哲学日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 『信のたわむれ』 《丸山圭三郎》

<<   作成日時 : 2005/11/01 22:33   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 6

第五章 衰弱する言語

 以上、第一章から第四章まで《キリスト教空間》、《無神論空間》、《仏教空間》のそれぞれの《信仰》について、その《信仰》を支える根本思想がどのようなものであるか、またそれぞれの《思想》が互いにどのように相互関係しているか、具体的な人物の対話を通して、あるいは《特異点》すなわち架空の《分裂病者》を導入し、その《分裂病者》との対話を通してそれぞれの《思想》がどのような掘り下げを展開しているかを示そうとした。さらに、それぞれの《信仰》の理念を《ことばの世界》、《ものの世界》、《こころの世界》あるいは《ロゴス空間》、《反ロゴス空間》、《非ロゴス空間》といった呼び名で示し、それぞれの《信仰》を《抽象概念》あるいは《抽象空間》として集約し、それらの《概念構造》、《空間構造》を素描してきたのである。数学者風に言えば、《ベクトル空間》、《ノルム空間》、《距離空間》、《位相空間》、《コンパクト空間》、《一様空間》、《相対空間》といったような意味あいであり、それらの《空間》どうしの《同相性》、《相補性》、《不可逆性》、《循環性》、《回帰性》、《相互乗入れ性》などといったところである。『ゲーデル・エッシャ・バッハ』におけるエッシャの《絵》、《騙し絵》あるいはバッハの《音楽の組曲》、《フーガ》、《カノン》、あるいはDNAの《トリプレット》、《ゴドン》、あるいはゲーデルの定理での証明に出てくるあの基本的な《教え図》をイメージして頂ければそれでかまわない。私の議論の展開ではダグラス・ホフスタッター氏が展開したほどの《厳密性》を示すことはできなかったが、それは《信仰》というジャンルそのものに依存するということで勘弁していただきたい。

 さて、《ロゴス空間》、《反ロゴス空間》そして《非ロゴス空間》の三つの空間をこれからは単に《ことば》、《もの》、《こころ》という言葉で置き換えて議論を展開させていただくことにする。もちろん、必要に応じて括弧書きで補足を入れるが、これまでの議論で基本的な用語については十分馴染んでいただけたと思っている。以後、これらの言葉を使用して今までの議論をもう一度反復しながら、久松真一、滝沢克巳、八木誠一、そして田川建三の面々に加えて、若干の思想家の思想にも言及してみたい。

一 丸山圭三郎(=ソシュールの思想)

 丸山圭三郎の思想は《ノモス》と《カオス》のウロボロス、すなわち《円環運動》というこの一点に集約される。この論文は読者が既に彼の思想に十分馴染んでいることを前提としているが、必要であれば読者は故丸山圭三郎氏の一連の著作、および前田英樹氏の『沈黙するソシュール』などを参照してもらうことにして、当然予想されることだが、私のいう《ことば》すなわち《ロゴス》は《ロゴス(=言語、=理性、=理論、=原理、=原則、=合理性など)》を意味し、故丸山氏のいう《ノモス》つまり《ノモス(=秩序、=意識、=言語の表層など)》に相当する。

 同様に、私のいう《こころ》つまり《非ロゴス(=非言語、=逆説、=パラドクスなど)》が丸山氏の《カオス》、つまり《カオス(=無意識、=狂気、=夢、=闇、=象徴、=言語の深層など)》に相当する。ここでまた読者に注意していただきたい。読者は「あなたは《こころ》という概念を《狂気》、《混沌》、《夢》、《無意識》などといったとんでもない概念と混同させている…」といって非難するかもしれない。しかし、ここでいう《こころ》という概念は日常的な意味での概念から完全に異なって用いられていることを思い出していただきたい。

 つまり、《ロゴス空間》から《反ロゴス空間(=物質空間、=もの空間、=唯物論空間、=無神論空間)》を経て、《反ロゴス空間》の内部で《特異点(=分裂病、=完璧なAI、=言語の闇、=生命の起源、=宇宙の果て、=物質の根源、などなど)》に達した後、《即非》という《飛躍》を通して《時熟(=極限の到来、=超越、=超越超限帰納法、=Zornの補題、=射影的極限、=帰納的極限、=超ひも理論、=意味論的空間トポロジー、=完璧な人工精神などなど)》したパラドクス空間としての《こころ》という意味なのである。

 議論を戻し、故丸山氏の円環運動は《ノモス》から《カオス》、《カオス》から《ノモス》という循環運動である。これは私の《ことば》から《もの》、《もの》から《こころ》、《こころ》から《ことば》という円環運動と全く同じ構造をしているのである。色を《赤》、《青》、《黄》の三つにわけるのと《赤》と《青》の二つにわけるのとその本質は等しいことを意味している。

 丸山氏の《ノモス》という概念は、私の空間での《ことば》と呼ばれる《ロゴス空間》の内部の《イエス》と呼ばれる《窓口》からはじまって、《もの》と呼ばれる《反ロゴス空間》の内部の《特異点》と呼ばれる《極限領域(=臨界点、=限界点、=境界点、=触点、=集積点など)》の直前までを指すのである。ここでも注意していただきたいのは、ここでの《イエス》という概念は信仰対象のナザレのイエスではなく、《もの》空間から《ことば》空間への《回帰》、あるいは《こころ》空間から《ことば》空間への《再ロゴス化》といったそれぞれの触発の《契機》としてのエントリ・ポイント、すなわち《入り口点》という意味なのである。つまり、自然科学者がDNAの深い研究の末、《生命の深遠》に驚愕するとか、宇宙の淵源に自分自身の《存在の闇》を発見したとか、そのような《触発》そのものとしての《イエス》なのである。

 さて、故丸山氏の《カオス》という概念は、私の空間での《特異点》にはじまり、《こころ》空間全体を完全に包含し、更に《イエス》と呼ばれる《入口点》までの空間領域全体を意味している。したがって、故丸山氏の空間構造も私の空間構造も数学的な位相論でいえば全く同型対応なのである。もちろん、わたしは故丸山氏の概念をそっくり頂いたわけではなく結果的に同一の構造が展開しただけなのだが、このことは故丸山氏のみが優れていたわけではなく、丸山氏の理論そのものを支えていたソシュールの思想がしっかりしていたことを同時に示しているのである。

 しかし、《ノモス》と《カオス》のこの円環運動は、遠くヘラクレイトスの思想にも、あるいは古代インド文明のウパニシャッド哲学その他諸々の思想に通じるものがある。いずれにしても、この帰結から何が言えるかというと、《言語》あるいは《ことば》というものは、《深淵》、《沈黙》、《闇》、《無明》、《無》、《有そのもの》、《決して没することのないもの》…からのみ発生してくるのだということであり、《沈黙》のみが《真実のことば》であるということなのである。

 そのような《闇》、そのような《沈黙》、そのような《深い底》からのみ《詩》が生まれ、《歌》がうまれ、《リズム》が発生し、《思想》が生まれ、《本覚》が生ずるとすれば、まさしくニーチェは間違っていなかったのである。しかし、その《沈黙》の世界をあれほど遠く深く沈んでいった人間はあの天才、あの大天才ソシュールを除いて誰がいたというのか。


 タマシイの際限ハ、ドコマデ行ッテモ、ドノ途ヲタドッテ行ッテモ、
 見ツカルコトハナイダロウ。計レバソレホドマデニ深イモノナノダ

                      --- 断片 45 ----



---------------------
『信のたわむれ』 目次一覧
---------------------
第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
---------------------
関連作品:
---------------------
■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『信のたわむれ』 
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』
----------------------
関連記事:
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)》
『モツニ哲学者、自らを語る(その1)』
『一即一切』について
『色即是空』について
『信のたわむれ』《ロゴス空間》:後半 
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
----------------------
参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;光明会編

----------------------
『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

----------------------
『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

-----------------------
『精神分裂病 上下』       ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』          ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』     ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』        ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』       フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』      木村敏;弘文堂

-----------------------
『ゲーデル・エッシャ・バッハ』  ダグラス・ホフスタッター;白楊社

-----------------------
『集合と位相T』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
『集合と位相U』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
-----------------------
『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」
-----------------------

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
今晩は。私は文科系かつ素人の哲学者であり、論理的思考能力や語彙が貧しい方なので、モツニさんの専門的な哲学の文章をすべて読み、また、理解しているわけではないのですが、

>いずれにしても、この帰結から何が言えるかというと、《言語》あるいは《ことば》というものは、《深淵》、《沈黙》、《闇》、《無明》、《無》、《有そのもの》、《決して没することのないもの》…からのみ発生してくるのだということであり、《沈黙》のみが《真実のことば》であるということなのである。

>そのような《闇》、そのような《沈黙》、そのような《深い底》からのみ《詩》が生まれ、《歌》がうまれ、《リズム》が発生し、《思想》が生まれ、《本覚》が生ずるとすれば、まさしくニーチェは間違っていなかったのである。しかし、その《沈黙》の世界をあれほど遠く深く沈んでいった人間はあの天才、あの大天才ソシュールを除いて誰がいたというのか。

という文に惹かれたので、コメントさせていただきます。
Pothos
2005/11/02 00:13
《深淵》、《沈黙》、《闇》、《無》、《深い底》、《リズム》といった言葉がありますが、これらは日本的に言うといわゆる「間(ま)」なのではないか、と思いました。

宮本武蔵の水墨画の作品などを見ていると、そこには必ず「間」があります。また、音楽はメロディー・リズム・ハーモニーの3要素で構成されるわけですが、その中で、リズムというのは「間」の連続のように感じられます。また、日本庭園などにも石と石の位置の有りかた、のような空間的な「間」があります。

このことを考えると、《沈黙》と「間」は、共通しているように思われます。
Pothos
2005/11/02 00:24
私は、近代から続く現代の世界に必要なものの1つとして、「間」が挙げられるのではないかと考えています。「間」は、「沈黙」とも言えますし、「余裕」と言い換えることもできるように思います。

まあ、いろんな意味をそこに含ませることができるのかも知れませんが、現代の世界はとにかく株式取引とか技術開発などでスピードの極めて速い活動が展開されており、ともするとそのスピードに耐えかねて昨日の東証のシステムダウンのようにダウンしてしまいかねません。

現代社会には、イタリアのスローフードのような、「間」というか、「余裕」がもっとあってもいいように思います。
Pothos
2005/11/02 00:44
コメントありがとう。
もちろん”間”でもありましょう。その”間”ということに関しては、木村敏さんの『自己・あいだ・時間』という有名な書物があります。精神分裂病に関する専門的な論文なのですが、それに関連して『いきられる時間』、『精神分裂病』、『精神のコスモロジー』といった書物もあります。
モツニ
2005/11/02 08:30
また、”間”というのは”地”と”柄”という関係における、”ゼロ記号”という意味あいもあります。文章のなかの”ブランク”、”空白”、”スペース”はまさしく”間”であります。また、余白、マージン、インデントといったものも”間”でありますし、DNAの謎の大陸”イントロン”も同様に”間”であります。要するに、”間”という単語ひとつとってみてもそこには”大宇宙”が展開しているのです。
モツニ
2005/11/02 08:35
さらに、”あそび”、ハンドルの”あそび”、余裕、余白、余暇、休暇、休息、休憩、そしてあの有名な”安息日”という概念に連なってゆくのですね!
それが”金曜(=イスラム教)”なのか”土曜(=ユダヤ教)”なのか、”日曜(=キリスト教)”なのかで、これまたいろいろ面白い議論が展開できるのですが、いずれにしても、”間”という概念ひとつとってみても、そこには無限の概念とリンクしていることがわかるのではないでしょうか。とくに、”わび”、”さび”、”間”、”空気”、”雰囲気”、”余裕”、”あそび”といった一連の日本的な概念のなかではそれが言えるのではないでしょうか。
モツニ
2005/11/02 09:26

コメントする help

ニックネーム
本 文
『信のたわむれ』 《丸山圭三郎》 哲学日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる