哲学日記

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zoom RSS 『信のたわむれ』 《反ロゴス空間》:後半

<<   作成日時 : 2005/10/29 19:58   >>

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 さて、《ロゴス空間》では《ロゴス性(=神の存在)》の《絶対性》がゲーデルの不完全性定理のようなスタイルで否定されたように、この《反ロゴス空間》でも《幻想の過去》あるいは《幻想の未来》は否定されなければならない。好む好まざるに拘わらず、われわれは現在われわれに与えられた問題をわれわれの《問題》として取り組んでゆくしかない。そのようなやっかいな《問題》が絡む諸々の《分野》はまえにあげたように非常に《広く》かつ《深い》のである。このような《領域》、《分野》をすべてひとりでカバーすることなど殆ど不可能であるに違いない。しかし、たったひとつの《分野》あるいは《領域》に限って集中すればそれで《済む》という訳にもゆくまい。つまり、研究そのものが《必然的に》学際的な取り組みを《要求》してくる…というそのような時代に既に入ってしまっているのである。

 例えば、いま《人工知能》の分野あるいは《神経科学》の分野ではしきりに《学際》、《学際》といって騒いでいるが、《人工知能》あるいは《神経科学》の分野で、フッサールの《現象学》やハイデッガーの《存在論》をフッサールのレベル、ハイデッガーのレベルで《深く》洞察できている人間がどれだけいるのであろうか。約二十年前、私はダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャ・バッハ』を3日ぐらいで完読したが、その彼でさえ、ソシュール、フッサール、ハイデッガーたちが問題にしていた基本的な洞察の深さまでは到達していないのが現状なのだ。尤も、あの『G・E・B』によって私自身は人工知能システムの『基本設計概念』を完成させることができたのであるが…。まあ、わき道に逸れるのはそれぐらいにして話をもどし、同様に、《自然言語処理》の分野でソシュールの思想を越えるような《洞察》を展開できる研究者がどれだけいるのであろうか? つまり、《認識》、《存在》、《言語》といった極めて本質的な《概念》に絡む非常に複雑な現象にどうして《数学》や《記号論理学》だけで対応できるというのであろうか。

 同様なことが《脳死問題》あるいは《DNA》の研究者たちに言えないであろうか。私見によれば、《脳死問題》はもっとも卓越した仏教の《覚者(=道元、空海、親鸞れべる)》、もっとも卓越した《信仰者(=アウグスティヌス、パスカル、キルケゴール)》、そして、もっとも卓越した《無神論者(=ニーチェ、マルクス、フロイト、ソシュール、フッサール、ハイデッガー)》たちがそれぞれの《立場》を超えて議論するようなそのような《超難問》ではないか。純粋バカたちが10000年かかっても解決できるわけがない。いま、まだそのような人間が出現しているか否か定かでないが、われわれの中からそのような人間が出現するのを待つしかないではないか。DNAの研究にしても最も卓越した《解釈学者(=系譜学者、=伝承学者、=様式学者、=歴史学者…|このような学者が分子生物学を完全にマスターしたとしての話しだが)》たちをも含めなければほんとうの《解読》は進まないのではないか? 《精神分裂病》の治療にしても、もっとも卓越した《現象学者(=フッサール・レベル)》であり、最も優れた《観念論者(=カント・レベル)》であり、かつ、最も優れた《存在論者(=ハイデッガー・レベル)》にして、かつ、もっとも卓越した《実証主義者(ヒューム)》、《経験主義者(ロック)》であり、かつ、もっとも卓越した《精神病理学者(=ブロイラー、アードラー、ミンコフスキー、ビンスワンガー・レベル)》であり、かつ、非常に優れた《文芸評論家》、《芸術鑑賞家》であってはじめて《分裂病》の《謎》のほんの少しだけその《本質》が見えてくるのではないだろうか? わたしは子供の頃からこの問題に独学で50年以上取り組んできて漸くひとつの”結論”に近づいたのである。つまり、《精神分裂病》は《特異点》の中の《特異点》、《非ロゴス空間》の中の《非ロゴス》であるということ、すなわち、厳密な意味において”神の領域”にある世界、それが《精神分裂病》である! という風に考えるようになったのである。実に、50有余年の歳月を掛けてそのような結論に到達したのである。

 いま、われわれの前に展開している無数の純粋ゴミのような《学者》、《知識人》、《文化人》、《専門家》などと呼ばれているこのような《バカ》たちはこれまでどのような《仕事》をしてきたのだろうか。どのような本を書いているのだろうか? 『バカの壁』を書いている自分自身が最大の《バカ》であることになぜ気づかないのか?それは自分こそがバカだからなのである。そうでなければあのようなゴミを書くようなことは恥ずかしくて絶対できないはずだからである、あの八木のように…(おっと失礼、話が横道に…)。 要するに、《彼等(=巷にひょこひょこ現われる学者とか専門家と呼ばれている純粋な”バカ”たち)》はどのような本質的な《洞察》を《展開》してきたのだろうか。そもそも基本的なテキスト、すなわち《ニーチェ》、《キルケゴール》、《ソシュール》、《マルクス》、《フロイト》、《ハイデッガー》といったことろを《まとも》に読めているのであろうか? なぜ《ゴミ(=脳内革命、=EQ革命、その他それに類する書物)》がベストセラーになるのか? たとえ五百万人や一千万人の人間が《ゴミ》を読んだとしても、たったひとりの天才も生まれやしない! しかし、ダンテ、ドストエフスキー、ニーチェ、キルケゴール、ソシュール、フッサール、ウィットゲンシュタイン、ジョイス、エンデ、プルースト、ハイデッガーといった天才たちが書いた書物は、もしそれを読む人間が彼等と同程度の《水準》に近づくことができるとすれば、彼等が完成させることができなかった不十分な《部分》を全くあたらしい独自の《切り開き》で《再展開》させるだけの《エネルゲイア(=源泉、=深淵、=闇、=カオス、=非合理、=超越、)》をもった、そのような書物ではないのか?

  《ロゴス空間(=キリスト教徒)》、《反ロゴス空間(=唯ブ論者)》、《非ロゴス空間(=仏教徒)》のそのいずれに拘わらず、現代われわれが与えられている最も困難な《大問題》について、過去から学び、それらをまったく《新しい》視野のもとで《再構築》することがわれわれの《仕事》ではないのか。われわれは、ひとりひとりがそれぞれ《与え》られた《場(=現場、=分野、=領域、=いま・ここ・この瞬間、)》で、ちょうど彼等(=天才たち)が《格闘》してきたように、われわれの《大問題》と本格的に《格闘[=ウロボロス、=デッドロック、=ダブル・バインド、=ゲーデル問題、=自己言及、=言語ゲーム、=フレーム問題、=パイこね現象、=Zornの補題、超越超限帰納法、射影的極限、帰納的極限、=意味論的空間トポロジー、=意味処理、=知識処理…]》しなければならないのではないだろうか?

 いずれにしても、この《反ロゴス空間》では《惰性化》が問題なのではなく《超合理化》がその宿命になっている。これは必ずしも《ゲーデル問題》と同型対応ではない。つまり、この《問題》はゲーデルが証明したようなあのような超単純な方法論では絶対に解決できないほどの超複雑な諸現象を本質的に内在させているのである。この《超合理化》への流れの方向は時間の進む方向と同じで一方にしか流れない。つまり、それぞれの《特異点》を目指してまっすぐに驀進しているのだ。

 けれど、われわれは《過去》からも《学ぶ》ことができるのである! あの闇のひと、変人の中の変人、天才の中の天才、《ヘラクレイトス》そのひとの《思想》から、あるいは、神話時代の悠久の《感性》から、あるいは、中世の隠された《象徴》の意味から…、あるいは《縄文人》の豊かな文化から…、あるいは《エーゲ海文明》から、《ミュケーナイ文明》から、あるいは地質時代の《化石》から、それこそ《無限》に広がる過去から《DNA》の最も不思議な謎の一部をどうして発見できないことがあろう。われわれがそのような《神秘》を発見できないのはわれわれの《思考》の《チャネル(=筋、道筋、流れ、条件づけ、常識、既成概念、経験、知識、情報、技術など)》があまりにもひとつのことに偏っているからではないのか。

 《いじめの問題》の本質は何か?

 《神話》、《民話》、《昔ばなし》、《童話》、《遊び》、《語り》、《老人とこどもの関係》、《ファンタジー》など、すべてそのような素晴らしいものをことごとく捨ててしまったその必然的な帰結ではないのか。

 《オウム問題の本質》は何だったのか?

《キリスト教》、《仏教》、《無神論》のそれぞれすべての《宗派》が、実はすべて純粋な《偽善》であったことを完璧に証明してしまったからなのではないのか? そのような基本的な洞察は、《ニーチェ》、《キルケゴール》、《ソシュール》、《ドストエフスキー》、《オーウェル》、《カフカ》、《エンデ》、《賢治》、《ル・グウィン》といった一連のひとびとの基本的な《テキスト》にすべて答えが書かれているではないか。

 いずれにしても、人間と《物質》すなわち《反ロゴス》との絡みの問題は、それぞれの《分野》で、つまり、精神医学の分野では《精神分裂病》が、社会問題の分野では人間の《ゾンビ化(=自動機械化、=自動人形化、=人間型ロボット化)》が、言語学の分野ではひきづづき《言語の謎》そのものが、生命の分野では《脳死》に絡むもろもろの《政治的》、《倫理的》、《宗教的》、《利害関係的》な問題が、医学・医療の分野では《生命》と《死》の《意味》そのものが、数学の分野ではそれぞれ《未解決》の問題、および数学のあたらしい《理論(=意味論的空間トポロジー、α空間、YS理論)》とその《応用(=意味処理、=知識処理、=記号論的群論など》が、文学の分野では《現代問題(=9・11、イラク、世界最終戦争など)》に対するあたらしい取り組みが、法律の分野ではつぎつぎと発生する新しい《技術》、《概念》、《知識》等に絡む《複雑な取り組み》が、その他、《もの》、《物質》、《生活》などに関係するすべての《ことがら》について、それぞれ《それ》固有の《特異点》がわれわれの《課題(=難問、=超難問)》として与えられているのではないか。

 そして、これらの《問題》を通して《ロゴス空間》、《非ロゴス空間》を代表するそれぞれの《英知》が協力してあらたな《非ロゴス(=発見、=飛躍、=洞察)》を展開してゆかなければならないのではないか。いまわれわれが《議論》しているこの《空間》すなわち《反ロゴス空間(=もの空間、=物質空間)》あるいは《無神論空間》または《唯物論空間》で、もっとも必要なことは、おのおのが与えられている現代的な《課題》と取り組むと同時に、過去の優れた《非ロゴス空間(=ダンテの「神曲」、=ヘラクレイトスの「闇い思想」、古代インドの「ヴェーダ思想」、禅や仏教の思想(=道元、=空海)、アイヌ、エスキモー、インディアンたちの思想など)》から学び直しつつ、現代の優れた《非ロゴス空間(=ソシュール、=ニーチェ、=ハイデッガー、=分裂病者たち、および拡張された意味での”Zornの補題”、超越超限帰納法”、”射影的極限”、”帰納的極限”、”連続体仮説”など)》から学ばなければならないので”はないだろうか? もちろん、《遊び》、《娯楽》、《余裕》を忘れないで……

 コトワリハ、コノ通リノモノトシテ、ツネニアルノダケレドモ、
人間ドモハコレガワカラナイコトニナル、
コレヲ聞カナカッタ以前モ、一度コレヲ聞イテカラモ
             
 --- 断片1 ---


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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
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関連記事:

『一即一切』について
『色即是空』について
『信のたわむれ』《ロゴス空間》:後半 
「価値なき神」の哲学日記 bQ09について

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参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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『精神分裂病 上下』       ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』          ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』     ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』        ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』       フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』      木村敏;弘文堂

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『ゲーデル・エッシャ・バッハ』  ダグラス・ホフスタッター;白楊社

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『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」

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『集合と位相T』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座、基礎数学
『集合と位相U』    彌永昌吉、彌永健一;岩波講座、基礎数学
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
私は、別にこの論文に”箔”をつけるために拡張された意味での”Zornの補題”とか”超越超限帰納法”とか、”射影的極限”とか”帰納的極限”というような”言葉”をもってきているのではありません。実際に人間レベルに近づけるための”人工知能システム(=シソーラスシステムとしての)の基本設計に携わってきたその結論として”意味論的空間トポロジー”という全く新しい学問の創出を行い、その理論の下部システムを支える諸理論として”Zornの補題”、”超越超限帰納法”、”射影的極限”、”帰納的極限”という概念が必然的に必要になったからなのです。
モツニ
2005/10/29 21:38
この”意味論的空間トポロジー”の詳細については”エキサイト”ブログの”哲学日記”を参照してください。そこでは、本格的な”意味処理”、”知識処理”、”認識モデル”、”学習モデル”、”記憶モデル”、およびそれを支援する、”中継概念”、”人工ニューロン”、”統合連合野”…といった概念が展開される予定です。(ただし、’05年の段階ではリリースされる資料は極めて限定されたものに留まっています。著作権、知的所有権といったことがらが解決されておりませんので。
モツニ
2005/10/29 21:43
最初からここまで順を追って読み進んで来られた読者はこの節で始めて著者が”数学”のプロであることを意識しはじめたのではないでしょうか。私は1968年に奨学金を受けて米国のペンシルベニア州にある有名な小さなカレッジ、つまりLebanon Valley Collegeの理学部、数学科で、純粋数学を学んで”学位”を取得したものです。ですから”コンパクト空間”、”局所コンパクト空間”、”一様コンパクト空間”、”Housdorrf空間”、”コンパクトHousdorrf空間”といった一連の概念は瞬間にしてどのようなことを意味しているかわかるのです。
モツニ
2005/10/29 22:55

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