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zoom RSS 『信のたわむれ』 《分裂病者と覚者》:前半

<<   作成日時 : 2005/10/23 11:16   >>

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二 分裂病者と覚者

 深い緑に囲まれ、ひっそりとした境内には、質素な本堂とみすぼらしい庫裏があるだけでこれといった特長はない。ただ、丁寧に掃き清められた庭の砂利はさながら禅の宗派を思わせる独特の模様を示していた。あたりには鳥のさえずりがときおり聞えるだけで、あとは静寂そのものであった。竹で編んだ低い庭の柵を横に見ながら青年は古い木造の建物の玄関へと進んでいった。「ごめんください」と青年は静かな声で訊ねた。

 「はーい」という女性の返事の後、ややあって、「よう来た、よう来た」という老人の声が青年を長い間待ち受けていたかのようにまっすぐ彼に向っていった。青年は六畳ほどの居間に案内された。床の間には薫源を彷彿させるような南宗画が掛かっていた。

 「あなたのことは滝沢から聞いておりました。わしも随分彼とは議論したものじゃが、お互いもうだいぶ年をとってしもうた。お若い方、滝沢はな、若い頃よく座禅を組んでおった。西田のところに入り浸りだったのじゃ。西田も西田、滝沢をかわいがったもんじゃ。ところが、不思議なものよのー、その西田によって滝沢は耶蘇つまりクリスト者になったのじゃからの。それも仏の計らいじゃ…と言えばそれまでだが、わしは滝沢なら《覚》を極め《本覚》に到り、おのれの悟りを確立するものと信じていたのじゃ。して、その悟りを衆生のため役立ててもらいたかったのじゃ。じゃが、滝沢はそうはしなかった…」と老人は昔のことをなつかしがるようにゆっくり喋った。あたりはひっそりとしていた。

 「ところで、お若い方、あなたもクリスト者じゃったのー、滝沢から聞いておる。まあよい、まあよい。クリスト教のこともあとでゆっくり聞かせてもらおう。ところで、あなたはわしにどのような話が訊きたかったのか教えてくださらんか…」といって、老人は、やや大柄な、目のくりくりっとした青年に最初の会話を促がした。

 「先生、僕は十八のときある女の子と付合っていました。そして、たまたまその娘が教会に通っていたものだから、だんだん自分も教会にいったり聖書を読んだりするようになって、とうとうキリスト教に入信してしまいました。それからは聖書ばかり読むようなそんな生活が随分つづきました。けれど、僕は教会のなかで牧師や信徒たちとあまりうまくやってゆけませんでした。話が合わなかったんです。ぼくの考えている信仰と彼等が考えている信仰が全然違うんです。

 そうこうしているうち、原因はわかりませんが僕はだんだん自分で自分が変になってゆくようなそんな現象が起こり始めたんです。あるとき、夢の中ではなくはっきり意識しているときに脳中に幻が現れ、パウロが第七の天から現れてくるのが見えてしまったんです! あの現象は一回だけだったんですが、それ以来体調があまりよくならなかったし、どうもいままでとは何か違うんです。そして、突然あるとき不安で不安で眠れなくなるようになってしまったんです。

 それで、医者に診てもらったら、どうも精神病らしいんです。そこで、その医者に紹介してもらって有名な精神科の先生に診断してもらうことになったんです。それで、質疑応答のペーパーテストやロールハッシャ・テストなどを受けたんです。すると、その結果は分裂病だったんです。ただ、まだ病状が軽い段階なので、正しく処置すれば必ず癒ると言われました。

 で、その治療とは薬物療法、心理療法そして作業療法の三つでした。はじめのうちは医者の言うことをしっかり守ってちゃんと薬を飲んでいましたが、薬を飲んでも飲まなくてもあまり変りがないので、つい薬を飲むのを止めてしまうことがしょっちゅうありました。とにかく、何もかもが思うようにゆきませんでした。そのとき僕は長野で両親と一緒に自宅で療養していました。ところが、作業療法ということを思いついて、精神科医の了承を得て東京で働いてみることにしたんです」と言って少し間を措いた。

「そうでしたか、そうだったのですか、それはそれは大変難儀なことじゃったのう」と老人も自然に相槌ちをいれた。

「そして、働きながらあちこちいろいろな教会にも顔を出すようになったんです。ところが、やはり、どこの教会でもどの牧師とも誰とも旨くゆかなかったんです」

「そうですか、そういうもんですか。わしゃあクリスト教について詳しくは知らんが、そんなもんなんですか」

「そうこうしているうち、ある教会で変ったクリスチャンで出会ったんです! 」

「ほう、それはおもしろい。そういうこともあるんじゃのう」

「そして、それ以来彼と僕とは非常に深い友達関係になったんです。彼は僕のように分裂病ではありませんでしたが、かれは非常に思いうつ病に罹った経験があったのです」

「そうですか、そういうひとだったのですかその彼というのは」

「それで、僕たちはそれぞれ自分の精神の病気がどれだけ苦しいものであるか一緒に喋ったものです」

「わかりますぞ、その気持は」

「彼と教会で一緒になるものですから、礼拝が終ったあと、一緒に近くの食堂で食事をしてから、行き着けの喫茶店コーヒーやお茶を飲みながら実にいろいろな話を喋ったものです」

「そりゃあそうでしょう。あなたの気持はよくわかります。それにしても、あなたはそのような変ったクリスチャンに出会ってほんとうに幸運じゃったのう。たしかにあなたの言うように彼だってあなたの病気を治すことなどできないのじゃからのう。でも、そのような人物に出会えたことはあなたの慰めには多少ともなるわな…」とやや目を細めて相槌を入れた。

「勿論、僕の病気はなおりませんが、それでも僕のたったひとつの慰めはそのクリスチャンといろいろなことを喋ることだったのです。なにしろ、彼は僕の話を真面目に訊いてくれるから」

「それは、それは、なかなかそういうことは少ないんじゃろうが」

「とにかく、彼は牧師や他のクリスチャンとは全然ちがうんです。で、僕と彼がつき合うようになってだいぶ経ってから、僕たちは二人ともその教会を離れるようになったんです」

「まあ、ある意味で自然の成り行きかも知れんのう」

「別にその教会に恨みがあった訳ではないし、牧師に恨みがあった訳でもありませんでした。ただ、話相手として牧師や信徒たちではあまりにも水準が低過ぎて話にも何もならなかったからなのです。わかります、この気持」

「わかるとも、まっ、わしも別の意味でそういうことをさんざん経験しておるからのー、そういう意味ではクリスト教も仏教もあまり差がないかもしれんのう。とにかく、仏教もクリスト教とおんなじじゃ、そういうことにはのう」

「別に僕たちの水準が高いとは思っていませんでした。僕たちは普通だと思っていましたし、僕自身今だって別に水準が高いとは思っていません。とにかく、そういうことがあって、僕たちは教会を離れたんです…」といって青年は一息ついた。

あたりは、あいかわらず静寂そのもの、ときおり鷺か雉のような鳥の鳴き声が間を措いて間欠的に聞えてくるだけである。

「僕は教会を離れても神の存在は信じているし、聖書の言葉もそのまま信じていますが、僕のその友人はどうも神の存在そのものが幻想ではないか…と疑うようになっていったみたいなのですが、それは措いておきます」と青年は老人に自分の出会いの仔細について懇々と訴えつづけるのであった。

「そうこうしているうち、あの滝沢先生に出会い、こうして久松先生にお会いしているという訳なのです」

「そうか、そうか、そうだったのか。そういうこととは知らなかったもんでのう、お若いの」

「僕は仏教のことは何もわかりませんので、仏教とキリスト教の違いとか、仏教とキリスト教で似ているところなどを話してほしいんです」と言って一息ついた。老人はにこにこしながら、一服お茶を奨めながら、自身軽く一杯お茶を啜ってこう話した。

「わしゃな、おまえさんのように詳しくはクリストの人格やクリスト教については知らんがのう、どうも《神》ということばにひっかかるのじゃ、わかるかな、わしが言いたいことを」

「と言いますと」

「禅でも浄土宗でも真宗でもその他だいたいどの宗派であっても同じことじゃが、一般に仏教ではそもそも《神》という概念をあまり持ち出してこないのじゃ」

「どうしてなのですか?」

「わしも、わからん。とにかく、西洋ではやれ人格神だ、神人だ、我と汝の関係じゃ、などと《神》とか《人間》という概念に重心を置き過ぎておるわ。それがいいか悪いか一概に言えないが、少なくともわしには《神》が存在するか否かは別にとして、《人間》というものがこの《大宇宙》に於いてそれほど特権的な存在だとは思っていない」と老人は漸く自分の独自の思想の片鱗を少しづつこの青年に開示し始めたのである。依然として、あたり一帯は深い静寂に包まれ、全体から漂うもろもろの植物の香りがよけいにこの二人の会話に非人間的な要素を強調するかのように、その場の空気を盛り上げていた。

「もちろん、人間が大切じゃないと言っているのではない。命が大切なことはわかっておる。そこでわしはこう西洋人に問うのじゃ。《命とは何か》とな。すると西洋人から返ってくる答えは貧弱な《命》の概念しか返ってこないのじゃ!」

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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』


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参考文献:

『ヘラクレイトス』         ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』   八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』      久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』       滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;
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『マルコ福音書 上巻』     田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』     田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』     田川建三;三一書房
『宗教とは何か』        田川建三;大和書房

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『言葉と物』            M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』           J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』           ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』           ニーチェ;岩波文庫

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参考文献:
『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』         ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』    木村敏;弘文堂

『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社

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『フロイド選集 (全17巻)』    フロイト;日本教文社;
特に 「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」
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