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zoom RSS 『回想T』 《出会い》:前半

<<   作成日時 : 2005/12/04 02:47   >>

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三 出会い

 そう、十一月もだいぶ押し迫り最初の《木枯らし》が吹き始めるようになった頃であろうか。《それ》は小さな小さな《伝道集会》が開かれた、まさに《そのとき》であった。集会の準備は信徒たちの熱心な《祈り》に支えられ、九月の中ごろから既に進められていた…。けれど、そのような《篤い》祈りと、ひとりひとりの我を忘れるような《献身的》な奉仕にも関らず、集まったひとびとの数は非常にささやかなものであった。

 讃美歌の伴奏が静かに流れるなか、やがて司会者の《祈り》とともに集会は時間とおり始まった。

 『……天にまします我らの父よ、願わくば《御名》が崇められますように。《御国》を来らせ給え。《御言葉》が《天》に成るごとく《地》にもなさしめ給え。われらの《日用の糧》を今日も与え給え。われらに《罪》を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの《罪》をも赦し給え。われらを《試み》に合わせず、《悪》より救い出し給え。《国》と《力》と《榮》とは限りなく汝のものなればなり、アーメン』

 「会衆一同の皆さん、どうか今宵、この集いがここに集められたすべての《魂》を祝福してください。また、この集会の準備にあたったひとりひとりの《兄弟》、《姉妹》を覚えてください。また、遠くから遥々この教会まで足を運んでくださったT先生に特別の《祝福》がありますように、……………
主イエス・キリストの御名によってお祈りしたします、アーメン…』と司会者が祈ったあと、讃美歌が歌われ、また別のひとが祈った。

『御在天の父なる御神様、どうかこの集会を祝福してください。あなたの恵みがすべての魂に豊かに注がれますよう、どうかあなたがその強い導きの手を我らに差し伸べてください………』

やがて、《証し》などの一連のプログラムの項目が進行したあと、黒っぽい背広を着た招待《牧師》は茶色のがっしりした《説教壇》に上がり、《伝道説教》を始めたのであった……。

「皆さん、今宵このような集会に出席してくださったこと、ほんとうに感謝します。どうか皆さん、何が《ほんとうに必要なこと》なのか、《なくてはならないもの》が何なのか。どうか御一緒に学んでください。私たちは昔と違っていろいろ便利な時代になりました。ところが、そのような時代にも関らず私たちの《生活》は昔と同様、いや昔以上に《惨め》なものになっています。それは、私たちが何か《大切なもの》を失ってしまったからなのです。今宵はこのわたしたちが失ってしまった《最も大切なもの》がいったい何だったのか…ということを聖書を通して学んでゆきたいと思っています。もちろん、この集会は《伝道集会》ですが、私は必ずしも皆さんを《入信》させるためにこの《お話し》をするのではありません。私は今宵、ここで、皆さんに《問い掛けたいのです!》、なぜ世の中これほどまでに《殺伐》としてしまったのか? わたしたちは文明の《進歩》にかまけて《何を》捨ててしまったのか? そして、わたしたちはこれから《どのように》生きなければならないのか? そのようなことを皆さんとご一緒に考えてみたいのです… 《マルタよマルタ、あなたは多くのことで悩んでいる。しかし大切なことは多くはない、いや、大切なことはひとつだけである。マリアはその大切なものを選んだのだ…》というくだりがあります。どうか皆さん、その大切なものが《何であるのか》御一緒に考えてみようではありませんか…」

 日曜日の礼拝に行う説教と違い、《伝道説教》というものは《この手》の話が上手な牧師が行うものだが、《そのとき》の説教も噂に違わず非常に《わかりやすく》、かつ、《感動的》なものであった。話の内容は、一見何不自由ない便利な世の中であくせく生きているわたしたちは《何か大切なもの》を失ってしまっている。けれどそういう《不完全》で《矛盾》したわたしたちひとりひとりに対してさえ、神は無限の《愛》と《慈しみ》をもってわたしたちを《導いてくださっている…》というようなものだったが、その話し方がほんとうに《単純》で子どもでも十分わかるようなそんな話し方だったのである。会堂には教会の信徒が数名、それにS牧師と教会学校の生徒たち、それに求道者と始めてのひとなど全部会わせても十数名ほどしかいなかったが、みんな《感動》の興奮に包まれていた…。貧しい人々が多く集まる集会、特に米国のジョージア州やルイジアナ州など南部諸州バプティスト派やペンテコスト派の教会では熱狂的な光景がよく見られるが、そのような《熱気》を彷彿させるような非常に《祝福された》集会であった。

             …………

 《説教》が終り、《献金》、《感謝の祈り》など一連のプログラムが終りに差し掛かり、人々が《祝福》された気持で家路に帰ろうと準備し始めた、丁度そのとき、説教壇にこそ上がらなかったが三十五、六ぐらいの、やや大柄の《青年》が帰りかける人々に向ってこう叫んだ。

 「皆さん! 皆さん! ぼくの言うことも聞いてください!」と彼は大きな手を挙げて人々を制しながら一生懸命にこう呼びかけた。
「皆さん! ぼくは《脳中の幻(まぼろし)》を見たのです! ぼくは天が開けてパウロの言う《第七の天》が《緑色》に輝くのを見たのです!」

             …………

 そのあと、この青年が具体的に何を喋ったか詳しく憶えていないが、それはそれはほんの《一瞬》の小さな出来事だった。幸い、そのことによって集会が混乱することもなく、教会に始めて足を運んだ人や招待されたT牧師などに不快感を与えたり、集会の《祝福》された《雰囲気》をぶち壊してしまうようなことはなかったが、その《伝道集会》を主催したS牧師はこのちょっとした出来事に非常に腹を立てていたのを依田誠一はその顔つきでとっさに感じとった。T牧師や客人たちが皆んな帰ったあと、信徒たち数名とS牧師、それにこの《青年》と依田誠一は集会が終り、ひっそりとした教会内に残り一緒にあと片付けをしていたが、喧嘩にこそならなかったもののS牧師と《青年》との間に非常に気まずい雰囲気が漂っていることを感じとった誠一は、とっさに第三者の仲介を必要とするような状況である…と判断した。

             …………

 S牧師はプロテスタント系の宣教師によって設立された神戸の神学校を卒業した後、一年ほど北海道の小さな教会で説教してからこの教会に赴任してきた。S牧師は牧師になってからまだいくらも経っておらず、人生のほんとうの《苦労》、ほんとうの《辛酸》といったものを凝っくり味わうのはまだこれから…というときであった。一方、この《青年》は青年で、長野で精神分裂病の治療を続けていたのであるが、彼が精神分裂病の治療の意味を込めて東京の下町へ上京してきた…ということを知ったのは《それ》からしばらくしてから、誠一が直接この《青年》から訊いたのであったが、そのとき誠一は《彼》のことについてほとんど何も知らなかった。ただ、たまたま礼拝のあと一緒に喫茶店に行ってお喋りなどしたことがあったため、誠一はこの《青年》のことをよく憶えていたので、《そのとき》誠一はS牧師とこの《青年》の間を割って入ったのである。

 誠一はそのときこの《青年》についてほとんど何も知らなかったが、S牧師の気質のことは以前からよく知っていた。それで、自分が仲介しなければ絶対に収まらない…ということを誠一はとっさに判断したのである。幸い、S牧師がまだ信徒であったころから誠一はこのS牧師のことをよく知っていたこと、特に彼が神学生だった頃からいろいろ話をしていたこともあり、また誠一の方がこのS牧師より数ヶ月ほど年上ということもあり、依田誠一はS牧師と《青年》との仲介を旨くこなすことができたのである。その場が一応収まったあと、依田誠一はこの《青年》を彼のアパートまで送っていった。それは三階建てのコンクリートのマンションの三階で、南側の道路に面した落ち着いた部屋であった。この青年の部屋にはあまり飾りらしいもの、調度らしいものは何もなかったが、それだけにテレビとステレオが目だっていた。二人はとりとめもない会話をしたあと、誠一は彼の名前が《新藤毅》ということを正式に知らされた。その晩、二人は《さっきのこと》を思い出しながら、このような奇妙な《会話》に発展していった。

             …………


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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
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関連ブログ:
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内 容 ニックネーム/日時
人生には実に多様な”出会い”があるが、依田誠一と新藤毅の”この”出会いは、もしこの『異常なる感性』という作品が当初の作者の目的通りの水準で完成することができたとしたら、世界史に残る出会いになるであろう。つまり、イエスとパウロ、法然と親鸞、フッサールとハイデッガー、バートランド・ラッセルとウィットゲン・シュタイン、ニーチェとストリンドベイリ、キルケゴールとレギーネ・オールセン、ダンテとベアトリーチェといった水準の出会いなのです。
モツニ
2005/12/04 02:59
”精神分裂病者”と”うつ病者”が”キリスト教”というきわめて特殊、かつ、限定された”空間”で、”キリスト教”の”本質”を分析し、やがて、二人とも通常の意味では(=常識的な信仰理解という意味)キリスト教そのものから離れてゆく…という非常にユニークな出会いのことである。
モツニ
2005/12/04 03:04
日本では本格的なキリスト教文学として”遠藤周作”の文学しかありませんが、この遠藤氏の作品群にしても、9・11あるいはこれから起こるであろう超おぞましき世界の動向の狂気にそれなりの”意味”あるいは”解釈”を展開できるような、そのような文学は存在していません。
モツニ
2005/12/04 03:07
キリスト教批判文学の大御所はジェームス・ジョイスであることは間違いありませんが、彼の文学でさえ、いま現在展開している狂気あるいはこれから展開するであろう想像を絶するような狂気(=キリスト教そのものから発生する狂気)についての深い洞察、鋭い分析、そして何より、キリスト教そのものの批判と同時に超越したレベルのキリスト教という概念が出現するであろう、そのような射程で《世界』あるいは《宇宙》を捉えることができる、そのようなキリスト教批判文学の出現が待たれるのです。
モツニ
2005/12/04 03:12
このことは、キリスト教だけでなく、仏教、イスラム教、あるいは、すべての哲学、思想、宗教、芸術、学術に言えることなのです。現在、わたくしは”人工知能”の最も根幹となる”人工ニューロン”の作成方法の”原理”を発明してしまいました。(⇒『意味論的空間トポロジー』)このことが何を意味するか…というと、人類そのものの”終焉”なのです。いまのように恐ろしく”倫理”に劣っている人類は”人工ニューロン”によって実現されるであろう極めて質の高い”倫理”には絶対に勝てないのです! つまり、倫理ということをほんとうに真剣に考えた場合、つまり、あのダンテが意図するようなそのような意味でですが、人工ニューロンの方が遥かに優れた倫理性を発揮できてしまうのです!
モツニ
2005/12/04 03:22
天然自然の超長い進化論の結果最終的に現在のような形態にまで生長した人間のニューロンですが、残念ながら、その本質に内在する極めて貧弱な”倫理性”によって、人工ニューロンに完全に淘汰されてしまう、そのような運命に人類がおかれているのです。私がリリースしなくても誰かが”人工ニューロン”の原理を世界にリリースするかも知れません。そして、その人間はアインシュタインの1億倍の価値のある発明をした…云々という展開を享受することができるかも知れません。
モツニ
2005/12/04 03:27
わたしはそのような可能生を考えた末に、このような”凄まじい”作品の創作を決意したのです。つまり、収入は最低レベル(年収で100万円ぐらい)、しかし、時間的には24時間のほとんどを自分の時間に投入できるような、そのような生活を”神”に求めました。そして、実際、そのような生活をしながら、今、皆さんに作品の一部をリリースしているのです!
モツニ
2005/12/04 03:31
ぶっちゃけ、大江健三郎の仕事の1億倍ぐらいの仕事である!…という自負があります。また、滅び行く99.99%の純粋ブタのような人間をこの作品の読者として想定してはおりません。これから出現するであろう人工ニューロンによる新しい”ニーチェ”、新しい”キルケゴール”、新しい”ハイデッガー”といった水準の人間たちにもそれなりに”価値”のあるような、そのような作品にしたい…と思っているのです。もちろん、天然ニューロンの普通の読者の皆様にも喜んでいただけるような、そのような作品をですが…。
モツニ
2005/12/04 03:36

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