哲学日記

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zoom RSS 『信のたわむれ』 《分裂病者と天才》

<<   作成日時 : 2005/10/23 17:13   >>

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三 分裂病者と天才

 キリスト教と聖書しか知らなかったこの純粋な青年は、あの出会いではじめて根本的に異なる思想に出会ったのである。もちろん、彼は彼の《神》を信じていた。しかし、こころの非常に深いところでは何か得体の知れない地殻変動が起きていなかったと誰が断言できよう。そもそも人間のこころのなかの深い層では何が起こっているか知ることのできる人間などいないのだから……。

  青年はその夜、長い夢を見ていた。

            …………………………………………

 見晴らしのよい高台で青年は預言者と話をしていた。

 「先生、あなたは誰なのですか? 私はどこかであなたを見たような気がしますが憶えていません。差し支えなかったらあなたが誰だか教えてくれませんか?」と。すると、預言者は大きな声で笑いだした。

 「ハハハ、ハハハハハ、ハハハハハ……。何! わしを知らんのか? そうか、そうか、わしの福音は汝の国では述べ伝えられなかったのか? いや、そうではないだろう、汝がわしの預言に耳を貸さなかっただけだろう。まあよい、まあよい。わしは無神論者の中の無神論者、《神》を殺した者だ! そう言えばわかるだろう」といって杖をポンと地面に突いた。

 「あの哲学者さんなんですね。僕はあなたの書物を一度も読んだことがありません。ですから、あなたについては全く何もわかりません。でも、何でそのような僕がこうしてあなたと一緒にいるのでしょう。不思議ですね。僕はあなたを呼びませんでしたし、あなただってあなたの一番嫌うキリスト教の信者であるこのような人間に興味をもつはずありませんよね。だって、僕は神を信じているんですから。ねえ、そうでしょ」と青年は驚愕したように答えた。

 「わしが汝を捜したのか汝がわしを捜したのか、いずれわかる時がくるであろう。よいか、わしは世間で考えられているようにあの大工の倅を嫌っている訳ではない。ただ、ことばの方便でそのように言っているだけだ。あの大工の倅が実際に生きていた間、何を喋り、あるいは何を喋らなかったか、それはわしにもわからん。だが、あの偽りの書物の中ではそれがすべて事実あるいは真実だと断言して憚らない。おまえはそのような戯言をまだ本気で信じているのか」

 「ええ、信じています。なぜって、聖書には深い洞察が入っているからです。もちろん、随分その解釈に失敗しましたが、それは僕の解釈が十分でなかったからだと思います。ええ、信じています。なぜって、少なくとも僕の観察ではこの宇宙はあまりにもよくできすぎています。偶然にこの宇宙ができたなどと考えることなど到底できません。僕は不完全なゴミのような存在に過ぎません。だから、ゴミのようなこの僕が神に向って神のことばが《うそ》だなんてとても言えません。それに、実際あの書物は書かれてからずうっと存在してきたではありませんか。旧約だって新約だって実にその内容は深いと思うのです。その哲学、その洞察、その人間観察、その心理分析、それらすべてがいかに優れているか、僕にはどうしてもそのようにしか思われません。あなたのように、あの書物を完全に抹殺することはどうしてもできません。何も神が恐ろしいからではなく、僕自身あの書物にそれなりの、というより、殆ど自分の生活全部を賭けているくらい魅力を感じているのです。実際、あの書物からいかに多くの《哲学》、《文学》、《芸術》、《文明》、《文化》が生み出されてきたか、あなただってそれは認めるでしょ。もしキリスト教がなかったらこのような文明や文化は生み出されなかったでしょう。あるいは、たとえ生み出されたとしても、もっともっと時間が掛かったかと思うのです。僕はたとえあなたが否定しても聖書の価値を認めない訳にはゆきません。今、僕は精神の病いに侵されていますが、だからといってあの聖書の価値を捨て去るつもりはありません。ある意味で僕が生きるそのひとつの源泉なのです。いまのところ、あの聖書しか僕の人生には指針がないのです。あなたが言うようにあの書物は悪い書物ではありません。僕はあなたの思想がわかりませんから、あなたがどのような理由であの書物の内容を否定しようと、僕はいまのところ聖書だけで十分です。でも、もしあなたがその理由を僕に教えてくれるなら、僕は聞きます。あなただってそれなりの理由は持っているはずですから。ねえ、そうですよね」といって、真剣そうな青年はこの預言者からの応答をまった。

             ………………………………

 一般に分裂病にしてもうつ病にしても、その治療にあたっては薬物療法が基本であり、この青年の場合も私の場合も、精神安定剤を長期に亙って服用してきた経緯があり、その結果、精神病者が夢を見る場合、幻覚とまでは言わないが通常の夢とは多少違った夢を見るものである。筆者が最も印象に残っている夢はうつ病が最も悪化したとき、自殺すれすれの状態のとき、間一髪助けられたその後に見た夢である。その夢では、自分の脳味噌がミジンコのような細かい無数のうようよしたものに少しづつ食い千切られていく様子がその光景として、まざまざと残っているのを二十年も経った今でも忘れることができないのであるが、この青年の場合、夢ではなく現実に《幻》を見ていることを私に報告してくれたのである。現代では脳科学や神経科学が格段に進歩して、幻覚や幻聴、幻視、といった諸現象がどのような過程を経て実際に脳内現象として現出するのかだいぶ詳しく説明できるようになってきたらしいのであるが、それはそれとして、自分があの当時、あのような切羽詰まった状況で見た夢では、あの無数の細かいミジンコのようなものが細かい数字、あるいは、《数そのもの》とでもいった方が正確かもしれないが、その光景が自分の内実をもっともリアルに描写していたのである。要するに、夢を創る《側》、目にみえない《主体》、《無意識》、あるいは《前意識》といったものが夢を創造する場合、その凄まじいまでの全体的な構想力、構成力、括りつけ…といったものの整合性の凄さ、これが言いたかったのである。で、話をもどし、この青年はある伝道集会がその終りにちかづいたとき、突然、自分の幻視体験を皆の前で喋ったのである……。

「みなさん、わたしは脳中の幻でパウロが第七の天から降りてくるのを……」

当時わたしはまだ第一回目のうつ病から完全には脱却していなかった理由もあって、ダンテの『神曲』などはノンフィクションというよりフィクションという風に捉えていたせいもあって、この青年の第七の天の幻は不気味なリアル性を私に齎したのである。

              ………………………………

 「まあ、そんなむきになるな。わしはおまえから聖書をとりあげるためにきたのではない。わしだっておまえが聖書にそれほど固執するその理由がわからない訳ではない。人間何かの支えがなければ不安でならないことぐらいわしにもわかるというものじゃ。じゃが、それはそれとしてじゃ、おまえにはそれしか頭に入っていないというまさにそのことにおまえの一番の問題があることにおまえ自身がまったく気づいていないことなのじゃ。よいか、それがおまえの最大の問題なのだ。なぜなら、そのような構造そのものがおまえの精神を分裂させている《原因》そのものなのだ! わしも分裂病だがおまえの分裂病とは根本的に《格》がちがう。わしは古代ギリシャの思想から現代の思想すべてを全部横断して、哲学だけでなく、《言語》について、《詩》について、《心理》について、《風俗・道徳》について、《生理学・解剖学》について、そして《聖書》について、最後に《進化論》についてそのすべてを眺め尽くし、深い洞察に到達したのだ。そして、その洞察をもっておのれの思想を成就するため、敢えておのれの《運命》として《狂人》になってもかまわないことを選びとったのだ! よいか、おまえの分裂病など赤子のそれに等しいのだ。分裂病を誇るのはかまわない。これは選ばれた人間にしか許されない特権なのだから。じゃが、いいか、分裂病はもっとも《貧しい》精神からか、もっとも《豊かな》精神からか、そのいずれかによって生みだされる現象なのだ! 世間の人間は生まれながらにしての《精神の盲人》であるが故、最も貧しい精神と最も豊かな精神のその区別がつかないのだ! それは中途半端な精神だからなのだ。まあよい、まあよい。ところで、おまえの分裂病はその最も貧しいおまえの精神から引き出されたその結果が必然的におまえにそうさせているのだ。いちいち数え上げればきりがないが、おまえのような分裂病者が無数にいるのだ。ある人間は自分が《自分が望むほど美しくない…》というたったそれだけの理由で分裂病に罹るのだ。いいか、おまえはそれとまったく同じなのだ。その人間にとって、自分が《美しい》とひとから誉められるたったそれだけのことが人生の目的になっているのだ。そのような人間が、たまたま、その姿や顔が美しく生まれたとすると、それだけで満足し、それだけの人生を全うして死んでゆく…。それらの人間たちはただ分裂病にならなかっただけで、人生のその内容はといえば、分裂病者のそれと何等変るところはないのである。つまり、美しさだけの理由で自殺する人間も、美しさのみを頼りに人生を全うする人間も、その本質は同じだ。いずれもひとから《美しい…》と思われたいというたったそれだけのことなのだ。そして、おまえはそのような人間なのだ。わしが言うのは、聖書から離れろと言っているのではない。世界を広く、高く、深く、遠く眺めろ…っていっているのだ。もっと、もっと、宇宙そのもの、大宇宙そのものを眺めろっていっているのだ。ところがどうだろう、聖書は聖書だけに依存しろっていっている。どうしてか知っているか、嫉妬深いのだ。浮気されるのがいやなのだ。夫に愛してもらえない妻のように、常に疑い深く監視しているのだ。誰か他の愛人はできはしないか…と。そのような《嫉妬》あるいは《復讐心》があの書物には本質的に内在しているのだ。それは新約も旧約も同じだ。わしの書物にはそのように書かれていない。誰でもそこに価値を認めるものはそこに価値を認められるよう書いてある。ただ、表現が詩的に過るだけだ、アフォリズムに依存しているからだ。いいか、わしは自分の書をおまえに読めといっているのではない。あの聖書の呪いからもう少し自由になれ…と言っているのだ。わしだって、その価値をまったく認めないわけではない。ただ、あの書物の最も悪い理由は、本来《生きて》ぴちぴちしている生命の躍動そのものを奪ってしまうようなそのような《誤解》を万人に与えているということなのだ。なぜそうなのか、それは《言語》はすべて《両義性》、《多義性》、《多重性》、《多層性》、《あいまい性》、《象徴性》、その他考えられるすべての心的、心理的、精神的、精神病理学的な諸言語現象を必然的に自己言及的に波及させてしまう可能性があるからなのだ。だから、聖書の作者だけを責めるつもりはない。彼等はもともと日常の言語で表現できないことを言表しようとしたのだから。それは認めるとして、その解釈は常に《権力の側》に都合がいいように《解釈》されてきたし、これからも解釈されつづけてゆくのだ。わかるか、人間というものは常に自分の都合がいいようにしか世界を《分節》できないものなのだ。おまえは《言語》の何たることを学んだか。《言語》は永遠に極めることができないものなのだ。いいか、《言語》は《宇宙》そのものなのだ! いいか、わしがおまえに言いたいのは、おまえが自分で自分を縛っている、その紐を自分で解いて、世界をもっと自由に眺め直さなければならないのだ。おまえを解放するのはおまえだけであって、《聖書》でも、《神》でも《イエス》でもない。《聖書》も《神》も《イエス》もすべて《言語》によって生み出された《幻想》なのだ。分裂病者が自分で自分に《妄想》を生み出すのとその構造は同じなのだ。世界は広い、宇宙はもっと広い、けれど、《言語》はそれらすべてよりもっともっと広く、深く、闇いのだ。そう、どす闇いのだ! しかし、そのどす闇いところから、《詩》が生まれ、《歌》が生まれ、《ことば》が生まれてくるのだ。だが、その生まれてきた《ことば》はあるものはやがて惰性化し、なんの輝きもなくなるし、あるものは再び力をもって復活してくる。それは言語そのものが復活したのではなく、その言語を聞くものに新たな《悟り》、《洞察》が生まれるからだ。わしは聖書を抹殺するためにあの書物を書いたのではない! 聖書の洞察よりさらに《高く》、《広く》、《深く》、そして《遠い》洞察に人間が到達できるよう、そのようにあの書物を書いたのだ。そうだ、人間はわしの書いた書物さえ越えなければならないのだ。そうだからこそ、おまえのところにやってきたのだ。おまえはパウロが第七の天から降りてくる幻を見たのだから、わしが第七の地獄から昇ってくるこの幻も見るがいい。パウロの天もわしの地獄もより高いレベルでは同じものであるというこの奥義をやがて人類は見出すであろう! おまえはいつか、あの老人から教えを受けたではないか。いいか、わしとあの老人は別に異なる思想をもっている訳ではない。禅の《悟り》と呼ぼうが、《本覚》の成就と呼ぼうが、《無心》と呼ぼうが、その呼び方はどうでもよい。問題はおのれの《意識》が宇宙の《意識》に合体するほどまでに自分の《意識》を宇宙的なものに鍛えてゆかなければならないのだ。おまえは自分が《分裂病》だと強調する。それはそれでおまえにとって不幸な部分は認める、しかし、いっぽうでは、それはおまえが自分でそのようにしているのでもあるのだ。あの偽教祖のように、分裂病でもないのに分裂病を偽るものは地獄のなかでもっとも惨めな地獄に落ちるのを知っているか。いいか、厳しいようだが人間は自分で自分を乗り越えなければならないのだ。それが禅の修業であり、人生行路でもあり、信仰生活でもあるのだ。ようするに、すべての人間はそれぞれのあたえられたアウシュビッツ、広島・長崎という地獄を通して、それらすべてを苦しみぬいて自分自身を完成させなければならないのだ。わしが自分の分裂病の苦しみを味わうのと、アウシュビッツで、あるいは広島・長崎でそれぞれの人間が地獄を味わうのは実はまったく同じなのだ! いいか、やがて地球全体レベルで広島・長崎と全く同じことが、アウシュビッツと全く同じことが、アフリカの奥地で展開されている地獄が、中東で展開されている地獄が、必ず起こる…。そのとき、あの謎の変人、あの暗闇の変人のことば、《上ることは下ることである…》、《立ち現れることは没することに恵みを送る…》といった箴言、そこに刻まれている深い意味を悟ることができよう。そのとき、《天国》と《地獄》とは必ずセットになっているというそのことを洞察することになろう。すべてのひとはそれぞれの《天国》とそれぞれの《地獄》を《諸対立物調整の法則》に従って必ず両方受け取るのだ…と。そうだ、そのときあのダンテの《天国》と《地獄》が実は極めてリアルなものであることを悟ることになるのだ。そして、そのときおまえの《意識》は《永遠の意識》に変えられるのだ。そのときこそ、《精神》としてのおまえは不滅になるのだ…」 





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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
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参考文献:

『ヘラクレイトス』          ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』        滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』   八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』           山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』       田川建三;新教出版社
『イエスという男』          田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』          田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』          田川建三;大和書房

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『言葉と物』            M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』           J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』           ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』           ニーチェ;岩波文庫

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参考文献:

『精神分裂病 上下』      ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』          ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』    ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』       ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』      木村敏;弘文堂

『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社

『フロイド選集 (全17巻)』  フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
この『信のたわむれ』という作品は、平成3年頃わたしの最初の本格小説『異常なる感性』の第一章(第一巻)「回想」、第二章(第二巻)「饗宴」、および第三章(第三巻)の合間に生まれた論文集です。本来、わたしの最も書きたい作品は小説、それもジョイスとかプルーストとかダンテとかドストエフスキーと互角に渡り合える規模の質と量を備えた本格的なものです。
モツニ
2005/10/23 19:39
その『異常なる感性』という作品は全24巻、トータル24000ページほどの超大作になる予定です。現在最初の3巻分、約2700ページぐらいが既に書きあがっています。まだ発表する予定はありませんが、この作品には”数学”、”人工知能”、”脳科学”、”神経科学”、”精神分裂病”、”宗教”、”哲学”、”神話”、”民話”、”童話”、”ファンタジー”といったものがすべて含まれる、そのようなスーパー大河ドラマです。
モツニ
2005/10/23 19:45
内容的には、ダンテの「神曲」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、ゲーテの「ファウスト」、ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」、そして、宮沢賢治のかなりの童話をすべて統合したようなそのようなものです。現在、私、掃除のアルバイトで1日4000円の収入で生活しています。で、そのような生活を敢えて”神”に求めました! 時間が欲しいからです。
モツニ
2005/10/23 19:50
最後に、こんなことを言っては文学者の方々に叱られるかもしれませんが、ごく例外を除いて、ほとんどすべての文学者(小説家、その他すべて)はぶっちゃけ、マスタベーションレベルの作品しか生み出していません。要は、1000年、2000年の風雪に耐え得るような、ホーマーとかダンテとかドストエフスキーとか、プルーストとかジョイスとか、とにかくそういったひとびとが書いたような作品を書きたいのです。しかも、ゲーデルの数学能力、ソシュールの言語理解、フッサール、ハイデッガー、ニーチェ、キルケゴールレベルの哲学とビンスワンガー、ミンコフスキー、木村敏レベルの精神医学の知識を登載し、デネット、ドーキンス、チャーマーズ、ダグラス・ホフスタッターの少なくとも1000倍の密度を持った仕事をこなし、ミヒャエル・エンデ、宮沢賢治、ル・グウィンの香りをたっぷり含んだような、そのような仕事を考えています!
モツニ
2005/10/23 20:01
コメント入れていいですかね。
ちょっと時間をかけてしまいましたが、
本夜、やっと第2章まで読み終えました。
第一章の最初の方では、まったく「読めない」ものと思ってたけど自分にも「読める」ものでしたね。
これを「面白い」と感じるのはまだ早いかな。
第三章を読み終えたらまた報告します。どうも^^
HIRAKAWA
2005/11/28 20:49

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