哲学日記

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zoom RSS 『回想T』 《自問自答》

<<   作成日時 : 2005/12/11 23:02   >>

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八 自問自答

教会生活から離れることを決意した誠一は、いろいろなことを自問自答した…

《お前はそれでもほんとうに神の存在を信じているのか?》

自分は確かに神の存在を信じている。これは疑うことができない。

直接見たわけではない。声を聴いたわけでもない。触ったわけでもない。しかし、
この実感はどうすることもできない。

別に神の存在を否定するのが怖いわけではない。

逆に神の存在を措定するのが都合がいいという理由からでもない。

そうではないが、神の存在を否定することがどうしてもできない。

《現在のこの瞬間までのあらゆる局面を通し、お前は既に神の限りない恩恵を受けてしまっている…というこの現実、この事実、このことをこれからのお前はどのように生かして自分の人生を展開してゆこうとしているのか?》

自分がこれからどのように生きなければならないか? そのことを考えているのだ!

まさか、こどもたちを相手にこのままずっと《ままごと遊び》を続けるわけにはゆかないし、また、今 のような気持でこのまま教会学校の教師などつづけられるわけがない。ということは、これまでの  自分に対する神の恩恵を無駄にしようとしているのだろうか?

神に反逆しようとしているのだろうか?

神は自分にこれまでどんな仕打ちをしてきたのだろうか?

その反対に、私は神に対してこれからどのように接して生きてゆけばいいのだろうか?

《お前は何が不服なのか?》

何も不満などない!
しかし、神の存在を信じていながら神の存在を《否定》するような生き方しかできない自分がほとほ と《厭》になっていることも事実だ!

《それでは、お前はこれからどうするつもりなのか?》

わからない!

《お前は、自分が厭になった…と言っているが、人知れずこっそり罪に浸っているそのときのお前の姿は自分でも結構満足していたではないか!》

たしかにそうだ! それだからこそ、そういう自分が厭なのだ!

もし、自分に最初から《信仰》なんてものがなければ、そんなことで自己嫌悪に陥ることだってなか ったし、少なくとも《偽善者》にだけはならなくてもすんだはずだ!

神を《礼拝》し、篤い《祈り》を捧げ、骨身を惜しまず教会に献身していながら、それと同時にあらゆ る罪を平気で犯している自分自身が辛い。

それなら、最初から《恵み》から遠く離れた存在でいたかった!

神の存在を否定し、罪の中で力強く息をし、罪の滴りに酔い、罪の報酬として《罰》を受け、罪その  ものから来る《虚無》におののき、《絶望》のなかでのたれ廻る……

その方が《偽善者》の生き方よりまだ救いがあるのではないだろうか?

《お前は、神の存在を否定し、もう一度以前の罪の状態に戻ろうとしているのか?》

いや、そのようなことは最初から《不可能》なことだ。私に対する神の《恵み》は数えれば限がない。 それは絶対に不可能なことだ!

《では、お前は神にどうしてほしいのか?》

よくわからない!

《お前は自分で自分を偽っているのか?》

     ……………

《いや、別に言いたくなければそのままでよい…》

自分でもどうしていいのかわからない!

パウロのような優等生的な信仰生活などぞっとする!

現実の社会生活では常に偽っている! 神を信じているくせに、あたかも神とは関係ないもののよ うに振舞っている。その方が自分にも他人にも都合がいい。

かつて、神を述べ伝えるべく《福音》に燃えたことがあった。ああ! ひとりでも多くのひとが神の存 在を知り、神を愛し、神に全てを捧げるよう、教会学校で教え、伝道集会のために全力で奉仕を捧 げ、神の素晴らしさを全世界の人々に述べ伝えよう…と思ったこともあった。

けれど、そうすればそうする程、自己矛盾に陥ってしまった…

聖人君子のように完全に自己を制御することなどできないことなど知り過ぎていた。

最初からそのような愚かなことはしなかった。多くのこの世のひとびとがするように、上手に肉体の 要求を満たすことも心得ていたし、そのことに対しても罪の意識はなかった。

事実、そのようなことに関しては、ほとんど何の抵抗もなく自分自身を許すことができた。

しかし、数限りない《偽善》と《憎むべき》多くのことがらが、実際にキリスト教信仰の名のもとに、現 在、この瞬間瞬間、世界の実にほとんどの拠点で行われているこの《驚くべき》現実、《恐るべき》  事実、このことをどうすればいいのだ!

なるほど、多くの信仰者たちは自己嫌悪に陥らなくて済んでいるのも事実だ! しかし、聖職者や 宗教学者を含め、われわれは神の名において行われてき、かつ、現在も行われている驚くべき規 模の《殺戮》、《偽善》、《欺瞞》、《搾取》、《圧殺》、《隠蔽》、《貪欲》といったようなことをどのように説 明すればいいのだ!

神の存在を《否定》する急先鋒をゆく聖書学者の言い分の方が、信仰あると称するわれわれより余 程《洞察力》が鋭いではないか!

おお! 自分にはわからない!

自己矛盾だ!

さりとて、それではキリスト教を廃止すればそれですべて問題が解決されるのか?

確かに、キリスト教は現在も過去もそしてたぶん未来においても、多くの《偽善》と《自己矛盾》を抱 えているが、神そのものを《否定》する唯物論のシステムが人類にどのような影響を与えてきたの か、人類にどのようなことをもたらしたのか?

あの壮大な実験はいったい何だったのか?

神の存在しないシステムがこれまたいかに人類にとって《恐るべき》ことであるのか!

ああ! 人間とはなんと矛盾している存在なのであろうか?

神をもっても、神を排除しても、同じように恐ろしい現実を展開している人間!

どちらが正しいのか! 神を受け入れる思想なのか? それとも、神の存在そのものを否定する思 想が正しいのか?

そもそも、《否定》も《肯定》もできないもの、それが《神》という概念なのだろうか?

神の《存在》について論じることが極めて愚かなことはわかっているが、神そのものを全く無視する ことによって成立している現代文明のこの脆弱性、この不毛悽、この悪魔性をだれも否定すること はできないのも事実だ!

人間は《神》について論じるべきなのか? そうでないのか?

もし、神について論じることに意味があるとして、そのように論じる神とはどのような神であるべきな のだろうか?

ああ! どうしたらいいのだろうか? 

自分にはわからない! どうすればいいのか?

自己矛盾だ! 自己矛盾だ! いったいどうすればいいのか?

      ……………


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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について

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関連ブログ:
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■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
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(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
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(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
”自問自答”とは現代風に言えば”自己言及”、”自己言及性”、”自己関係”、”自己関係性”、”自己矛盾”、”自己否定”、”自己呑み込み”…といった概念を意味していますが、同時に、”ゲーデル問題”のことを意味しているわけでもあります。つまり、不確定性原理と同様、ゲーデルの不完全性定理はこれからの時代の二つの基本的なテーマであります。
モツニ
2005/12/12 10:44
このような”ゲーデル問題”をテーマにした小説として、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』があります。そこでは、有名なイワン・カラマーゾフの自己言及つまり自問自答の場面が出てきます。同様に、ジェームス・ジョイスの主人公の”スティファン・ディーダラス”の内面描写にもこのような場面が出てきます。つまり、カトリック批判です。あるいは、夏目漱石の一連の作品、たとえば”こころ”、”三四郎”、”それから”、”門”といった作品の主人公が自分の内面の悶々としたところを描写しているところがありますが、すべて同じ世界のことを展開しているわけです。
モツニ
2005/12/12 10:48
つまり、内面描写という観点だけから言えば、この小説の主人公はすでに、ドストエフスキー、カフカ、ジェームス・ジョイス、夏目漱石、芥川竜之介たちの内面の遜色のない水準に達している…ということを意味しています。問題は、この主人公がこれら伝統的な天才たちが小説で築き上げてきた内面描写の水準を現代版あるいは近未来版、超近未来版の小説にどのように反映させてゆくことができるか…といったことなのです。すでに、9・11あるいはそれ以上の異常な体験をこれからの人類は必然的に体験してゆくからなのです。
モツニ
2005/12/12 10:53
ぶっちゃけ、9・11テロ、そして第二次イラク戦争などは来るべく超近未来の諸々の”凄まじい”できごとに比べれば、”幼稚園のピクニック”ぐらいにしか感じられない程の”存在”そのものから来る”真実の現象”が徐々に人類に襲い掛かってくることは必至でありましょう。そのことが、ハイデッガーの『ヘラクレイトス』という全集の55巻に書かれているのです。
モツニ
2005/12/12 10:56
この部分の本当の面白さを味わうには、関連作品の『信のたわむれ』、『知のたわむれ』、『覚のたわむれ』、『現代のたわむれ』といった一連の宗教、哲学、文明批判の論文の内容を理解している必要があります。どうか、ご一読をお薦めしております。
モツニ
2005/12/12 10:59
こんな表現は大変失礼かもしれませんが、この小説は”注釈書”なしでは決して読めないような水準の作品になるかと思っております。それは、別に読者がわるいわけではなく、そもそも、数学、人工知能、精神医学、分子生物学、脳科学、神経科学、遺伝子工学、免疫学、記号論理学、記号学、言語学…といった諸々の学門をそれぞれ”天才”近いレベルでの”理解”が前提されているような、そのような作品は人類史上これまでに例がない…といえば例がないわけですから…
モツニ
2005/12/12 11:03
この”節”でさえ、注意深い読者であれば、誠一が問題にしているのは、単純な、”神あり”vs”神なし”といったようなことではなく、”神”が存在しているという命題を”真”しても、”偽”としても、そのいずれの場合でも”矛盾”というものを既に抱え込んでいる…ということを暗示しているからなのです。
モツニ
2005/12/12 11:06
ぶっちゃけた話、9・11テロは実は”テロの側が正義”なのです! しかし、そのことを理解できない”現代人は”なんとかして”誤魔化そう…”しています。実際、英国での動き、フランスでの動き、ドイツでの動き、アメリカでの動き、その他全世界での動きは、日本の動きと連動しています。つまり、オーウェル流の超全体主義的なウルトラ国家の建設なのです。
モツニ
2005/12/12 11:09
日本は偶然に”一発”で超全体主義的な国家への方向性が決まってしまった、ある意味で例外的な国家ですが、いずれにしても世界のすべての国々が超全体主義的国家へ収斂してゆくことは間違いないのです。これが、これまでモツニが繰り返して主張してきた”世界最終戦争”という概念なのです。この概念は30年あるいは40年ぐらい前から既にモツニの脳中に存在していた、極めて正確な”予言”でもあるのです。
モツニ
2005/12/12 11:12
ドストエフスキー、カフカ、ニーチェ、キルケゴールといったレベルの天才たちの予言の射程はだいたい”100年ぐらい”です! そういった意味では、このモツニの予言の射程も”100年”ぐらいかもしれません。いずれにしても、私がうまれたときから、現在にいたるこの瞬間までのすべてのわたし(モツニ)の直感、霊感、洞察、経験、体験、知性、学術、芸術、哲学、宗教、そして、実際の人間としての人生行路そのものの歩みがこの作品のなかに注がれている…ということを理解していただきたいのです。
モツニ
2005/12/12 11:17
ウェブリブ『哲学日記』のファンの皆様へ:
私、モツニはここ数日間体調を崩し、本日(12月15日:木曜)、王子の”生協病院”で採血検査を実施したところ、内出血の可能性があるため緊急の検査入院が必要である旨を告げられました。したがって、現在リリース中の『回想T』の残りの数章分は歳を越してしまうよう余儀なくされてしまいました。どうぞ、ご了承くださるよう、宜しくお願申し上げます。検査が終了し、病気が判明し、回復した時点でまたこの続きのデータを打ち込みますので、それまで、数週間程度お待ちください。
モツニ
2005/12/16 01:11
昭和55年の12月に第一回目のうつ病を体験し、平成元年の1月に第二回目のうつ病を体験し、そして、平成17年の12月には胃の不調を体験しているところです。可能性としては”癌”、”ポリープ”、あるいはその他の成人病が考えられるそうです。で、私、モツニとしてはこの”躰の病気”の体験も『回想T』に含めたい…と思っていますので、章立てが若干変更され、5つの節が追加される予定になりました。
モツニ
2005/12/16 01:17
考えてみれば、当然のことなのですが、本来、56才という年齢の人間は体調がよくてもわるくても少なくとも年に一度の”成人病検診”は受けて当然なはずですのに、これまで、躰の病気には自信というか慢心があったため必要な検査を怠ってしまい、このような結果を招いているところです。皆さんも、くれぐれも、慢心あるいは自信過剰だけは十分ご注意を!…してくださいね。そういう、自分自身が一番愚かだったのですが…
モツニ
2005/12/16 01:22
今回のこの”苦しみ”についても、別途あらためて描写して作品の一部分にするつもりです。これまで、”精神の病気”の”苦しさ”、”辛さ”、”凄まじさ”というものは体験してきましたが、”身躰の病気”の”苦しさ”、”辛さ”、”凄まじさ”…というものも、精神の病気の苦しさと比べて何等遜色のないことがわかったことは”望外”の収穫かもしれません。ということは、”貧乏”の苦しみ、”失業”の苦しみ、”人間関係”の苦しみ(=特に学校の先生等)、それに、もろもろの”罪”を犯した人間(=敢えて特定のお名前は申し上げませんが…)のその後の苦しみ…も同じなのかも知れませんね。
モツニ
2005/12/16 01:30
繰り返しますが、この”自問自答”で展開されているような”精神の苦しみ”の極めて極限的なものが、あのドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のイワンが”譫妄”状態に陥るまで追い込まれる、あの世界なのです。で、たぶん、私、モツニの親友”新藤毅君”の苦しみもきっとあのイワンの苦しみに非常に近いものがあったのではないか…と思っているところなのです。
モツニ
2005/12/16 01:33
ノート型パソコンがあり、PHS契約が取れていれば、検査入院中でもブログの打ち込みは可能なのでしょうが、現実問題として、そのような手段がありませんので、ウェブリの皆様には少々お待ち頂くしか”手”がありませんので、大変申し訳ありませんが、来年の1月の中旬以降になってしまいましたので、ここで改めてお詫び申しあげます。
モツニ
2005/12/16 01:37
本来なら、”お知らせ”のブログページを開設し、そこでいまモツニが展開している”コメント”を”本文”にもってきてその旨を皆さんにお伝えすべきなのでしょうが、ブログに対する私の考えがございまして、その意味は、普通、ほとんどの方が展開されているブログは”所謂”オンライン・ブログと呼ばれるもので、毎日毎日のそれぞれを、それなりの《種》を撒くことによって、常連さんのコメントあるいはトラックバック等を展開しているものですが、私、モツニのブログは一方的に、モツニから有志の読者(=超エリートの読者のみ)へのメッセージ…ということを常に意識してブログを展開している…というこのことなのです。つまり、まさしく”キルケゴール”があの『反復』という作品で実際に行った、まさにそれと同じことを、モツニも踏襲しているのです!
モツニ
2005/12/16 01:45
そういう訳で、しばらくの間、モツニのオフライン・ブログの更新はお休みさせていただきます。本年はこれまで、わたくしの作品をお読みくださってほんとうに有り難うございました。これからも、本格的な”小説”、”哲学”、”学術論文”等を展開してまいりますので、どうか宜しくお願い申し上げます。それでは、みなさん! どうか、よいお歳をお迎えくださいませ。(=クリスマスもこないのにこのようなコメントを失礼! でも、明日から、モツニはしばらくパソコンそのものに触れないので〜す! というわけで、どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。 

平成17年12月16日(金曜日) 2:00AM 
頭のおかしい、モツニおじさんでした!
モツニ
2005/12/16 01:51
平成17年12月28(水曜日)
私、モツニは本日、王子の生協病院から仮退院いたしました。
病名は末期胃がんです! 明日死んでも不思議でない…とのことでした。
ぶっちゃけ、現在非常に苦しんでいます。痛いというより、吐き気、吐き気、吐き気の連続で、生きた心地はありません! でも、このとおり生きています! とにかく、死ぬ前に、「回想T」の残りの節は終了させる予定です!
モツニ
2005/12/28 12:38

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『回想T』 《自問自答》 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
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