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zoom RSS 「モツニ、自らを語る(その3)」

<<   作成日時 : 2005/12/28 12:56   >>

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先日、12月15日、体調不良のため王子の生協病院に検査入院したところ、末期の胃がんである旨を宣告されました。別に、驚くこともなく、失望することもなく、絶望することもなく、その事実をそのまま受け入れています。それにしても、末期の胃がんであることを察知するまで、その事実にまったく気づかなかったモツニとしては実に不覚であったことは否めませんが、これもまたある意味で運命ではないでしょうか! 現在、この瞬間、痛みと、吐き気の両方を堪えながらこの文章を書いているため、なかなかまともな文章になっていと思いますが、今回はお許しください! とにかく、この、超気持ち悪い”吐き気”には非常に悩まされています。ただ、私、モツニとしては”死”の瞬間まで、このブログを続ける予定ではあります。

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コメント(7件)

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何のための”哲学日記”なのか!
今、自分がこのようにして”死”そのものを宣告されましたが、そのような極限状況でも、普段と何等ことなることなく思索することができるのが、哲学者であります。そして、私は実際に”死”を覚悟していますし、仮に明日死んでも別に不平・不満はありませんが、それにしても、ブログの読者は何を考えているのかよくわかりません! ひとりの人間が、瀕死の状態でデータを打ち込んでいるそのことにまったく無関心なんですから…。でも、それが人間の本当の姿かもしれませんね。
モツニ
2005/12/28 16:23
ぶっちゃけ、実際に生きるか死ぬかの実に多くの人々は私、モツニのようにブログにデータを打ち込んでいるようなそんな状況ではありませんもののね!…というわけで、まあ、ブログの読者に対する愚痴は辞めにしましょう。
モツニ
2005/12/28 16:26
私は、中学高校時代に確かに胃腸が弱く、しょっちゅう吐いていましたが、それが大学時代に米国留学するようになってから胃弱が改善されました。たぶん食生活の関係かと思われますが…。その後、帰国後、数ヶ月はいわゆる”逆カルチャーショック”というやつで、胃弱が再発しました。さらに、徹夜の作業環境とか”酒”あるいは”たばこ”の嗜好等による、いわゆる生活習慣により、小豆粒ほどの”胃潰瘍”が数箇所発生しました。そのときは、”急性胃潰瘍”であったため、完全に節制すれば手術をしなくても治りますよ…といわれ、そのようにしました。そして、幸運にも胃潰瘍の手術はしなくてもすみました。それが、モツニが24歳ぐらいのときでした。
モツニ
2005/12/28 16:32
やがて、数年たって、第一回目の超強烈な”うつ病”に遭遇したことは『哲学日記』のあちこにすでに記載しました。いずれにして、第一回目のうつ病(30歳ごろ)と第二回のうつ病(41歳)のころ、自分の胃がどういう状態であるか厳密にチェックしなかったことはモツニの不覚であるといえばまったくそのとおり。で、今回、56歳になって、気づいたときは”末期胃癌”でした…ではしゃれにもなりませんが、現実です!
モツニ
2005/12/28 16:38
問題は、この深刻な現実を踏まえてどのようなブログをなおも展開できるか…というまさにそのことです。自慢するわけではありませんが、このような状態の人間がブログを打ち込むことを許されているというこのことそのものを”奇跡”的なことと解釈しております。心境は、アウシュビッツに送り込まれた一人の人間といったところですよ! でも、楽観も悲観もしていません、なにしろほんものの哲学者ですから、このモツニは。
モツニ
2005/12/28 16:43
生き物は必ず死ぬ。これは誰も否定できない事実です。日本で一番の長寿の生命体は屋久島の縄文杉で約3,000年と言われて居るようです。人間について言えば120年を越える人は居ないでしょう。父は49歳で胃癌で亡くなりました。自分も50前に死ぬのじゃないかと思っていましたから,もう予定以上の長生きになっています。生きた人間は必ず死ぬと言う現実を前にしてさまざまな宗教が生まれてきたと思います。仏教で言う極楽浄土もキリスト教で言う天国も自分の目では見た事も無く、有ればいいなとは願いますが無いだろうと思います。人は死んでしまえばおしまいよ!とお釈迦様は言いたかったけど、普通の人には解ってもらえないと思い、良い事をすれば極楽に行けるから沢山いいことをして極楽に行きなさいと言ったのでしょう。そして死ぬ事の恐怖を少しでも和らげてあげたかったのでしょう。仏教を極めた僧侶は生も死も超越してると信じたいです。自分では息を引取る瞬間に自分の人生はこれで良かったと思いながら逝きたいと思います。
モツニの弟
2005/12/30 01:04
私は、まだモツニさんに会えると信じております。どこでどのように会えるか分かりませんが、私は、モツニさんが好きでした。モツニさんの2.3ヶ月の写真「笑顔写真」も持っていますよ。この頃に比べるとなんだか不思議な気がします。ついさっきまで元気な人が・・・人間とは、何なのか?何のために生きているのか?考えさせられてしまいます。私は、今の仕事を好きではありませんが、生きていくすべとしてがんばっています。モツニさんとともに仕事をここ数ヶ月してきました。もしかなうならもう一度、仕事を一緒にしたいです。
ケイの伊藤
2006/01/02 17:18

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