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zoom RSS 『Ωの輝き』 《解説(その2)》

<<   作成日時 : 2005/11/07 23:07   >>

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この作品が全体のごく一部であることは、《解説(その1)》で説明しました。ここでは、文学的、思想的にこの作品について、著者の立場で解説させていただきます。

《奇妙な対話》について:

 私は自分の姉が重度の精神薄弱だったこともあって、子供のころから”人間”について非常に興味を持っていました。また、それと同時に、小学生2年生から大人になってからもずうっと”死後”の世界に興味を持っていました。実際、19歳のとき米国留学しているとき、洗礼を受けてクリスチャンになりましたが、そのときも”死後”の世界についての興味は変わりませんでした。

 しかし、もろもろの紆余曲折を経て、最終的に教会を離れることになりました。必ずしも”信仰”を捨てたわけではありませんが、”幼稚園”レベルのキリスト教にはとてもとても付き合ってられませんでした。

 ところが、二度の強烈なうつ病の体験を経て、特に二回目のうつ病の回復期の頃、突然ある種の”ひらめき”というか、”悟り”というか、”幻(まぼろし)”というか、ことばでは表現できない”死後のイメージ”が脳中に浮かびあがってきました。それは、まさしくあの宮沢賢治の”銀河鉄道の夜”を彷彿させるような、あのブルー、あのΩブルーのイメージなのです。

 この頃、一連のミヒャエル・エンデの作品群、それにル・グウィン女史の《ゲド戦記》、《アースシー》などの作品からの触発により、ファンタジー、死後のファンタジーというものとリンクされるようになり、宮沢・エンデ・ルグウィンのトリプレットが誕生したのです。

 『信のたわむれ』でもそうですが、”トリプレット”という概念はわたしにとってのキー概念なのです。ちょうど聖書の黙示録での数字、”3”、”7”、”666”といった数字が象徴的に重要な意味をもっているように、わたしにとって”3”という概念は極めて重要な概念なのです。

 そして、この対話の意味ですが、”存在”には”人間”の領域と”神”の領域があるように、”運命”と”運命”の解釈にも”神”の領域と”人間”の領域があり、”神”といえども”その領域”に入るのは”遠慮”すべき、そのような”聖域”があるのか否か、これが対話の意味です。(わかりますか?)

 量子理論の解釈、超ひも理論における”虚時間”、”絶対虚時間”、”逆虚時間”といったものをどのように”解釈”するか、そこには”神”といえども簡単には介入できないような”聖域”のようなものがあるのではないか…といったことがあの対話の”含み”なのです。
 
 原爆、アウシュビッツ、9・11テロ、イラク戦争、その他もろもろの”逆説空間”をどのように”解釈”できるか…、そういったことがら全部があの対話の意味する象徴的なイメージなのです。


《栄光のひとびと》について:

 この部分は説明の余地がありませんが、あえて解説するとすれば、”ノーベル賞”、”金メダル”、”文学賞”といったものが、すべて純粋ゴミであるということを強調していますが、日本でいえば、お金持ち、富裕層、勝ち組み…といった諸概念に象徴される一連の”単語”のことです。つまり、新聞、テレビ、ラジオ、メディアなどで盛んに”成功者”とはしかじかである云々と宣伝しているそのことそのものが、純粋な”虚偽”であることを作品では強調しているのです。つまり、現実世界での”成功”は死後の世界では”失敗”であることの証明になっているという、この驚くべき”真実”なのです。

《病院》について:

 この箇所は、《脳死》、《臨死》、《安楽死》、《尊厳死》…といったことについての一連の哲学的な考察ですが、死後における《時間》の概念および《空間》の概念がどのようなものであるか…といった著者自身の”好奇心”が示されているのです。なぜかというに、超ひも理論、あるいは量子理論の非常に深いレベルでは、”虚時間”、”マイナス虚時間”、”逆虚時間”…といった無数の”虚時間”が考えられるからなのです。死後の世界では基本的に”虚時間”、”逆虚時間”といった時間の概念が中心ではないか…と私見では思っています。

《学校》について:

 作品のこの部分は全体像で示したように、”天上編”となっているため、死後の”美しい”イメージの部分のみをここでは簡単にスケッチ(=描写)しました。ちょうどあの宮沢賢治のように。ここでのポイントは、あのような理想的な”先生”がいるとして、そのような”先生”こそ、原爆の体験者、沖縄の体験者、アウシュビッツの体験者、オウム教の被害者、特に坂本堤さんのお母さんのような方、あるいは、いじめ問題で話題になった”大平さん”のような、そのような一連のひとびとに違いない…という洞察です。また、そのイメージは”託宣”の項の”老婆”、”老木”、”巫”によっても暗示されています。

 また、囚人の物語については、たまたまオウム教の事件の死刑犯がイメージされるかと思われますが、必ずしもそのような観点で作品が生まれたわけではありません。もっと普遍的な力の働きによってあのような作品に結晶しただけであって、あのオウム教事件が実際にあってもなくても、あのような作品になっていたかと思われます。

《託宣》について:

 筆者は実際に20年掛けて人工知能システムの基本設計をずうっと継続させてきただけでなく、実際に基本設計の重要な部分を完成させたのです。また、それ故に、人工知能の分野ではなく、”思想”、”哲学”、そして"文学”の分野を重要視しているのです。なぜなら、アインシュタインのようなほんものの”愚か者”にはなりたくありませんから。わかりますか、わかりますよね、人工知能システムを設計するということは”善”と”悪”を”判断”できる機械を設計することと同じことを意味するわけで、研究の射程で”倫理”、”思想”、”哲学”、”宗教”、”文学”、そして”精神医学”,”心理学”といった問題に目を瞑るということは、”悪魔”に魂を売ることを当然意味します。つまり、人工知能を設計する人間はJ・モノーではありませんが”倫理”、”科学倫理”といったものから責任逃れすることはできませんよ…ということを文学的に表現しているのです。

 認識体、記憶体、アミノ酸残基…といった一連の技術用語は実は”AI”分野での実際の概念そのものを暗示しているのです。これまで、文学は”人工知能”、”脳科学”、”神経科学”、”数学”、”言語学”といった一連の学問にはあまり深く拘わっていないようなひとびとが中心でしたが。これからは、ぶっちゃけ、文学をやるひとはそのような一連の学問は”常識”となっているような、そのような時代に必然的になるのではないか…と筆者は思っているのです。

《遊園地》について:

 宮沢賢治の”銀河鉄道の夜”、ミヒャエル・エンデの”はてしない物語”、C・S・ルイスの”ナルニア国物語”、そしてル・グウィン女史の”ゲド戦記”などの世界から多くのイメージを受け継いで、新しい作品にコンバートしました。また、自分の極めておさなかったころ、たぶん2歳かそれ以前、および、3歳から5歳ぐらいまでの非常に濃密だった時代の思い出が描写されています。いずれにしても、《こころ的》には非常に”豊艶”だった子供時代を過ごしてきたようです! そして、この”豊饒”さの欠落が《拝啓 小学生の皆さんへ》、および《拝啓 頭のおかしいおじさんへ》という作品で展開されているメインテーマ、すなわち《こころの発達》の《第一段階》、《第二段階》、《第三段階》の重要性だったのです。《いじめ》に関する国家レベルの”緊急対策”は、実は小手先のつまらないひとつひとつの政策ではなく、この作品全体が暗示しているように、”民話”、”神話”、”童話”、”昔ばなし”、”ファンタジー”といったものの復活、あるいは、新しいイメージの”神話”、”童話”、”ファンタジー”といったものが創造されることなのです。しかし、現実には、”ハリポタ”あるいは日本の多くのRPG(=ロール・プレーイング・ゲーム;自分が主役となって遊べるゲーム)のように、商業主義の餌食になっているのが現実なのです。これこそ、エンデが繰り返し”警告”してきたことだったのです。

 そして、《遊園地》におけるクライマックスとして”巫”が登場してくるのですが、そのような場合、散文ではその深さをほとんど表現できないと判断して、”詩”という形態に切り換えました。このテクニックは、《遊園地》の他の場所でも散らばっています。

《土産》について:

 『Ωの輝き』のクライマックスで、この誠一(=著者)という青年(=初老の)が、精神分裂病ですでに他界している友人について、”彼”を地獄から絶対に引っ張り上げてみせる…という決意を含みに、誠一自身がやがて”分裂病”の世界へとあのゲド戦記ではありませんが、突入して行く、その”決意”と”分裂病”になってもかまわない…という”運命”の受け入れを示しています。

《遠ざかる風景》について:

 昨今、巷を賑わしている《クオリア》という概念ですが、文学的価値だけは認めてあげてもいいのではないか…というそのような”思い”を込めて、散文ではなく”韻”を含んだ”詩”としてそこに組み入れました。”天上編”であることを意識して、あのようなどちらかというと”感傷的な”イメージに仕上がってしまいました。

 解説(その1)で示したように、これは”死後”の世界の超簡単なスケッチに過ぎません、しかし、このようなレベルの小説さえ、現在ひとつも巷にはありません。それほどまでに、現代文明は”文学的に”貧しい…ということが、この作品を生み出した原動力のひとつなのです。それは、故丸山圭三郎先生が強調していたこと、《パロール》、特に《第二のパロール》、《裁ち直し》、《新しい意味の裁ち直し》の実践のことなのですが、これこそ”ソシュール”が晩年ずうっと”沈黙”していたあの”謎”、”謎の沈黙”の深い意味だったのではないでしょうか。(⇒『信のたわむれ』;《丸山圭三郎》を参照)





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『Ωの輝き』 目次一覧
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奇妙な対話
一 栄光に輝く人々
二 病院(その1)
三 病院(その2)
四 学校(その1)
五 学校(その2)
六 学校(その3)
七 学校(その4)
八 学校(その5)
九 公案
十  遊園地(その1)
十一 遊園地(その2)
十二 遊園地(その3)
十三 遊園地(その4)
十四 土産 --とき--
十五 遠ざかる風景

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関連記事:
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『モツニ哲学者、自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その1)』  

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
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■ 『現代のたわむれ』
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