哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《存在の奥義》:前半

<<   作成日時 : 2005/12/02 08:28   >>

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第一章 『回想T』

一 存在の奥義

 邊りは陰々としており、茶褐色の湿った岩肌が時には広がり時には閉じるように、鈍い不気味な襞となって大きく回転しながら迫り、薄ら肌寒いような生温かいような独特の妖気が薄暗がりに漂う中、少年はゆっくりゆっくり確めるようにして洞窟の奥へ、奥へと進んでいった。不思議にも少年は灯をもっていない。時折あらわれる天上岩の突起を首をちょっと横に傾け巧みにかわしながらゆっくり、ゆっくり、更に奥へと深く歩んでいった。ぞくぞくっとするような、なんとも言えない悪寒を感じながらも、甘美な誘惑にも似たような倦怠い快感に包まれ、少しづつ、少しずつ、本能的に目指す場所を察知しているかのごとく、ゆっくり、ゆっくり着実に歩みを進めていった……。

 やがてあたりは甘酸っぱいような、むわっとするような妖気に変わっていったと同時に、今までの難い岩肌がしっとりとやわらかくなって、しだいしだいに少年を圧迫していったが、少年は息を詰まらせながらそれでもなんとか前へ進んでいった……。

 洞窟はますます細く、滑らかになってゆき、とうとう少年はこれ以上立って歩けなくなり、やわらかく汗ばんだ岩々の肉壁に身を滑らすようにして、目的の場所へと身躰をくねらせながら這って行くと、やがて向こうから滑らかな丸い小さな空間のような空洞が現われ、そこに身躰をこじ入れた、と同時に洞窟の奥行きが突然広がり、みるみる前面に小さな空間が開けてきた……。

 あたりは薄暗く、壁は碧っぽく、大小さまざまな岩がかたちよく配置され、向って右側の奥まったところに長老が小さな岩を椅子にして掛けていた。長老の左右の揉上げはそのまま顎鬚となって両方の頬を覆い、やや少なめの口髭とは対照的にちから強さを印象づけるとともに、奥まった眼底には年齢とは思えないほどの黒ぐろとした、しかし柔和ではあるがひとを見通すような瞳が覗いていた。あたりはひっそりとしておりあたかも悠久の時間が流れているようであった……。

 まだ少年が生まれるずうっと前からこの少年を知っているかのように、この老人は懷しそうに話しかけてきた…。
「息子よ、おお、よう来た。よう来た」と言って、長老はそっと少年に近づいて抱擁し、
「まあよい、まあよい、わしはずっとお前がここに来るのを待っていたんじゃ。どうだ長い旅じゃったか?」と言って少年の肩を軽く叩いた。
「ぼくがなぜここに来たのかわかりません」と言うと、少年はなんだか疲れが急に全身に回ったように感じられ、軽い目眩がした。が、すぐ気を取り直しこう言った。
「なんだか、一度ここへ来たような気がします。慥かに以前ここに来たような気がします」と、少年は全身に倦怠い疲れを充満させながら、なんとかそれだけを喋った。

 「おお、そうそう、わしはお前にいいものがあるが、その前にお前は疲れているようじゃからしばらく休むがよい」と言って、老人も少年に合わせるように、杖を横に置いて暫らくゆったりと休んだ。

 あたりは、以前にも増して悠久の時間のなかに包まれていった。まるで、ここから《時間》が湧いているようなそんな深く、厳かで、しかも独創的で創造的な《空気》が一面に立ち込めていた…。まるですべてのものが、一瞬、一瞬、この場所で創造されているかのような、《鼓動》、《流れ》、《唸り》といったもの、すなわち《生命》そのものが《躍動》しているようなそのような《律動》がそこにはあった。

             ……………

 「なぜ、ここに来たのでしょうか。ぼくはここに来る必要がない人間なのに?」
少年はここへ来るときからずうっと不思議に思いながら、つぎから次ぎへと新しい疑問がまるで雨のようになって自分のこころに降りそそぐのを感じていた…。

「慥かにお前はここに来る必要がない人間じゃ。じゃがのう、多くの不幸な子供たちがいてのう、わしも、実際、その子たちをここに呼び出して、その小さな傷ついたこころをここでゆっくり療し、もう一度新しいこころで人生の旅路を出発させてあげたい…と何度思ったことか。しかし、大いなる方はいっさい口を堅く閉ざしたまま答えてくださらんのじゃ。だが、かのお方はお前をここに呼べとおっしゃった。それでお前は今ここにいるのじゃ」と、老人はさも興味ありげに少年のしぐさや態度に注意を注ぎながら、静かに語りかけた。

             ……………

「おじいさん! おじいさんはいったい誰なの? ぼくの家にはおばあちゃんがひとりいます。でも、おじいさんは誰のおじいさんなの?」と少年は不思議そうに訊ねた。
「わしか。このわしは大人からは《人生の謎》と呼ばれているがのう、子供たちや大人たちの疑問や質問に答えてあげるのが仕事の《なぞなぞ》じいさんじゃ」
「へえー。それじゃ何でも答えてくれるの?」と子供は不思議そうに訊ねた。
「そうじゃ、なんでもじゃ。どんな疑問でも、どんな質問でも、なぞなぞでもいいぞ。その代りあまりつまらない質問ばかりだとここから追い返してしまうぞ。いいか、わかったな」と老人は子供の頭をなでた。
「じゃあ、聞いてもいい?」と子供は無邪気に老人を見上げた。
「いいとも、どんなことでもじゃ」と老人はやさしく子供に答えた。
「じゃあ、鶏と卵はどちらが先だったの?」
「息子よ、なかなかいい質問じゃ。お前は自分ではどちらが先だと思うか?」
「そんなの、ずるいや。ぼくが質問しているのにぼくに聞くなんて」
「いやいや、あとでちゃんと答えるがのう、わしゃお前の考えがちょっと聞いてみたかっただけじゃ」と老人は少年の顔をにこにこしながら窺った。
「それじゃ言うよ。ぼくはね、鶏が先だと思う」と少年ははっきり答えた。
「どうして鶏が先だと思うのじゃ」
「よくわからないけれど、もし最初に卵が先なら、その卵がかえって、おおきくなって、ちゃんとした鶏になってつぎの卵が生まれるようになるまで、ずうっと誰かがめんどうをみなければならないでしょ。だって、その時はまだ鶏がいないんだもん。けれども、その卵にはお父さん鶏もお母さん鶏もいないんだからきっと誰かに食べられてしまうよ。だって誰も親切に卵さんのめんどうをみる動物なんていないもん」と少年は済ましている。
「息子よ、なかなかよろしい。実は鶏と卵は一緒に《存在》するようになったのじゃ」
「《存在》ってなあに?」
「ああ、息子よ、わしがわるかった、そんな難しい言葉をつこうてのう」と老人は言葉を選んで答えた。
「大いなる方は、最初に鶏をつくったのじゃ、そしてその鶏のおなかのなかに一緒に卵を入れておいたんじゃ。だから卵が先でも鶏が先でもなくて、鶏と卵が一緒だんじゃよ」
「ふーん、そんなの知らなかった」と子供はまだ納得していないようだった。
「まあまあ、息子よ、そんな難しく考えるな。それより何か違ったことを訊いたらどうじゃ」と老人は目を細めて少年に促がした。
「じゃあ、また聞いていい?」
「よし、よし、何でもいいでの」
「ねえ、おじいさん、人間は電車とどこが違うの? 人間も電車も両方とも自分で動くのに?」と少年は老人を試してみようとした。
「さて、さて、賢い息子よ! お前は自分ではどう思うのか?」
「あっ、またそんなのずるいや。だってぼくが聞いているんだよ」
「いやいや、いいか、息子や、どんな質問をするにもまず自分で一生懸命にそれを考えて、それから質問するのじゃ。いいか、そこをようく覚えておくのじゃぞ。皆がわしのところへ来ようとしておる。しかし、ほとんどの人間はわしのところへ来ることが出来ない。なぜか? それはじゃ、自分で何も深く考えないで、わからなくなるとわしのところへ来ては答えだけを求めようとしておるからなのじゃ。わしには全部そのようなやつらが何を考えておるか判っておる。よいか息子よ、そのような人間になってはならない。何事もすべてまず自分でようく考えて、考えて、考え抜いてそうしてからわしのところへ来るのじゃ。そうすれば、いいか、それぞれ自分で苦しんで考えた分だけわしはその答えを教えてあげるからのう。わしは、かの大いなる方にそのように命じられているのじゃ。わしは同じ質問に決して同じ答えですべての人間に応えるようなことはしないのじゃ。よいか、愚かな人間は愚かな質問しかできない。これを愚問というのじゃ。なぜ愚かな質問しかできないかというとじゃ、そのような人間はそのようにしか生きていないからなのじゃ。けれど、一生懸命に生きている人間は必ず真剣な質問をする。そして、たとえその時は答えが見つからなくて苦しむかもしれないが、きっと最後には自分で、よいか、ここが肝心なのじゃが、最後は自分で自分だけの答えを見つけることができるでな。息子よ、よく訊くのじゃぞ。もしも仮に同じ質問があったとしてもだ、すべての人間に当て嵌まるような答えなど宇宙のどこを探しても見つからないようになっているのじゃ。ここが肝心じゃからのう、よう注意して訊くがよい。いいか、もう一度繰り返すが、人間は真剣に生きようとすればするほど、必ずわからなくなってくるのだ。そして、《疑問》、《不安》、《苦しみ》、《悲しみ》が雨や嵐のように襲ってくる。すると、人間の《こころ》は荒れ狂う怒涛の逆巻く大海原のなかのたった一艘の小船のように揉みに揉まれ、《痛み》、《傷つき》、《混乱し》、なにがなんだか全然わからなくなってくるのじゃ。すると、人間の《こころ》はこう叫ぶのじゃ。ああ! そんな悲しいことがあっていいのか。 そんな怖ろしいことは厭です。ああ、そんな恥ずかしいことは厭です。経験したくありません…とな。とうとうその苦しみは場合によってはお前を《どん底》にまで運んでいってしまうことだってあるかもしれんのじゃ。けれど、お前が自分で苦しんで、苦しんで、苦しんで、とうとう最後にお前だけの《答えい》を自分で見つけることができたとき! かの大いなるお方はお前たちが生まれる前から、必ずその《答え》を見つけることができるよう計画されておるのじゃが、お前はもう永遠に《滅びる》ことはないのじゃ。よいか、どんなに辛くとも、いつもいつもしっかりと自分の足で歩き、自分で質問をし、自分で考え、自分だけの《答え》を自分で見つけることができるよう、そのように努力するのじゃ」



               …………………


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第一章 回想T
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
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内 容 ニックネーム/日時
第一章のこの部分は第三章の”Ωの輝き”と間接的にリンクされています。この少年こそこの長編小説の主人公のひとりである”依田誠一”の幼いころの姿である訳ですが、この部分は”内的生活史”、”史的生活史”といった意味あいであり、フロイトおよびユングの心理学および精神分析学がそのベースとなっています。この部分は別に”夢”でもありませんし、第三章のような”幻想”でもありません。ただ、少年の非常に幼い時期の思い出を回想させようとした場合、このような”文学的”な場所を設定しなければなかなかイメージとして雰囲気が出せないため、あたかも、誕生の逆のイメージでの古代回顧といった世界を創りだしたわけなのです。
モツニ
2005/12/02 08:42
ここに出てくる”老人”は別に”神”ではありませんし、何か特別に才能とか権力とか権限といったものを持ち合わせているような存在ではありません。しいて言うならば、著者の”声なき声”、”良心の声”、ハイデッガー流に言わせれば、”人間のλογοσ”つまり根源的な”収集”そのもの、”ピュシス”そのもの、”アレーティア”そのもの、”決して没することのないもの”といったような意味合いと考えてもらえれば結構です。
モツニ
2005/12/02 08:47
24000ページにわたる超長編小説は最後にこの洞窟の場面に戻ってきます。そして、今度は誠一ではなく、あどけない”少女”がこの”謎の老人”に質問をするところですべての物語が終了します。このようなスタイルで作品を展開するのは、あの有名なゲーテの『ファウスト』の創作の場合と似ています。つまり、数十年掛けて完成させる…というスタイルです。要はすべてのイメージが完成する前に出来あがっているという創作スタイルです。
モツニ
2005/12/02 08:51
また、この”存在の奥義”の後半で述べられている《左の世界》、《右の世界》、《上の世界》、《下の世界》、《内の世界》、《外の世界》、《近くの世界》、《遠くの世界》…といった諸々の世界の詳細が精神分裂病の世界のことなのです。つまり、この節そのものが24000ページの小説のマスター・インデックスの一部分にもなっているのです。
モツニ
2005/12/02 08:56
最初の部分を読ませていただきました。とても面白く読ませていただきました。でも、むずかしいのと長いので・・・・・・読み進むのが少し後になろうかと思います。   それと共に、モツニさんの健康を心配しています。神様の支えを祈っています。主イエス様がモツニさんを癒し、平安をあたえてくださいますように!
ハリー
2006/01/05 12:07

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