哲学日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 『回想T』 《出会い》:後半

<<   作成日時 : 2005/12/05 10:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 9

             …………
「依田くん、君は《存在》について考えたことある?」と部屋へ入るなりこう訊いてきた。
「いや、別にそんな真剣に考えたことなんかないよ」と誠一は軽く返事をした。
「じゃあ、《-存在》と《+存在》についても考えたことなんかないね」と再度質問してきた。
「何ですか、その《-存在》と《+存在》というのは?」と誠一はこの不思議な青年に質問の主旨を問い直した。
「いや、別に深い意味はないんだが、そういったことを知っているかどうかちょっとだけ訊いてみただけなんだ。物質にも《物質》と《反物質》があるように、存在にも《+存在》と《-存在》があるのではないか…というのがぼくの感なんだ。わかる?」と新藤君は誠一に繰り返し同じような質問をしてくる。
「まあ、そういうことを言ったら、《存在》、《反存在》、《逆存在》、《非存在》、《不存在》、《実存在》、《虚存在》、《+実存在》、《-実存在》、《+虚存在》、《-虚存在》というようなことが考えられてしまうじゃないか。いったい、そんなこと可能なの?」と誠一はこのような不思議な会話に付合ったのは始めてであった。
「いや、いや、依田くん。まだまだこんなの序の口だよ。そのうち、もっともっと変わった《概念》がいろいろ飛び出てくるんだから…」と言って新藤君は始めての来客を迎えて非常に満足そうであった。しばらく、ステレオの話をしたあと、またまた自分独自の会話に誠一を引張り込んでいった。
「ぼくはね、今までずうっと自分で考えてきたことがあるんだ。どう、聞きたい?」と新藤君は誠一にこう語りかけてきた。
「いったいどういう《考え》なの?」と誠一は興味を持って答えた。
「依田くんは《悪魔》の存在を信じる?」と彼の声はいきいきと弾んでいるようだった。
「ほほう、《悪魔》ね。へえー、面白そうじゃないか」と誠一は今度は新藤くんがどのような考えをもっているのか興味をもちながら、自分の考えもちょっとだけ喋った。
「僕はね、新藤君、君が《神》の存在を《信じて》いるくせに、なぜ《悪魔》の《存在》などつまらないことを導入してくるのか、それがよくわからないよ」
「いや、《+悪魔》と《-悪魔》の概念はつまらない概念なんかじゃないんだ。原子物理学の《スピン》の問題と同じできわめて《深淵》な問題なんだ!」と新藤くんは自分の悪魔の理論の正当性を誠一に訴えていた。
「まあいいや、《悪魔》ね…、そうですか、《悪魔》の《存在》ですか。僕の考えではですね、《物質的》にも、《観念的》にも、《数学的》にも、その他いかなる形体の《存在様式》においても一切《存在しない!》そのようなもの、それが《悪魔》ではないだろうか…と思っているよ。いや、《存在しないもの》そのもの、《何でもないもの》そのもの、《虚しいもの》すなわち《積極的》には何物をも《構成》したり、《生成》したりさせないもの、そのような《虚像》、《空虚》、《虚無》、《虚空》、《非在》そのもの、それが《悪魔》だと思っているよ!」と誠一は自分の凡その考えを新藤くんに伝えた。
「そうか、君は《非在》というものの《超逆説的な存在》、つまり《純粋逆説》としての《悪魔》という考え方そのものを《否定》するんだね…」と新藤くんはあらためて自分の考えが他人に理解されないのを確認しているようだった。
「まあね。だって、ぼくの定義は《存在しないもの》つまり《非在》という《概念》そのものがある意味で《悪魔》なんだから」と誠一は自分の考えが間違っていないかのごとく自信たっぷりに答えた。同様に、新藤くんは新藤くんで、自分の考えに十分な自信を窺わせる素振りを見せながら、自分の考えを喋っているのが強く感じられた。
「《存在》とは《非在》ではないよね」と誠一。
「まあいいだろう」
「しかし、《非在》という概念を《両義性》として捉えると、つまり《非在》なるものが《存在する!》という意味で捉えれば、つまり《非在》が《存在する》ということでゆけば、そのような《存在様式》は《+悪魔》であるし、そもそも《存在するものがない…》という意味で《非在》という概念を考えれば《存在しない!》つまり《-悪魔》が《存在する!》ということになるよね」と誠一はちょっと捻って新藤くんに答えた。
「いいだろう」
「要するに、《両義的》に考えれば《非在》とは《+悪魔》であり同時に《-悪魔》であるということなんだね」と誠一は新藤くんに答えた。
誠一は新藤くんが自分で自分の考えていることが本当に《わかっている》のか《わかっていない》のかそのへんがよくわからないので、もう一度説明してくれるようつぎのように新藤くんに訊いた。
「《非在なるもの(=-悪魔)》が《存在》する…というけれど、《非在なるもの(=-悪魔)》とはそもそも何なのか? また、《非在なるものが存在する…》という命題そのものが《自己矛盾》しているんじゃないの?」と誠一は新藤くんに問い質した。
「いや《矛盾》していない!」
「だってそうでしょう、《非在なるもの》なんて《存在しないもの》と同じではありませんか!」
「いや、ちがう! 《非在》とは《存在》でもあるんだ!」
「それなら、さっきの命題は《存在しないものが存在する…》となってしまうじゃないか!」
「そう、《存在しない》ものが《存在》している…」
「それじゃ、《存在しなくて存在するものは何か…》と訊いているのと同じことなんじゃないの?」
「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。しかし、《存在しない!》と同時に《存在する!》というような《存在》が実際にあるんだよ、依田くん!」とまじに答えている。
「ねえ、新藤くん、ぼくには君の言っていることがよくわからないよ……」

               ………………

 このようにして、依田誠一と新藤毅との不思議な交友関係がはじまった。その頃、誠一はまだ新藤君が精神分裂病であるとは知らず、単に変わった人間だとしか思っていなかった。ただ、誠一にしてみれば、あのときあのような会話を展開したこと自体、そのことに気づいてもおかしくなかったのに、誠一はなぜかそのことにすら全然気づかなかった。一方、新藤君はといえば、彼は自分が精神分裂病で絶望の《どん底》にいること。また、誰も友達がいないことなど多くの問題を抱えていたことをあとから誠一に聞いた。当時、新藤君は多くの教会、というより、ほとんど全部の教会で誰にも相手にされず、たまたま、あちこちの教会を選らんでは別の教会を探す…ということを繰り返していたらしいのだが、あの《伝道集会》の一件で依田誠一と新藤毅は実に不思議な《出会い》をもつようになっていったのである。

 ある人間がある人間と《出会う》この《不思議》、これを仏教では《縁》あるいは《縁起》ということばで表現するそうだが、この二人の《出会い》もやはり《不思議》な《出会い》…ということばでしか表現できないかも知れない。というのも、その《出会い》によって、誠一も新藤君も二人とも徐々にではあるが《内面的》に大きく変化していったからである。通常、教会内で何等かの出会いがあると《信仰》が深められるのが普通なのであるが、この二人の場合、信仰が深められる…というより、そもそも《信仰とは何か?》というような最も基本的な問題にまで踏み込んで、徹底的に考え直すしかないところまで《議論》が進んでしまうのであった。つまり、《宗教とは何か?》、《信仰とは何か?》、《神はなぜ人間のできごとに直接介入はしないのか!…》、《なぜ多くの牧師や信徒たちは基本的なことさえ理解できていないのか…》などと実に多くの《疑問》がこの二人には浮かび上がってくるのであった。

 季節感のあまりない東京の下町であるが、それでも、二人は秋が一段と深まってゆくのを感じていた……。師走が近づき、慌しく車が往来する明治通りの歩道に沿って、すずかけの木から落ちた枯葉のかたまりがところどころ風によって撒き散らされていた。寒くはないが、裸の街路樹、色褪せた看板、不況で淀んだ町工場の表情を眺めていると、なんとなく底のない寒さを感じないわけにはゆかなかった。




--------------
第一章 回想
--------------
一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
---------
本格小説
---------
■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
--------
論文集
--------
■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
--------------
関連作品:
--------------
■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
-----------
関連記事:
-----------
『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
------------
関連ブログ:
------------
■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
■ エキサイト・ブログ
(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
■ ウェブリブログ
(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
■ gooブログ 
(心理学、精神医学;脳科学、神経科学;教育、思想、哲学、その他)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
この作品が最初にできた20年前は作者(モツニ)は”存在論”についての本格的な思索は展開できていませんでした、しかし、2000年から2005年に至る約5年間にハイデッガーの『ヘラクレイトス』という著作を10000回ぐらい反復して読むことによって、これまで難解…だと思われていたハイデッガーの存在論のある意味で”真髄”に触れることができました。
モツニ
2005/12/05 10:34
そもそも”哲学”をする!…ということは”存在論”を展開することでもあるわけで、この”存在論”をどのようにして”自分のものにするか…”といったことが、そもそも哲学なのですが、巷にあるもろもろの”哲学”の本は”解説”のための”解説”、その”解説”のための”解説”…といったようなものばかりで、本格的に”存在論”そのものに”体当たり”するようなものが全くない…というのもなさけないのですが、それが現実なのでしょう。
モツニ
2005/12/05 10:37
わたしは敢えて”逆の順序”で作品をリリースしてきましたが、この部分をお読みになって、読者はもう一度”饗宴”の章(=巻)を最初から読むよう暗黙に示唆しているのです。この辺が理解できると、主役は実は誠一ではなく新藤君であったことを始めて理解できるのではないでしょうか? いずれにしても、誠一にとってこの”新藤君”という存在は”ニーチェ”、”キルケゴール”そのものに匹敵するだけの”存在”であることだけは間違いないのです。
モツニ
2005/12/05 10:41
そもそも、『異常なる感性』という作品の構想そのものが成立した背景にこの誠一と新藤君との出会いがあり、この出会いによって作品そのもののイメージが一挙に出来あがってしまったのです。もちろん、水面下ではダンテの『神曲』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、ゲーテの『ファウスト』そして、ジェームスジョイスの『ユリシーズ』といった作品のイメージ、あるいは、ミヒャエル・エンデの一連の作品群、ル・グウィン女史の『ゲド戦記』といったもの、さらに宮沢賢治の一連の作品群からの触発がありますが、当該作品が生み出されたその”起爆剤”がこの誠一と新藤君との”出会い”なのです。
モツニ
2005/12/05 10:48
《+悪魔》、《-悪魔》についての詳細な議論は地獄編で展開される予定です。このへんは、《超ひも理論》、《スピンの問題》、《反物質》、《クウォーク》、《クウェーサー》といった問題との絡みで展開される予定です。もちろん、物理学に長けていればそれでかまいませんが、そうでなくても十分に読めるよう創意と工夫を凝らす予定ではあります。
モツニ
2005/12/05 10:51
新藤君がモツニに遺してくれた約1000通ほどの手紙には彼独特のいろいろな思想が展開されているのです。この作品の特に第V部ではそれを基に、実にユニークな作品が展開される予定ですので、どうかご期待していてください。ここに展開された部分つまり”出会い:後半”ではほんの少ししかほんとうに”面白い”部分はリリースしていませんが、それは後のお楽しみ…ということでご理解いただきたいと思います。
モツニ
2005/12/05 10:56
特に彼の手紙で特徴てきなのは、彼が単なる”薬剤師”の免許を取得した程度のレベルの科学の知識しか持ち合わせていない筈なのに、”スピンの問題”とか、精神的な意味での”ジャイロスコープ”という考え、あるいは”ビッグバン”、といった”理論物理学”のジャンルに関連することがらが彼の口からあるいは彼の手紙からモツニへいろいろ伝えられたことなのです。
モツニ
2005/12/06 08:40
20年前、この作品が最初に生み出されたときは気づかなかったいろいろなことが、実際に20年が経過した昨今、彼がその”謎の手紙”で私に何が言いたかったのか、そのへんの謎がすべて”氷解”したわけではありませんが、”意味論的空間トポロジー”という学門を実際に創出してしまった関係上、結果的に、”超ひも理論”と深く関わるようになってしまったようなのです。
モツニ
2005/12/06 08:43
このでほんのちょっとだけ触れている、《+悪魔》および《-悪魔》の概念は、《+虚時間》、《-虚時間》、《絶対+虚時間》、《絶対-虚時間》、《相対+虚時間》、《相対-虚時間》といった概念へと拡張深化されてゆきます。また、《コンパクトHausdorff空間》、《相対コンパクトHausdorff空間》、《一様コンパクトHausdorff空間》といった概念と《超ひも理論》とが複雑に綾をなすようなそのような世界への最初の切先がこのような出会いなのです!
モツニ
2005/12/06 08:49

コメントする help

ニックネーム
本 文
『回想T』 《出会い》:後半 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる