哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《変化の兆し》:前半

<<   作成日時 : 2005/12/06 08:24   >>

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四 変化の兆し

 日曜日の礼拝は朝の十時半から始まり午ごろ終る。その後、時間が許される範囲でひとときの集いがある。集いの場所は礼拝堂のすぐ手前、玄関を入って右側に広さ八帖ぐらいの応接室で行われるのであるが、別にこれといった特別の催しがあるわけではなく、牧師をはじめ信徒たちや求道者などがいろいろな世間話をするだけのことである。また、ときにその席上教会学校のこどもたちがが同席することもしばしばあり、求道者のMさんや来客の新藤くんも誠一と一緒に礼拝のあとのこの集まりを楽しみにしていた。

 教会学校の子どもたちを除くと、礼拝に出席している大人は牧師を含めて五、六名ぐらいであった。教会の玄関を入ると六帖ぐらいの板の間があり、すぐその前が礼拝堂になっている。礼拝堂の正面の壁には簡素な十字架が掛けられ、会堂の前方の床は一段と高くなったプラットフォーム状になっており、その中央には茶色い樫の説教壇ががっしりと備えてある。会堂には四人掛けの木の長椅子が、中央にひと一人だけ通れるだけの幅を開けるようにして、左右それぞれ四つづつ等間隔にならべられている。教会の玄関からみて礼拝堂のすぐ手前には八帖ぐらいの応接室があるが、ここには簡単なテーブルをコの字に囲むように粗末なソファが置かれており、応接室の東側には木造りの旧式のオルガンが蓋をしたまま置かれている。

 礼拝のプログラムが終了した後、人々は皆この応接室に集まってお茶を飲みながらしばらくの時間を分ち合うのだった。Mさんや新藤君も誠一たちと一緒に礼拝のあと、このお茶の時間をよく楽しんでいた。そのあと、新藤君とMさんと誠一は近くの食堂か中華料理店で昼食を済ませ、それから行きつけの喫茶店で日曜日の午後の時間をゆっくり過ごすのがお決まりのコースだった。Mさんは誠一よりひとつ年上の非常にやさしい性格の男性で、誠一はMさんのことも新藤君と同じように好意をもっていた。Mさんは新藤くんがこの教会へくるまえから教会に来ていたが、とくに水曜日の夕方に行われている聖書研究会にはよく出掛けていた。Mさんは物腰が柔らかいだけでなく、ほんとうに気の毒なくらい弱々しくおとなしい青年だった。一方、新藤くんは年齢は誠一より一つ年下で三十五、六であったが年齢の割りには童顔であった。何かスポーツをやっているような大柄な体躯にはモスグリーンのセーターと茶色のスラックスが似合っていた。特に印象に残っているのは教会の玄関に並べられている子供たちのズックや靴に比べ、彼のスニーカーが異常に大きかったことである。また、顔の大きさも躰の大きさに十分見合った大きさで、ふさふさした黒い頭髪にはゆったりとしたウェーブのパーマが掛けられており、やや窪んだ眼窩の奥には憂いに満ちた悲しそうな目つきが垂れていた。病気の所作かひとつひとつの動作が緩慢で、話振りももどかしいので、躰が大きいにも拘らず威厳というものが一切感じられない。概して彼には世渡りが下手な感じを受けるのだが、実際、彼は気転が利かずユーモアや趣味に乏しい人生を送っているようであった。

 このように、新藤君やMさんと誠一が日曜日の午後一緒に時を過ごすようになってから半年ぐらい経ったころだろうか、彼等は次第に《哲学》や《宗教》の話などをするようになっていった。誠一自身、硬い内容の議論も嫌いではなかったが、新藤君があまり硬い内容の話ばかりするものだから、いい加減うんざりしていることも確かなのだが、誠一は新藤くんのことを考えるとついつい気の毒に思ってしまい、求めに応じそのような《硬い》内容の会話にいつも付き合っていたのである。誠一の推測ではきっと新藤くんには友達がほとんど誰もいないだろう…と確信するようになっていたから、新藤くんの求めには余計断れなかったのである。

「ねえ、依田くん! だれも僕のことを《理解》してくれないよー。どうしたらいい?」といつものように愚痴がはじまった。
「そうねえ、困ったねー、ほんとうにどうすればいいのかねー」と誠一も返事に困ってしまう。
「それにしても、《牧師だよ!》、《牧師》が一番わかっていない。特に《新約》の理解は全然なっていない! ほんと、どうにかしてほしいよ。ねえMさん」と新藤くんは誰でもいいから何か応えて貰いたい様子でいつも喋っている。
「ところで、新藤さん、新藤さんは牧師先生に具体的にどうしてほしいの?」とMさんは当惑したような様子で返事をする。
「いや、別にどうのこうのと言っているんじゃないんだ。ただ、もっと《聖書》を深く理解して欲しいんだ。だって、あれじゃあまりにも何も知らな過ぎるよ。しかしまいったなー、どうしてそんなことさえわからないんだろう?」と頻りに残念がっている。
「まあ、まあ、新藤くん。そんなむきにならないでよ。牧師が聖書についてわかっていないのは今にはじまったことじゃないんだから。いつだってそうなんだから」と誠一はいつものようにお茶を濁す。
「しかし、依田くん! 君も不思議な人間だねー」と新藤くんは誠一に何か言いたいような素振りを示した。
「何でそんなこと言うの?」と誠一は新藤くんに訊いた。
「いや、別に深い意味はないけれどね、とにかく依田くん、君はあの先生とも旨くやっているし、この僕とも結構うまくいっている…。どうしてそういうことができるのかほんとに不思議だよ…」と新藤くんは誠一に応える。
「このぼくですか。別に普通じゃないですか。だってそうでしょ、新藤君、君みたいに誰でもかれでも批判的な態度で接してみてごらんなさいよ、それこそ仕舞いには誰からも相手にされなくなってしまいますよ。ほんと、ほんとですからね、新藤くん」と誠一は諭すように言ったが、新藤君は別に気にする様子もなくこう訊いた。
「ぼくは別に批判的に接しているんじゃない! ただ、牧師が間違っているよって《教えて》あげているだけなんだ。ただそれだけだよ、依田くん、ただそれだけなんだよ」と言って誠一を窺った。
「だから、それが《問題》なんだよ! だって、誰だって自分が《間違っている…》と言われて気分よくする人間なんていないんだから! そこを考えなくっちゃ。ねえ、そう思わない。そうですよね、Mさん」と誠一は今度はMさんに援軍を求めた。
「わたしはわかりません。ただ、みんなそれぞれ自分の考えを持っていますよね。だから、あまり《批判的》にならない方がいいんじゃないんですか?」とMさんもやんわり新藤くんを諭した。
「おいおい、Mさんまで依田君の味方なのかよ」
「いえ、そうじゃなくて、あまり《批判的》にならない方がいいって、そういうことだけです、言いたいのは。それに、新藤さん! あの先生だっていい人ですよ。私はよく《聖書研究会》に出掛けますが、真剣に皆んなのことを祈ってくれていますよ!」とMさんは牧師の肩を持った。
「そうかー。やっぱり僕だけか。相手にしてもらえないのは。ねえ依田くん! ぼくはどうして誰からも《相手》にしてもらえないのかなー?」と誠一に向き直ったので
「いや、別に新藤くんが《悪い》とか牧師先生が《悪い》といった問題ではなく、《相性》の問題ですよ! だって、実際、新藤君とぼくとはこのように結構うまくいっているじゃありませんか! ねえ、そうでしょ。もっとも、あの《件》がなかったらどうなっていたかわかりませんがね、まあ、とにかく僕はあなたの《+悪魔》と《-悪魔》の概念を一応評価しているじゃありませんか!」と言って誠一は新藤くんを慰めた。
「何ですか? その《+悪魔》、《-悪魔》っていうのは?」と、今度はMさんが不思議に思って質問した。
「いや、別に大した概念じゃなくって、ただ、《人間》のことをいっているだけなんです」
「といいますと?」
「つまり、《+悪魔》っていうのは《神》の《存在》を信じている範疇の人間のことを意味し、《-悪魔》というのがいわゆる《無神論者》、《ニヒリスト》、《唯物論者》、要するに《神》の《存在》を否定する範疇の人間のことを意味しているのです。で、なんで《人間》のことを《悪魔》って言うかというと、《人間》というのはたとえ神を信じていてもいなくてもいずれの場合でも極めて《不完全》な存在なので、そういう意味を込めて《悪魔》って言っているだけなんです。別に深い意味など最初からないんです」と誠一はMさんに掻い摘んで説明した。
「それにしても、二人とも随分不思議な考えをするんですね」とMさんはどうも納得がいかない様子だった。
「いや、Mさん! まだこんなのいい方です。そのうち、《逆説》、《両義性》、《アイロニー》、《フモール》なんて概念が出てくるともっとわからなくなりますよ」と言って誠一はMさんに新藤くんについてはあまり真剣になり過ぎないよう促がした。

       ………………

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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について

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関連ブログ:
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(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
ここに出てくる”Mさん”と第二章の”饗宴”に出てくる”大森さん”は全くの別人です。しかし、両方とも実在した人物をモデルにしています。大森さんについては触れましたが、このMさんに関してはあまりよく知られてはいません。いくつか思い出があるのは、芸術家の”マイヨール”が好きであったこと、武者小路実篤が好きであったこと…などがありました。明治大学を卒業し、その後どのような人生を歩んだのか…については定かではありません。
モツニ
2005/12/06 08:29
この”Mさん”についての印象は概して内気で、積極的に自分の考えを前面に押し出すといったようなことのないタイプで、どちらかといえば受身的な態度に終始一貫していたような思いでがあります。私(モツニ)自身、既に教会を離れてから20年以上も過去になってしまったので、この回想を書いている今(2005年)からあの当時を振り返って鑑みるにつけ、人間の過去に関する時間感覚の不思議さ…というものを感じるとともに、時間の経過に絶対に依存しないような人間の”記憶の要素”が存在する!というこの事実、このことについてはこの作品の別の”章”あるいは『現代のたわむれ』その他の作品でも展開したいと思っております。
モツニ
2005/12/06 08:35
一般に平均的日本人は”キリスト教”に完全に”無知”なため、本来非常に面白いはずの多くの作品をその本質に溯って読むことができません。つまり、ほとんどすべての”古典”、つまり、シェークスピア、ダンテ、ミルトン、ジョイス、その他”世界文学全集”のほとんどの作品をほんとうに楽しむためには”ギリシャ神話”と”聖書”の最小限の素養は必要なのですが、残念ながら日本人の大半はそのことにすら完全に無知なのです。
モツニ
2005/12/08 10:05
大江健三郎の悲劇は、中途半端な”キリスト教”礼讃の雰囲気がノーベル賞の選考委員たちの賛同を集め、あのような展開になってしまったわけで、本来、キルケゴールあるいはニーチェ、あるいはジェームス・ジョイスレベルでの”キリスト教批判”を展開できるだけの文学を生み出さなければならなかったのですが、残念ながらそうはなりませんでした。
モツニ
2005/12/08 10:08
『異常なる感性』という作品は最もキリスト教を批判する文学となることはある意味で必然的なことなのです。その意味でも、逆に読者としては最低限のキリスト教理解は要求されているのです。もちろん、田川建三氏のレベルまで展開できれば申し分ありませんが、仮にそうでなくても八木誠一氏や滝沢克巳氏の作品をお読みになることによって、少なくとも最小限度のキリスト教理解を得ることはできるとは思われます。要は、全くの”無知”ではお話になりませんよ…ということがひとつあるのです。というのも、そもそも西洋哲学をやる…ということはある意味で”キリスト教批判”そのものなのですから。
モツニ
2005/12/08 10:15

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