哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《魂の食事》

<<   作成日時 : 2005/12/03 14:43   >>

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二 魂の食事

 少年には二才年上の重度の精神薄弱の姉がいた。しかし、そのことは少年のこころを暗くすることなく、むしろ《多感な時代》に多くの《恵み》をもたらした。

理解することも、喋ることも出来ない《姉》の手を引張って一緒に登校したこと、
どこかへ行ってしまった《姉》を皆で夜遅くまで捜し回ったこと、
苦しい家計を少しでも助けようと毎日毎日夜遅くまで《裁縫》をしていた《母》、
子煩悩で子供たちをよく《公園》につれていって《遊》んでくれた《父》、
姉のことでいろいろな《施設》を探しまわったり、
姉のことで《大学病院》へ連れて行かれたこと、
近所のひとびとに《軽蔑》されたこと、

 断片的にではあるが少年は多感な時期にそのような貴重な《体験》を少しづつ学んでいった。

 少年の《父》は激しい気性であったため、何かおもしろくないことがあると、すぐ子供たちに《八つ当たり》して暴力を振うこともあったが、概して子煩悩であった。また、ときどき《癇癪》を起こしては《バリカン》で姉の頭をおもいきり《殴》っていたこともよくあった。しかし、少年はそのことで《父》を憎むとか、歎いたりするようなことはなかった。少年はすでに《父親》が《気の毒》な人間である…ということを本質的に知っていたからである。

             ………………

 やがて少年がちょうど四年生のとき、どのような紆余曲折を経てその施設に預けてもらえるようになったのかは知らないが、伊豆の大島に《藤倉学園》という精神薄弱者の面倒をみてくれる有名な施設があり、少年の《姉》はそこに世話になることになり、少年とその家族全員は《竹芝桟橋》から《東海汽船》で《大島》まで行くことになった。苦しい生活を送っている家族にとって、《船旅》はうれしいはずだが、年端のゆかない子供たち、何もわからない《知恵送れの少女》、自分の娘を《捨てに行くような》心境の母、《感受性が十分に発達しておらず》自分の娘がこれからどういう《境遇》におかれるのか…ということの意味さえ理解していない《父》など、そのときの少年の家族ひとりひとりにとって、その《旅》がいったいほんとうに嬉しいものだったのかどうか誰にもわからない。ただ、少年にとって《その旅》は一生忘れることができない《旅》であったことだけは慥かだった。

 当時、竹芝桟橋から大島へ行く汽船は《たちばな丸》、《あわじ丸》、それに《きく丸》の三つがあり、東海汽船から就航していた。その夜の八時ごろ、少年とその家族が《竹芝桟橋》に着いたとき、桟橋には《あわじ丸》が既に横付けされており、赤、黄、橙といった様々な明かりを周辺一帯に輝かせながら停泊していた。少年と家族は間近に停泊している船を桟橋の待合質から眺めながら、みんな乗船開始の合図を待っていた……。

 やがて、改札が開き、少年は切符を切ってもらい、鎖で吊し降ろされた階段を上り、デッキの上を螺旋階段に沿ってぐるぐる歩き回り、廊下の脇にある階段を降りて、漸く畳席の《大部屋》の一角に少年とその家族は身の置き場所を見つけた。その大部屋の風景は、まるで台風から難を逃れ、《簟(むしろ)》の上で不安な一夜を過ごしているようなそんな《風景》とちっとも変わりなく、少年とその家族は全員疲れていたため避難してきた家族さながらそのままぐっすり寝りに沈んでいった…。

 翌朝、四時ごろ、《あわじ丸》は大島に接近しているところらしく、また邊り一帯は《薄靄》と《闇》に覆われ。黒々とした島影が大きく船のまえに横たわっていた。海の《匂い》と浪の《音》にすっぽり包まれ、《海鳥》の鳴き声がしきりに船の周りを旋回しながら、高く、あるいは低く、近づいたり、遠ざかったりしながら、まるで船を港まで案内してくれているかのような光景に少年はすっかり我を忘れて《興奮》していた。やがて、あたり全体が少しづつ明るくなるにつれ、島全体が急に緑色に浮かび上がるようになったかと思うと、山の中腹やら港の周辺やら島のあちこちに家並みが見えるようになってき、少年はもうその頃は夢中になって《風景》、《香り》、《音》、《皮膚》を伝わって全身をなでる《空気》など《旅》そのものを全身で味わっていた。はじめての《船旅》、刻一刻と微妙に変化しつづける《早朝》の島の《風景》、澄み切った海の《匂い》、《波の音》、《船の振動》、ああ! 少年には何もかもが《素晴らしく》、幸福の《絶頂》だった。

 やがて、船は逆エンジンを噴かし大きく旋回したあと、エンジンを止めゆっくりと桟橋に横付けられ、がやがやざわめきながら他の大勢の客たちと一緒に少年とその家族は船のタラップを降り、コンクリの桟橋をそのままずうっと歩きながら、やがて桟橋の待合室で休憩した。待合室のなかには売店があり、色とりどりのみやげもの類、雑貨類等の生活必需品、それに大島特産の《牛乳》がところ狭しと並べられており、少年の母は自分と自分の子供たちに独特の細長い牛乳瓶に入った《牛乳》を求めた。ああ! なんて《おいしい》牛乳だったのだろう! ああ、《貧しさ》、《苦しさ》、《悲しさ》、《切なさ》そんなことなど何もわからない子供たち。《姉》のことで《頭》がいっぱいの《母》、何を考えているのか自分でも分からない《冴えない》父親。そんな少年の家族にも《あのような》想像を絶するような《恵み》が豊かに注がれていたなどと誰が想像できただろうか。

 少年を含む一家六人は桟橋の休憩所でひと休みしたあと、バスで《藤倉学園》へ向った。途中、道の右側には緑が青々とした山林の木々の小枝が迫り、左側には大きく口を開けた《断崖絶壁》がすれすれに迫るなか、バスは速度を緩めることもなく、くねくねと急カーブを繰り返しながらしだいに《三原山》の中腹へと向い、やがてひんやりとした森のなかに入ったころ、まもなく《椿》の林で覆われた道の傍らにあるひっそりとした《停留所》で少年と家族はバスを降りた。

 まだ朝の香りが残っている椿林の中をさまざまな鳥や烏の囀りを聞きながら、学園の正門を目指し、火山性特有の砂利っぽい《砂地》を踏んで、ゆっくり歩いていった。学園に近づくにつれ、園児たちが掃除をしている姿がぼつりぽつりと目に入るようになり、また園児たちにまじって背の低く腰の曲がった《みすぼらしい》老人が野良作業らしき仕事をしている姿が見えた。学園は三原山の中腹あたりにあり、広々とした見晴らしの良い場所を占めていた。《椿》、《梅》、《桜》、《櫟》など大小さまざまな木々に囲まれ、《乳牛》、《役牛》、《七面鳥》、《鶏》、《豚》、《兎》などさまざまな動物たちが飼育されてい、ここを訪れるさまざまな人々に温かい雰囲気を与えていた。少年と家族が学園の玄関に近づくとき、少年の母は男子の園児たちが竹帚でまるで嘗めたようにして庭の隅々まで綺麗に掃除してあるのを眺めては、しきりに関心しながら
「お前、ほら、あんな子供たちでもちゃんと掃除しているんだよ」と少年に言い訊かせていた。少年は辺り一面に落ち葉がくすぶっている《香り》を胸一杯に嗅ぎながら、いつか田舎のお寺にいったときのあの空気の《匂い》を思い出しながら、
「うん! えらいね」と頷いた。

                ……………

 やがて、少年とその家族は全員《応接室》に通された。茶色のソファが二つ《ニの字》を描くように配置され、部屋の内壁の上の方には園長先生らしき人物の若い頃の写真が飾ってあった。特にこれといった特徴はなく、普通の学校の校長室と何等変わるところのない《風景》であった。ややあって、女性の職員のひとりが「もうすぐ園長先生が来ますから、少しお待ちくださいね」と言うと、少年の《父》も《母》も一言も喋らず部屋の中をなんとなくぼんやり眺めていた。質素で落ち着いた雰囲気の中、少年とその《弟》は腕を絡ませて遊びながら《退屈凌ぎ》をしていると、みすぼらしい黒の背広を着た柔和な顔の園長先生が応接室に入ってきた。少年もその《母》も、まさか《あの》野良仕事をしていた《あの》老人が園長先生だったとは夢にも思っていなかったが、後になって少年の《母》は少年に何度も何度も《そのこと》を繰り返し聞かせてたのであった。少年にとって、畑で子供たちと一緒に働いていた《あの》老人が園長先生だった…というその深い意味はわかるはずなかったが、少年の《母》はそのことの意味を少年に何度も何度も聞かせたので、やがてその園長先生というひとがどれほど凄い先生だったのか…ということが少年のこころにも次第にわかってくるようになっていったのである。

           ………………

「これは、これは、わざわざ遠くから大変だったでしょう…」と言って、園長先生は少年の《父》と《母》に挨拶をし、
「どうか宜しくお願します」と少年の母は応えた。
少年の父と母は《パパ》と呼ばれている園長先生からいくつかの質問を受けていたが、少年の父は何をどう答えていいかわからない様子で殆ど《無口》で通し、また少年の母も口では声を出して答えているが、園長先生がほんとうに聞きたがっているポイントが何処にあるのかわからない様子で喋っていた。子どもたちは全く何がなんだかわかっていないので、ただただ応接室の中を眺めたり、手や指で遊んでいたり、母がもってきた小物入れに手を突っ込んでは何かおもちゃ代わりにいたずらをしたりしていた。このような場合、いつもならすぐ父親から《拳固》をもらうところだが、そのときは少年の《父》も《母》もあまり注意はしなかった。

 やがて、園長先生は少年の《姉》の《表情》や《躰》の動作など一連の《観察事項》を整理してノートに書き付けてから、
「わかりました、《娘さん》はここで預かりましょう。どうかご安心ください。ここには百人近くの園児が収容されていますが、皆さんおとなしいこどもたちばかりですから、お宅の《娘さん》もきっとすぐになれますよ…」と言って少年の《父》と《母》を安心させた。少年の父も母も黙って園長先生の指示にしたがって《面会》のこと、《差し入れ》のこと、《緊急時の対応》のこと、東京都庁でいくつかの《手続き》が必要なこと…などを聞いていたが、やがて看護婦さんがやってきて園長先生に何か園児のことを耳打ちすると、園長先生は
「それでは《娘》さんのことは承知しました、どうぞご安心ください」と言ったまま、静かに看護婦さんと一緒に廊下に出ていった。少年とその家族は少年の《姉》を含め、しばらく応接室に残されていたが、それは少年の家族が最後のひとときを過ごせるように…との学園側の配慮であった。そのあと、応接室には少年とその家族のために昼食が運ばれてきた。小さなコッペパンにマーガリンが少々、薄い味噌汁、それにジャガイモのおかずが少しだけ添えてあった。少年の《父》をはじめ家族のものはみんな食べたが、少年の《母》だけはどうしても食事に手をつけようとしなかった。少年はまだほんの子どもだったから、《親》にとって《子ども》を遠くの島にある《学園》に預ける…ということがどんなことを意味しているかまったくわからなかったのである。少年はあとで《母》がこう言ったのを思いだした。
「あのときから、ずうっと何ヶ月もご飯が咽喉に通らなかったんだよ。思い出すと《胸》が一杯になってしまってね」と。

限りなく《貧しく》、限りなく《質素》、それでいて限りなく《豪華な温かさを感じさせる》、ああ! 少年とその家族にとって、《それ》はまさに文字通り《魂の食事》であった。

                ……………

 少年にとってそれが《旅行》であったのかそれとも何であったのか、それは誰にも分からない。ただ、その出来事を通して《多感》な少年は多くのことを学んだことは事実であった。あのみすぼらしい《老人》がどれだけ優れた人間であったのか…、それは当時の少年には理解できなかった。しかし少年はあの学園で《礼拝》が行われていたことには気づいた。もちろん、それがどういう亊を意味しているのかがわかるには、尚、多くの歳月が掛かったことも確かである。

 また、親が自分の子供を遠くの施設に《預ける》ということがどんなに《辛い》ことであるか…ということを知るようになったのもずうっと後のことである。しかし、大切なことはそのときわかる…ということではなく、そのような《経験》あるいは《体験》をする!…ということなのかもしれない。

 かつて、少年は《夢》の中で不思議な《老人》と出会い、人生の意味を尋ねた。その答えは《謎》であったが、それでも少年はどのような《問い》が正しい問いなのか、漠然とではあるが学んだ気がしていた。いずれにしても、この少年は他の少年たちと違って子どものころから《人生の意味》、《死の意味》、《死後の世界》についての《異常》なまでの《好奇心》に満々ちていたのであった。

 この少年こそこの物語の主人公のひとりである《依田誠一》の幼いころの姿だったのである。わたしはこの《依田誠一》の友人であるがなぜ彼について知っているか…というと、依田誠一君が精神分裂病で療養しているときの主治医から彼のことを訊いたからなのである。ただ、残念ながら直接には本人と会っていないので彼がどのような《内的生活史》を実際に歩んできたのか、その深層はわからないのである。

 私はこの《不幸》というか、《変わった》というか、その人物のことを彼の担当の主治医から訊くにつれ、実に多くのことを《驚愕》をもって《知る》ようになっていったのである! これから展開するこの《物語》はすべてこの《不思議な》人物について私が聞いた話をもとにして生まれたものであるが、依田誠一君以上に《不幸》な人物、すなわち、もうひとりの主人公である《新藤毅》君についてもいずれ触れなければならない。しかし、新藤君についてはこの《物語》の中で徐々にその《内面》の《姿》を紹介することにしてこの非常に長い《物語》を始めることにしよう…。


                ……………

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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
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関連ブログ:
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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
この部分こそ最も”回想”に相応しい箇所かもしれません。実際にあった話をほとんど事実通りに忠実に再現したものです。もちろん、人間の回想ですから”完璧”ではありませんが、それにしても小学生4年生ぐらいになると人生についてのいろいろなことを実際には”体験”していることを、今、このように自分で自分のことを回想してみて、つくづく感じるのです。
モツニ
2005/12/03 14:54
”川田貞二郎”先生のことについてはその著書というか”回想録”がある筈ですが、残念ながら自分の家にもずうっと置いてあったのですが、いつの間にか紛失してしまいました。しかし、藤倉学園に行けばその自伝は必ずある筈ですから、もし必要であれば藤倉学園に是非たち寄ってみては如何でしょうか。
モツニ
2005/12/03 14:58
藤倉という会社は今では押しも推されもしない”フジクラ”という大会社になっていますが、当時は”藤倉電線”という会社だったんです。今では光ファイバーとか、いわゆる”情報伝達”の”インフラ”の要を担う非常に重要な会社ですが、その当時から(30年、40年まえから)、経営者たちはお金儲けだけでなく、社会的な事業のためにも資金を用いていたことがわかります。当時の大島の広大な敷地をそれなりのお金で購入し、全国でもユニークな精神薄弱者のための学園施設を運営しているのは事実として把握しても宜しいのではないでしょうか。
モツニ
2005/12/03 15:03
これまで、どちらかと言うと、”会話”だけで成立させていた作品ですが、この部分は”風景描写”、”場景描写”が中心の作品の部分です。作家が自分の才能をどれだけ披露させることができるかは、自然風景、人物風景、内面風景、そして、対話のそれぞれの要素が、全体構成とストーリーの流れにミックスさせ、ひとつの”統合体”、”重合体”、”ポリペプチド”を創ることを意味するのですが、そういった意味でも、風景描写といったものも重要な要素の一部分ではあるかと思います。
モツニ
2005/12/03 15:07
敢えて、このような回想をこの部分に置いたこと自体、暗黙に”キリスト教”との出会い…ということの”伏線”でもあるのです。つまり、実際に大島の《藤倉学園》を訪れればわかることですが、キリスト教の礼拝が行われているのです.別にそのことが”いい”こととか”わるい”ことといった意味あいではなく、誠一という少年がなぜ早い時期に”パスカル”という思想家に出会ったのか、そのヒントがこの《藤倉学園》の訪問物語にあるのかも知れません。
モツニ
2005/12/03 15:12
金銭的な”貧しさ”と”精神的な”豊かさ”とはある意味で相補的な関係にあるのですが、この”魂の食事”と触れ会う箇所が”Ωの輝き”の”遊園地”の風景の描写にも現われていいますから、この”魂の食事”と”遊園地”とを対比させてお読みになると、誠一少年がいかに精神的に”豪華”な時代を過ごしてきたか…あらためて”驚愕”をもって眺めることができるのではないでしょうか。
現在完全に消滅してしまった”原風景”あの貧しかった頃の風景! あれが、どれだけ物凄い価値があったのか、そのことの深い意味がわかる人間は非常に少なくなってしまっているのも事実なのです。
モツニ
2005/12/03 15:31
私(モツニ)は、戦略的に”Ωの輝き”、”饗宴”そして”回想”という全くの逆の順序で作品をリリースしてきたのは、読者の大半がこの作品を一回だけ読んで、その後は忘却の彼方へ消えていってしまうようなそのような大半の読者ではなく、二回、三回と反復してこの作品の本当の”凄さ”、”深さ”、”鋭さ”、”遠謀さ”、”超越性”、”スーパー超越性”といったことがらまで踏み込んで”楽しんで”頂ければ…と考慮してリリースさせて頂いていることを、ここで”始めて”申しあげておきましょう。
モツニ
2005/12/03 15:36
その意味で、他の関連作品、とくに『信のたわむれ』、『知のたわむれ』、『覚のたわむれ』、『現代のたわむれ』といった一連のシリーズはこの『異常なる感性』とい超長編を理解する上できわめて重要な補助作品であることを申しあげておきましょう。
モツニ
2005/12/03 15:39
現在、巷で賑わいを見せている実にさまざまな”ブログ”は、時期がくれば、夏の”蝿”や”蚊”とおなじように完全に消滅してゆくことでしょう。しかし、この『異常なる感性』という作品は、『神曲』、『ドンキホーテ』、『カラマーゾフの兄弟』、『ファウスト』、『ユリシーズ』、『フィネガンス・ウェイク』、そして『失われた時を求めて』といった一連の作品と同じように《不滅の輝き》を放つよう”命掛け”で執筆に取組んでいるのです。
モツニ
2005/12/03 15:45
また、作品のこの部分だけを取り出しても、ひとつの”単品”として楽しめるよう、考えております。というのも、本格的な”思想”を要求する部分のみで構成されてしまうと、多くの文学ファンの失望を招いてしまうことも考えられるからです。問題は現在のように超つまらない文学では問題がありますが、その逆に、ニーチェ、ソシュール、キルケゴール、ハイデッガーのレベルをクリアできなければ読めないような作品ではある意味で”失格”でもあるわけですから、そこのところが”作者”としてはどのように”折り合い”をつけてゆくのか…そのへんがポイントといったところでしょうか。
モツニ
2005/12/03 15:50

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『回想T』 《魂の食事》 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
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