哲学日記

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zoom RSS 『信のたわむれ』 《非ロゴス空間》:後半

<<   作成日時 : 2005/10/30 11:23   >>

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さて、第三章で説明した通り、《ロゴス空間(=キリスト教空間)》の《イエス》が《窓口(=入り口)》だとすると、この《非ロゴス空間(=仏教空間)》の《悟り》の領域はひとつの《到達点(=出発点)》であると例えることができる。くどいようだが、仏教がキリスト教より優れているとか、その逆だということは全く無意味である。この論文そのものがそもそもそのような立場に最初から立脚していないのである。それに、私自身この《空間》へは到達したことがないし、到達できる見込みさえもっていないことを白状しておく。ただ、自分がそこへ到達できないことと、ここでその《空間》の説明を省略することとは話の次元が異なるということは言わせていただく。それで、ある人間が諸々の一連の展開を経て、すなわち《ロゴス空間》をマスターし、諸々の《遍歴》を経てそれぞれの《特異点》すなわち《極限状態(=帰納的極限、=射影的極限、=超限帰納的極限、=Zornの補題、=超越超限帰納法的極限…)》に到達し、そこで劇的な《飛躍(=超越、=非連続、=非線形、=超越超限帰納法、=連続体仮説…、=超ひも理論、=超越量子理論…)》を体得し、《非言語的》、《非論理的》、《超越的》、《絶対矛盾的》な言葉ではとても表現できないような《何か》を《そこ(=極限、=特異点)》で体験し、ひとつの《非ロゴス的》な《何か》を洞察できたとしよう。仮にそのひとを《釈尊》と呼ぶことにしよう。(ここでも釈尊がイエスより上だとかその逆だとかそういうことは全く関係ないが…)すると、《そのひと(=釈尊、=非ロゴス、=超越そのもの、=逆説そのもの、)》は言葉では絶対に表現できないその《何か(=非ロゴスそのもの)》を一般の人間に何とか《言葉(=ロゴス)》で説明しようとする。同様に《釈尊》以外の人間も自分が《発見(=非ロゴス)》したその言葉で表現できない《何か》をそれでも自分の《言葉(=ロゴス)》で言表する。こうして、一連の天才たちの系譜ができ現在に至っているのだが、われわれはそこで《発見(=非ロゴス)》された《非ロゴスのロゴス(=芸術、=洞察、=直感、=矛盾、=まことの信仰…)》を現代に十分通用するように再翻訳できないでいる。なぜか? それは、《キリスト教世界》が完全に《惰性化》しているように、《仏教世界》でもこの《惰性化》という事実がその世界を完全に《蔽って》しまっているからなのである。本来、キリスト教世界にキルケゴールが現われたように仏教界にもそのような人間が現われ、かつて《発見(=非ロゴス)》された《非ロゴス(=信仰、=洞察、=発見)》が実は《分子生物学》のこれこれしかじかの《こういう現象の、こういう意味》に《解釈》でき、またそのように《適用》すべきである…とか、《素粒子(=反ロゴス)》の究極が《非物質(=非ロゴス)》としか言いようがないようなまるで《こころ(=非ロゴス、=超ひも、)》とでも呼ばなければならないような、そんな《もの?(=超ひも、=非ロゴス、=こころ、=意志、=意図…)》から生起されるのだ…とか、宇宙の《極限(=超越超限帰納法の極限、=連続体仮説の極限、=超越論的斜影的極限の極限、=超越論的帰納的極限の極限…)》が、実は私の《存在(=ピュシスそのもの、=ロゴスそのもの、=決して没することのないもの、=アレーティア、=一即一切そのものを成立させているそのもの、=色即是空そのことを支えているその根源そのもの)》そのものの最も深い《闇》と《ワームホール》として《連続(=非連続の連続として)》している…とか、《精神分裂病(=非ロゴスそのもの)》の原因が、0歳から5歳までの《こころ》の発達の過程における何らかの《適応不順》によって引起こされる…という証明が最も完成された《現象学(=認識論、=神経科学》と最も完成された《存在論(=統合連合野、=連合連合野》および、最も完成された《物活論(=機械論、=人工知能理論)》、および、最も厳密な《実証主義的経験論(=意味論的空間トポロジー、=YS理論、=α測定の理論)》のそれによって同時に証明された…とか、そのような《非λογοσ》的な《λογοσ》をこの《非ロゴス》では新たに《発見(=非ロゴス)》し、それを可能なかぎり《ロゴス化》してゆかなければならないのではないのか。

 《脳死問題》ひとつをとってみても、仏教界に仏教界のキルケゴールが誰もいないことを証明しているだけではないか? もちろん、山崎弁榮上人を私は尊敬する。彼が発見した《真理》は非常に《深淵》なものを感じる。それならば、どうして彼の《宗教》、《思想》、《哲学》、《知見》を現代の最新の《分子生物学》、《素粒子論》、《脳死問題》、《認識論(=脳科学、=神経科学)》、《存在論(=人工知能の倫理、=人間vsゾンビの問題など)》、《精神分裂病の問題》などと絡ませ、かつ、ソシュール、キルケゴール、ニーチェ、ハイデッガー、フッサール、ビンスワンガー、ミンコフスキーといった一連の天才たちと《対話》させ、《現代問題》のもっとも深い《病根》がどこにあるか説いてくれる人間がそろそろ出てきたってよさそうではないか? 彼(故山崎弁榮上人)の宗教および思想にはそれだけのものが含まれているのだから。とにかく。われわれがしなければならないのは、故山崎弁榮上人のような人間からもう一度《仏教(=非ロゴス)》を学び直し、本来の伝統的な仏教そのものを再発見し、それを踏まえた上で諸々の《現代問題》、すなわち現代文明と精神病、人工知能と精神病、コンピュータと人間の白痴化、ゾンビ化、ジンボ化、分子生物学と倫理の問題、脳死と臓器移殖の問題、物質と精神の問題、人間の《こころ》の問題、更に、オウム問題、いじめ問題、老人福祉問題など一連の《根本問題》について鋭い洞察を展開できるだけの第二、第三の山崎弁榮上人のような人物を生み出すことではないのか。

 ところが、現実に存在しているのは敢えて名前を挙げないが、完全に《惰性化》してしまって擦り切れてしまった《公案》をバカのひとつ憶えで唱えている禅の坊主たちだけであり、大衆に迎合することによって大衆程度の水準に下がってしまっている諸々の巨大仏教システムの運営者たちだけではないか。その宗派が何であれ、悟った《覚者》あるいは《如来》たちはおのれの《悟り》を《現代問題》の最も深刻な問題と対決させるだけの《言語化》された《ロゴス》を取り戻し、現代人の生き方そのものが間違っていることを示すのがその本来の使命ではないのか。もし、国の保護のもとで政治的な勢力団体を維持しその物質的・金銭的な維持管理がその目的であるなら、世界制覇を狙うユダヤの思想あるいはカトリックの思想、あるいはそれを阻止しようと必死で抵抗しているイスラム原理主義者の思想とその根本精神は変らないではないか。

 いずれにしても、この《非ロゴス空間》は《反ロゴス空間》の中で発生した諸々の《特異点(=極限)》を出発点とするなら、その《到達点》なのである。また、この《非ロゴス空間》は同時に《ロゴス空間》への出発点でもあり、かつ、間接的には《反ロゴス空間》への出発点でもあるのである。この《非ロゴス空間》の存在によって、《ロゴス》の過剰、あるいは《合理化》の過剰といったものから生じた《カオス》を再び《ノモス》へと返してあげられるよう沈めることができるのである。そのためにも、この《非ロゴス》の空間での新しい《発見》、およびその《発見》の《ロゴス化》というもうひとつの重要な作業が残されているのである。つまり、それぞれの《特異点(=分裂病、=言語の深淵、=存在の奥義、=認識の淵源、=生命の起源、=物質の究極(=超ひも?)、=人間のゾンビ化など)》での《非ロゴス》の発見からはじまって、その発見内容を《ロゴス化》する作業、この二つを同時にしなければならないのがこの《非ロゴス》空間での仕事ではないだろうか。その意味でも、この《空間》はそこで《発見》した新しい《非ロゴス的ロゴス》を積極的に《ロゴス空間》ならびに《反ロゴス空間》へと送り返してやらなければならない。すなわち、その所属している《宗教》の如何あるいは《無宗教》を問わず、すべて本色(ほんじき)の《芸術家》、《哲学者》、《思想家》、《科学者》たちこそ、実は《非ロゴス空間》を代表する存在者でなければならないのである。
 
以上、非常に簡単ではあるが本来の仏教的な存在構造の役割について述べてみた。この《ロゴス空間》、《反ロゴス空間》そして《非ロゴス空間》の三者が人間存在の根本的な側面を代表していることはいうまでもないが、この考えそのものを《ロゴス化》し、《惰性化》することこそ私が最も《嫌う》ことであり、また事実そうなることが予想されるのである。


     決シテ没スルコトノナイ者ヲ前ニシテ、
     ヒトハドウ身ヲクラマスコトガ出来ルトイウノダ

                  --- 断片 16 ---


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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』

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関連記事:

『一即一切』について
『色即是空』について
『信のたわむれ』《ロゴス空間》:後半 
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について
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参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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『精神分裂病 上下』       ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』          ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』     ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』        ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』       フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』      木村敏;弘文堂

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『ゲーデル・エッシャ・バッハ』  ダグラス・ホフスタッター;白楊社

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『集合と位相T』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
『集合と位相U』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座 基礎数学
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『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」


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