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zoom RSS 『信のたわむれ』 《ロゴス空間》:前半

<<   作成日時 : 2005/10/28 02:30   >>

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第四章 ロゴス空間・反ロゴス空間・非ロゴス空間

 第三章では《ことば》の世界、《こころ》の世界、《もの》の世界のそれぞれについて、ロゴス空間(=キリスト教空間)、非ロゴス空間(=仏教空間)、反ロゴス空間(=無神論空間)としてそれぞれの《空間》が他の《空間》とどのような《関係》があるかということを、抽象的な《概念空間》としてその概要を素描した。この章では、それぞれの《概念空間》が具体的な《国家》、《現象》および《活動》を通してどのように《展開》されるかについて素描してみたい。繰り返すが、《ロゴス空間(=キリスト教空間)》、《反ロゴス空間(=唯物論空間)》、《非ロゴス空間(=仏教空間)》のそれぞれが《キリスト教国家》、《イスラム教国家》、《ユダヤ教国家》、《共産主義国家》、《無神論国家》、《仏教国家》…といった諸々の国家を意味するものではないということである。

 ここで《展開》されている《空間概念》は数学でいうところの《集合》でも、《群》でも、《属》でもなく、あくまで抽象的な《概念空間》として、説明の方便として用いているに過ぎない。ただし、《空間》を扱う以上数学の《空間トポロジー》の考え方を取り入れていることは否定しないが、ここでも数学的な《厳密性》を追求することが目的ではなく、それぞれの《概念空間》が他の《概念空間》とどのように抽象的に《関係》しているかということを《概念的に》説明することがその目的なのである。

一 ロゴス空間(=キリスト教空間)

 具体的な例としてアメリカ合衆国を《ロゴス空間》として捉えてみることにする。このことは何もアメリカという国家が《キリスト教国家》であるということを意味するのではなく、アメリカという国家そのものを成り立たせている国家原理が《ロゴス(=理念、=原則、=理論、=合理性…)そのものであるという意味において《ロゴス空間》、すなわち《キリスト教空間》であるということなのである。実際、アメリカという国家を国家として成立させてゆくためにはどうしてもアメリカ全体をまとめあげる《理念》というものが必要なのである。そうでなければ、多くの民族、多くの文化、いろいろな歴史を背景にした多種多様な人間をひとつの国家にまとめあげることは不可能なことである。しかし、仮にこの国が《ロゴス的》な国家であったとしても、実際の現実の合衆国の様相は限りなく《反ロゴス》すなわち《無神論空間》であり、かつ、《非ロゴス》すなわち《仏教空間》的な要素を含んでいることも事実である。ただ、ここではそのようなことを一切《捨象》した上で、敢えて《ロゴス空間》すなわち《キリスト教空間》として捉え、そこでどのような《帰結》が得られるか…ということを考察してみたい。

 この論文は政治科学や歴史を展開するためのものではないため、それぞれの歴史的な現象がどのような政治的契機を発端にして国際政治が《展開》されてきたか等について、その詳細を議論する場ではない。ただ、《ロゴス空間》の《ロゴス性》が具体的な国際政治の《場》で、どのような《現象》を《展開》させてきたか、そのことを通して《ロゴス》の《絶対性》を主張することがどのような意味をもつかについて議論してゆくことにする。

a アメリカ 対 第三国

 アジア、アフリカ、南アメリカ、中東、あるいはその他いずれの国でもかまわないが、ある発展途上国が諸々の理由でアメリカに政治的および経済的な援助を申し出たと仮定しよう。そして、この国の《歴史》、《文化》および《理念》がもともとアメリカの《それ》、あるいはアジア、ヨーロッパの《それ》、あるいは日本の《それ》とまったく異なっていたと仮定し、この政治・経済援助の申し出を《契機》に何が起こるか考察してみたい。

 はじめ、純粋な人道的な経済的な意味だけで援助が開始されるかもしれない。しかし、《ロゴス空間》の《ロゴス性》は必然的に経済援助だけでなく、《キリスト教的なもの》、およびその側面を支援するもろもろの《機関》、すなわち、《学校》、《病院》、《教会》などをその国へ送り込むことになる。つまり、《ロゴス文化》そのものをその国に伝達することが主要な目的に《変貌》する。そして、教会だけでなく諸々の経済的、技術的、文化的付属物一式がこれまた意識的、無意識的にその国へ《注がれる》ようになってゆく。そのような現象は、当初、あまり害がないように映る。ところが、この現象がある《時点》に達するとアメリカの援助によって恩恵を《受けられる層》と、その援助そのものによってますます《追い詰められてしまう層》とがはっきり区別されるようになる。

 ここにきて、はじめて事態の深刻さに《世界》が気づく。内戦状態がはっきりしてくるからである。尤も、今回のようなアフガニスタンあるいはイラクでの《展開》については、それ以前の問題であるが…。とにかく、《ロゴス文化》すなわちアメリカ文化そのものが悪いわけではないし、キリスト教文化そのものが必ずしも悪いわけではないが、それ自体《善》なるものが、結果的に《悪(=内戦、=内乱等)》を生み出す引き金になってしまったことだけはたしかである。

 なぜそうなってしまうのか? いくつかの理由が考えられるが、ここではその理由の詳細には立ち入らない。(研究の主題が異なるからなのだが)いずれにしても、大国アメリカの力を持ってしてもひとつの国の国民全員に潤いを与えるだけの援助などそもそも《無理》があるのである! 仮に、複数あるいはかなりの多数の国々が援助に協力したとしても、そのことは《不可能》なのである! なぜなら、ある国が自力で自国の《政治》や《経済》をやりくりしてゆけるようになるには、その国が抱えている援助を遥かに超えた《根本原因》にまで溯って課題を克服してゆかなければならないからなのである。さて、援助を受けた国の指導者たちはどうしても《ロゴス文化》すなわち《アメリカ文化》に馴染んだあるいは《アメリカ文化》に好意的なひとびとにその援助を優先的に《配分》してゆくようになってしまうのである。なぜなら、援助を完全に等分割しまえば援助にならないから。すると、援助を受けられなかった国民はどのような行動にでるだろうか? その行動が自分の《思想》から生みだされたものであれ、他から導入されたイデオロギーであれ、必然的に、アメリカ的な《ロゴス》を否定するそれ自体《ロゴス》である《反ロゴス》が生まれることになる! ここで第三章を思いだして頂きたい。《ロゴス空間》の消極的な《側面》として、《惰性化》という概念あるいは現象があげられたが、ここではより強力なマイナスの《側面》、すなわち《反ロゴス(=反米、=反キリスト教、=反資本主義)》あるいは《自爆テロ》を伴った《反ロゴス》という非常に強力な《随伴現象》を必然的に生み出しているということなのである。

 私がここで言いたいのは、アメリカが諸外国へ出ていってその政治的・経済的な役割を果たしてはいけないとか、アメリカの文化が堕落した文化だとか、キリスト教が駄目な宗教だとか、そういうことではない。そうではなくて、《ロゴス(=理念、=理論、=理性、=思想、=哲学、=宗教)》というものを定立するということは必然的に《反ロゴス(=ゲーデルの定理でいうところの”証明不可能な定理”、”このレコードはこのプレーヤーでは演奏できない…”といったもろもろの定理)》を誘導すること、そのことが言いたいのである。純粋な思想だけの問題ならば、論争するだけで多くの人間が殺戮されることはないのだが、政治の問題が絡むと(政治の問題が絡むということは、実は、何らかの利害、利権、国際戦略等に関わることなのだが)、ことは一層複雑になる。いずれにしても、ここで私が指摘したいことは非常に簡単で粗雑な素描であるが国際政治の現場に限ってみても、たとえそれが善なる《ロゴス(=理念{自由、慈善、博愛、人道主義、民主主義など}、=宗教、=思想、=哲学など)》であっても、その《ロゴス》を万人に強制することは極めて《悪》である! というまさにこのことなのである。同様なことが、対北朝鮮、対中国、対キューバ、対中東諸国、対アフリカ諸国などにもいえるのである。つまり、《ロゴス空間(=ことばの世界、=キリスト教空間、=イスラム教空間、=マルクス主義空間等)》では、おのれの《ロゴス》としての限界を正しく認識することが極めて重要なことなのである。

 聖書、コーラン、タルムード、仏典等に含まれている多くの教えがたとえ《真理》を含んでいたとしても、それらは《分裂病者》の大多数にはまったく効力を発揮できない。それと同じように、仮にアメリカの国力が抜群に威力を発揮しているとしても、最も遅れて(=物質的に)発展しつつある多くの国々にとって、場合によっては極めて有害なことがある…というこのことなのである。その具体的な例が、《ベトナム戦争》であり、《アンゴラ問題》であり、《ビアフラ問題》、《コソボ問題》、その他、中東で起こっている多くの国際紛争、対アフガニスタン、対イラク、対イラン、対パキスタンなどなど。決してアメリカを非難する目的でこの章が書かれているのではない! 《ロゴス》の《ロゴス性》のみを強調することがどのような帰結をもたらすか、その一例として《国際政治》というひとつの《場》をもちだしてきただけである。同様の議論は、国内政治における《教育問題》、《宗教問題》、《靖国問題》、《憲法改正問題》といったことがらに当て嵌めて《展開》することができるのである。以降の議論では、b アメリカ 対 日本 および c キリスト教 対 イスラム教、 キリスト教 対 ユダヤ教 といったことがらを中心に議論してみたい。

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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』
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参考文献:
『ヘラクレイトス』         ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』        滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》      滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』           山崎弁榮;
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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』         田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』         田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』          田川建三;大和書房
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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫
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『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』         ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』     木村敏;弘文堂
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『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社
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『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」

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