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<<   作成日時 : 2005/10/02 09:13   >>

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「価値なき神」の哲学日記 bR」について
● 基本引用:
それから最後の三つ目は、今から19年前、私50歳のときに、この世界観の根本のところが閃いて以来ずっと毎日、思索しつずけ、比較的細かい部分を補充したり、あるいは、その後に起こった出来事について、この世界観が当てはまるかどうかを考えたりしてきた。それらのことは、全部、日記に記録してある。その詳細な記録・・・具体的な経過の記録が、この哲学に多少なりとも、人を納得させる力を持つものと思っている。
● 引用1:厳密な支配;
神による、我々一人ひとりの厳密な支配: at 2004 01/22 14:57 編集

我々人間は馬鹿。道理もわからず利己的で、また、まるでミミズのように先が見えない。人間は自分の運命を自分ではどうにも出来ない意味が大きい。それでいて人間は、すでに、こう自意識が発達し、痛覚も発達し、苦しみの感情も、強烈になっています。

だから・・・この状態は、無秩序に放置しておくことが出来ません。ここに神が介入し、いちいち一人ひとりの面倒を見、また社会全体の秩序づくりをする必要があります。人間を超えたところに秩序が存在する。

● 引用2:世界観の根拠;

一つ目
「人は、知恵の行き着くところ、道理に収束する。」
「人は、大いなる苦しみを取り込んで、道理にいたる。」
「人は、道理に納得する。」 「道理は、人を、納得させる。」

二つ目
「この哲学が伝える、この世のつくりはこうなっている…
という大きな枠組について」

三つ目
「今から19年前(私50歳のとき)、この世界観の根本のところが閃いた」
「以来ずっと毎日、思索しつずけ、比較的細かい部分を補充したり…」
「あるいは、その後に起こった出来事について、この世界観が
当てはまるかどうかを考えたりしてきたことがら…」

解説&寸評:

哲学日記 bRについて、上記の”引用1”および”引用2”に沿っておおよその雰囲気、感想、感触…といったところについて述べてみたい。

ぶっちゃけた話、現代人でまともに”哲学”あるいは”思想”を展開できる人間がどのくらいいるか、よくわかりません。しかし、すくなくともアメリカやヨーロッパよりあるいは中国よりはいくらかこの日本の方が環境的には優れているかもしれません。なぜなら、二千年も続いたキリスト教の偽善からはほぼ完璧に解放されている(実際はそうでもないのですが、それを言ってしまうと…ですから)ということ、また、地政学的、あるいは単純な物理的・地理的な空間配置および人種的隔たりの結果としてのイスラム教の影響からのほぼ完全な分離、また、幸か不幸か米国支配による共産主義的、単純な唯物論主義からの自由など、そういった一連のコンティンジェンシー(偶然)の結果、もろもろの思想がモツニ鍋のように絶妙にミックスされて、それなりにユニークな思想あるいは哲学を独自に展開できる個人が相当数存在することは否定できないと思うからなのです。

それで、ここに展開している”価値なき神”を論じる哲学者、ひとよんで”katinakikami”さんが登場した訳です。まあ、このお年になってから”ブログ”を立上げ、さらに、それに痺(しび)れるような編集をこれからご自身で加えられ、もろもろの編集、構成、校正、デザイン、レイアウト…といったことがらまで立ち入って、なさろうとしているわけです。

ですから、このブログの読者(モツニ哲学者のブログ)は、引用元である”katinakikami”さんの哲学をじっくり理解してから、二次的に派生したコメントを発生させているこのブログを参照ブログとして利用するよう心がけてくだされば、私としてはそれで十分なのであります。

さて、話をもどし、”katinakikami”さんの哲学を理解するには上記に示されたもろもろの伝統的な考え方、つまり、伝統的かつ偽善的なキリスト教的な思想(=民主主義、人道主義、人権主義、といった胡散臭い呼び名で語られているが、その本質はニーチェ、ソシュール、ハイデッガー、あるいはジョイス、ドストエフスキー、カフカ、オーウェルたちが洞察しているように微笑みのニヒリズム)、あるいは、伝統的かつ狂信的なイスラム教的、原理主義的な思想(=必ずしもテロを生み出す思想とは違うのですが…みなさんにその区別ができるかな?)、そして、伝統的かつ偽善的な超日本的な思想(創価学会、立正校正会等の既成大衆宗教、天理教その他もろもろの諸宗教、諸仏教、諸神道、その他もろもろの”神様”などなど)、そういった伝統的な宗教観、神の意識、あるいは伝統的な唯物論…などそういった既成の”神概念”を越えたところの、ある意味で”超越論的”に眺めた”神”の概念であることをまず認識する必要があるのです。

わかりやすいことばで言えば、ハイデッガーの”最後の神”、あるいは色即是空の”空”、あるいは一即一切の”一切”、あるいは”有そのもの”、”ロゴスそのもの”、”アレーティア”、あるいはアートマン・ブラフマンの”ブラフマン”、そして私流の言い回しでは”決して没することのないもの…”(ヘラクレイトスの断片16より)
そのような”神”を”価値なき神”と呼んでいるのです。

ですから、これはハイデッガー、ソシュール、ニーチェ、キルケゴール、ドストエフスキー、カフカ、オーウェル、ダンテ、ジェームス・ジョイス…といった一連の思想とあい通じるものがあるという、そのことが洞察できているか否かが問われるようなそのような”ブログ”であることを肝に銘ずる必要があるということなのです。しかも、”katinakikami”さん自身はこれら一連の思想家からの思想を伝授されたのではなく、彼のコンティンジェント(偶然的)な一回限りの人生においてこのような洞察に至った経緯が述べられていますから、猶更、そのことを頭にいれて彼のブログを味わってみるのがよろしいのではないでしょうか。

以上、哲学日記 bRの解説でした。

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