哲学日記

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zoom RSS 『信のたわむれ』 《現代の科学者たち》

<<   作成日時 : 2005/11/04 05:28   >>

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三 現代の科学者たち

 『ゲーデル・エッシャ・バッハ』は専門書ではない、あれは私が今やっていることと同じである。つまり、ディスクール、知のたわむれなのだ。しかし、専門家たち、あなた方はあの程度のたわむれを自分で展開できるだけのストックを自分の専門分野以外の領域にもっているか? DNAを研究することは同時に《歴史》を学び、《考古学》、《系譜学》、《解釈学》、《地質学》等を学び、さらに《数学》を学び、再び《分子生物学》に《回帰》することではないのか? フーコーの『言葉と物』によればあらゆる《知》はそれがよって立つ《解析装置》すなわち古典主義時代の《表(=タブロー)》、十七世紀、十八世紀の《マテシス》、《タクシノミア》、すなわち《エピステーメー》、そしてわれわれが現代利用している《実証主義的・経験主義的》な《自然科学》、そのようなものに完全に依存しているという。あの書物で興味深いことはあたらしい《解析装置》ができると以前の《解析装置》はことごとく《消滅》する…と言っているのである。現代文明は芥川の小説に出てくるあの《細い》一本の《糸》、すなわち《自然科学》に身を委ねているが、この《糸》はDNAの《謎》を担うだけの《強さ》をもっているのだろうか? 一本のDNA螺旋はひとつの《銀河》に相当するだけの情報が《そこ》に含まれていないと誰が断言できよう。わたしはあなた方《現代の科学者》たちを非難しているのだろうか? 批判しているのだろうか? 揶揄しているだけなのだろうか? いや、違う! 私自身がこの分野では完全な《素人》だからこそ自分の言いたいことを言っているのである。ただ、それだけのことに過ぎない。専門家自身、自分で自分の《ラビリンス(=迷宮)》に完全に閉じ込められてしまって、簡単な《助言》すらできない状態ではないのか。ハイデッガーの《存在論》ではないが、(《存在》は人間にとってあまりにも《近》すぎると言っている…)、実際、あまりにも《近》すぎるとかえって《もの(=本質)》は見えなくなってしまうのではないか? 《謎》が《謎》を呼ぶ《ラビリンス》、それがDNAの世界であるとするならば、《謎》が《謎自身》を時々刻々《自己言及的》に変化させているかもしれない。そう、《超越自己言及》、《超越超限帰納的自己言及》といったような《特異点》的な世界を展開しているかもしれない。あのソシュールが迷い込んだ《謎》の世界、《闇》の世界、《理性》が遠く及ばない、そのような《非ロゴス》の世界がここでも展開されているのではないか。たぶん、この《現代科学》の諸分野においても、《特異点》に到達するにはまだまだ程遠く、逆転の《非ロゴス》、超越の《非ロゴス》、極限の《非ロゴス》といったような結末は当分期待できそうにない。しかし、仮にその《謎》がある程度解けたとして、その《帰結》が何をもたらすのであろうか? ソシュール、フッサール、ハイデッガー、メルロポンティーたちが不完全ながら獲得した《非ロゴス》への《超越》の可能性を示し得るだけの《洞察》を含んでいるのだろうか? 組合せごっこの顛末で別の意味の《特異点》すなわち《人造人間(=畸形人間、ゾンビ、ジンボ…)》に到達してしまうのだろうか? このような《精神病(=ゾンビ病)》をだれが治すのであろうか? そもそも治せるのであろうか? 《量子理論》の帰結はエレクトロニクス革命を呼び起こし、ウィンドウズ、インターネット、ウェブサイト、ブログといった一連のあたらしい《概念》を際限もなく生み出しつづけている。コンピュータに始まったこの分野での動きは、とうとう《人工知能》、《意味処理》、《知識処理》、《認識モデル》、《学習モデル》、《記憶モデル》、あるいは、《意識》、《認知》、《認識》といった根源的なことがらにまでも足を突っ込もうとしている。また、各種の《測定装置》、《観察装置》の発達で《脳科学》、《神経科学》といった新しい分野がつぎつぎと誕生し、一見すると進歩らしい報告を展開しているが、その実体は、非常に貧しい《洞察》そのものを露呈しているだけなのである。一例を《神経科学》に求めれば、本来《意識》を洞察するということは、勿論《自然科学》の射程で洞察してもかまわないが、《心理学》、《倫理学》、《教義学》、《哲学》、《認識論》、《存在論》、《現象学》といった諸領域、および《認知科学》、《精神医学》、《精神病理学》…といった領域からも《洞察》しなければならない、途轍もなく《広大》な大宇宙なのである。もう止めよう。科学者は《思想》をもたないのだから。科学者が《思想》をもったらたぶんやってゆけないのかもしれない。

 以上、丸山圭三郎とデカルトの思想、および経験・実証主義的な《自然科学》の思想について素描してみた。ここで得られる帰結はその思想に《深い》ものと《深くない》ものがあるというそのことだけである。私はデカルトの《思想》を《深い》とも《深くない》とも言わない。デカルトの思想はヘラクレイトスの《それ》、古代インドの《それ》、あるいはハイデッガーの《それ》と比べてはならない。《我》の《我性》、《思う》の《思う性》、《故に》の《故に性》、そして《有り》の《有り性(=有、ピュシス、ロゴス、アレーティア、決して没することのないもの、…)》について、その《根源》までつきつめられていないのだから。けれど、もしそこから更に一歩《深めた》洞察をしていたら、まさにいまわれわれが《展開》している《自然科学》そのものが極めて違った《形》をとっていたに違いない。いずれにしても、デカルトによってスピノザ、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、フッサールといった系列の《思想》が生まれてきたことも事実である。ところで、このデカルトの思想に馴染んでいるわれわれの姿は、フスを火刑に処したとき目を輝かせて薪を運んだあの信仰深い農夫の姿。あるいはニーチェを《悪魔》呼ばわりしていた当時の大多数の素朴なキリスト教徒の姿によく似ていないだろうか。ここで、誰が火刑に処せられているかって? それは、完全に裸にされ、《伝達言語》、《ルポルタージュ言語》、《コード化されたコード》のレベルに成り下がってしまった現代言語そのものの姿ではないのか。そのような《砂漠化》された言語によってのみ生きている《われわれ》そのものではないのか? そう、『ゲーデル・エッシャ・バッハ』のあの蟹くんの《完璧な》ステレオとあの《謎の》レコードとの関係に似ていないだろうか?


         道ハ上リも下リモ同ジ一ツノモノダ   

               --- 断片 60 ---


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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』

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関連記事:

『一即一切』について
『色即是空』について
『信のたわむれ』《ロゴス空間》:後半 
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
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参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;光明会編

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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『精神分裂病 上下』       ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』          ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』     ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』        ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』       フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』      木村敏;弘文堂

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『ゲーデル・エッシャ・バッハ』  ダグラス・ホフスタッター;白楊社
『意識する心』          デビッド・チャーマーズ;白楊社
『解明された意識』        ダニエル・デネット;青土社
『ダーウィンの危険な思想』    ダニエル・デネット;青土社
『皇帝のあたらしい心』      ロジャー・ペンローズ;みすず書房 
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『集合と位相T』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
『集合と位相U』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
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『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」
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