20年前に最初に作品ができたときはこの部分は多少今回の文章と違っていました。そのひとつは、レギーネ・オールセンの部分を入れたこと。また、《超ひも理論》の部分を追加したことなどがあります。逆に削った部分は自分がどのような読書遍歴を展開してきたのか…といったようなことが書かれていた前回の版を修正してすっきりさせたことです。
モツニ
2005/12/07 10:56
いずれにしても、あの《伝道集会》の一件があった後、誠一と新藤君とは非常に親密に交際が深まっていったことだけは慥かです。これもある意味で運命的なものを感じるのですが、”うつ病者”と”精神分裂病者”との《出会い》というものがこのように”豊かな”精神的な交流を深める…というようなことはほんとうに”奇蹟的”なことだ!…と思っているのです。
モツニ
2005/12/07 11:01
しかも、”キルケゴール”だけでなく、”スピンの問題”、”ビックバンの問題”、”超ひも理論”といった一連の問題を必然的に論じるようになっていったんですから、これはもう、ほんとうに”奇蹟的な出会い”というほか表現のしようがありません!
モツニ
2005/12/07 11:04
いずれ、本作品の第V部で”スピンの問題”、”超ひも理論”に絡んだもろもろの”超難問”等について、あるいは彼独特の思想である”オナニー空間論”あるいは”こころのジャイロスコープ”といった非常に興味のあるテーマがつぎつぎに展開されることでしょう。
モツニ
2005/12/07 11:06
第一章の”回想T”におけるこの”三 出会い”と”四 変化の兆し”の節によって、依田誠一とS牧師とか決定的に離れてゆく…ということが暗黙に伏線として描写されているのです。この二つの節によって《世界(=依田誠一+新藤毅)》という極めて不思議な《内面世界》が生まれてくるのですが、この二つの説は新しい世界が生まれてくるその《契機》そのものだったのです。
モツニ
2005/12/07 11:13
前半でも書きましたが、”ニーチェ”、”キルケゴール”、そして”ソシュール”、”ハイデッガー”といったところをきっちり把握した上でなければこの作品のほんとうの面白さはなかなか期待できないようになっています。では、一般の読者にいきなり”ニーチェ”とか”キルケゴール”を理解できるようにするにはどうすればいいか…ということになるわけですが、発想を変えて、個々の作品に馴染むことによって徐々に”ニーチェ”あるいは”キルケゴール”といった天才の作品に触れるようにするのもひとつの”手”であるかも知れません。
モツニ
2005/12/08 10:21

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