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zoom RSS 『信のたわむれ』 《ものの世界》:前半

<<   作成日時 : 2005/10/27 02:15   >>

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三 ものの世界(=史的唯物論の世界)

   《神は幻想である》

 唯物論の思想を支えているのは《客観性》と《普遍性》である。今、ここでその思想が主張する《客観性》あるいは《普遍性》の是非について問うことはしない。ここでその議論を始めると何万冊の書物をもってしても収拾が着かなくなるからだ。著者はここで、読者には現代思想がどのような経緯で展開してきたか、フーコーの『言葉と物』、J・モノーの『偶然と必然』、丸山圭三郎の『ソシュールの思想』等で洞察されたレベルの知識があるものとして議論を進める。また、フロイト、ソシュール、マルクス、ニーチェ、ハイデッガーを代表とする無神論者たちの思想を深く理解しているものと仮定する。

 ただ、ここで私が恐れるのは自分こそ彼等の思想の正しい解釈者だと標榜している人間が非常に多いということなのだ。そこで、私はまずこう断っておく。私は彼等の《思想》を自分なりに《同化》したひとりの《理解者》であって、自分の《理解》が完全な《理解》である…というような主張とは一切関係ない…ということ、このことを強調しておく。また、彼等ほどのレベルではないかもしれないが、キリスト教の《悪い亡霊》に悩まされながら、それと戦って自分の《思想》をものにしてきたことである。したがって、キリスト教の悪い本質を本気で受けとめてこないで、彼等の《思想》を体得したと《標榜》しているすべての《マルクス主義者》、《ソシュール主義者》、《ニーチェ主義者》、《フロイト信望者》たち、まして、それらの《思想》を越えたと称するすべての人間については非常なる《嫌悪感》を感じていることをまず断っておこう。

 さて、現代思想が展開されている分野、領域は限りなく広い。したがって、いちいち個々の領域あるいは分野の詳細について論じることは不可能であるし、無意味でもある。しかし、フーコーやニーチェには遠く及ばないが私が自分の人生で展開してきた分野は《哲学》、《心理学》、《精神病理学》、《数学》、《キリスト教》、《文学》、そして《コンピュータ》、《人工知能》、《記号論》、《意味処理》、《知識処理》、《脳科学》、《神経科学》、《考古学》、《文化人類学》など、それなりに広範な諸分野を歩んできた。なぜそのように歩んできたかといえば、システム設計をしているとき、強烈な《うつ病》に罹ってしまったのが切っ掛けだったからなのだ。

 抽象論的にな図式をここで当て嵌めると、《ロゴス空間(=キリスト教思想)》が《入口点》で、《非ロゴス空間(=仏教思想)》が《到達点》であるとすると、この《物質空間(=唯物論思想)》は入口点と到達点との間に挿まれた厖大な《本体》に相当する。人間に例えれば、ロゴス空間を《知覚》すなわち《視覚》、《聴覚》、《嗅覚》、《臭覚》、《接触覚》に例えれば、非ロゴス空間は《前頭葉》、《認識中枢》、《記憶中枢》、《学習中枢》、およびそれらをすべて統括した、《統合連合野》あるいは《連合中枢》といった意味合いであり、この物質空間は、《循環系》、《呼吸系》、《伝達系》、《中継系》、《連絡系》、《消化系》、《排泄系》…といった一切の《系》あるいは《組織》を意味する。

 つまり、この《物質空間》は実際の人間が日々生存するために必要な、《衣食住》から、それらを可能とする、《政治》、《経済》、《道徳》、《風俗》、《習慣》、《法規》、《技術》、つまり、《農業》、《林業》、《水産業》、《工業》、《流通》、《物流》、《交通》、《交易》、《通信》、《伝達》、《報道》、《戦争》、《歴史》、《医療》、《福祉》、《冠婚葬祭》、《レジャー》、《スポーツ》、《民芸》など、それこそ図書館の分類すべてを含むような諸ジャンルをカバーしているということなのである。

 以下の議論では上記すべてを単に《物質》と呼ぶことにする。《抽象化》に弱い読者には理解しにくいかと思われるが、もともとこの論文はすべて《抽象化》された思考が土台となっているのである。繰り返すがここで議論することは個々の詳細について展開することが目的ではない。人間存在の《根源》としての《ことば》すなわち《ロゴス》、人間の存在を存在たらしめる《必要の一切》としての《もの》、すなわち《物質》、そして《ことば》と《もの》だけではどうしても《隙間》をうめることのできない側面、すなわち《パラドクス(=逆説、=矛盾、=背理、=二律背反)》としての《こころ》というこの三つの《根源》から捉えた意味での《物質》、つまり《もの》なのである。

 また、ここでも注意していただきたいのだが、前々節《ことば空間(=キリスト教空間)》および前節《こころ空間(=仏教空間)》での説明でも指摘したことだが、《物質(=商品)》をせっせと生産して活動している国、すなわち《我が国》や《諸外国》のことを指しているのではないということである。日本やアジアの国々が《仏教国》ではないように、欧米が《キリスト教国》でないように、それと同様、ものや商品を生み出している国々が《もの空間(=唯物論空間)》というのではないのである。この《空間》は《ロゴス空間(=キリスト教空間)》によって確立された《自己》というものが《ロゴス(=言語)》そのものの《惰性化》によって必然的に《非活性化》されてゆく現象を発見し、《ロゴス(=神、=キリストなど)》そのものの絶対性をその根本から疑うことによって、《反ロゴス》として定立した意味での《無神論空間、=唯物論空間》なのである。

 この《空間》を支える根拠は徹底した《経験論的観察》と《唯物論(=物活論およびその系譜)》的抽象化によって生み出された《理論(=信仰)》がその思想の《根源》になっている。したがって、その前提としての《ロゴス空間(=キリスト教空間)》の存在が条件となっている。我が国の学者になぜ徹底した《無神論》の学者が少ないかというのは、その前提となっている《ロゴス空間》の真髄を十分マスターできていないからなのである。ここでいう《徹底した》という意味は、ゲーデルと同じレベルで数学を理解する、あるいはハイデッガーの水準で存在を理解する、ソシュールと同等のレベルで沈黙する…というような意味合いである。

 しかし、ここでも誤解してもらっては困るのだが、我が国にもっとキリスト教を広めろと言っているのではない。そのようなことは《不可能》であるばかりでなく《無意味》なことだからである。そうではなく、最も《ロゴス》的な環境に育った人間が、最も《反ロゴス》的に成長するというその可能性のことなのである。一例をあげれば、《ユダヤ教》は《キリスト教》以上に《ロゴス》的なのである。つまり、ユダヤ教の《律法》こそ《ロゴス》そのものなのである。それだからこそ、《反ロゴス》としてそれ自身《ロゴス》でもある《イエス》という存在が《反ロゴス》として定立し得たのである。だからこそ、ノーベル賞受賞者の圧倒的多数は《ユダヤ人》で占められているのである。別に贔屓してそうなったのではなく、そもそもノーベル賞そのものの意義が《ロゴス》のロゴス性を称える誉れだからなのである。何もユダヤ人が人種的、頭脳的に優れているわけではない。《ロゴス性》、《反ロゴス性》といった基本的な構造が必然的にそのような現象を生みだすからなのである。実際よく考えてみるがいい、ノーベル賞受賞程度の人間が、ヘラクレイトス、パスカル、ソシュール、ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガー、あるいは、バッハ、モーツアルト、あるいはホーマー、ウェルギリウス、ダンテ、ドストエフスキー、ジョイス、プルースト、あるいはゴヤ、ダヴィンチ、ゴッホといった人間たちにどれだけ遠く及ばないか…。 

  

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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』
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関連記事:
『一即一切』
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参考文献:

『ヘラクレイトス』         ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』        滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』   八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』           山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』         田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』         田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』      田川建三;三一書房
『宗教とは何か』          田川建三;大和書房

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『言葉と物』            M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』           J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』           ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』           ニーチェ;岩波文庫

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参考文献:
『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』         ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』     木村敏;弘文堂

『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社

『フロイド選集 (全17巻)』    フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」

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