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zoom RSS 『信のたわむれ』 《分裂病者とキリスト教者》

<<   作成日時 : 2005/10/23 05:56   >>

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第二章 分裂病者との対話

 第一章ではそれぞれの立場の人間がそれぞれ自分の立場をどのような原点に立脚させて議論を展開させていたかを論文形式で素描した。この章では小説形式で架空の人物を登場させ、《その》人物といままで論じてきた人物たちと《架空の対話》をさせてみたい。架空の人物といっても、実は形を変えた《私》でもあるのだが、《その》人物と今このテキストを紡いでいる人物が同一の人物であるとは限らないし、限る必要もないのだが、いずれにしてもこれから展開してゆく世界は、その架空の人物、その架空の人物と架空の対話を展開する人物たち、その架空の対話を表象するテキストの紡ぎ手すなわち《私》、そしてその架空の対話を頭の中で再構築している実在の《あなた》、以上の四者による四次元ウロボロスになる訳だ。

 読者はあのミシェル・フーコーの『言葉と物』およびダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャ・バッハ』を思い出して頂きたい。これから展開される架空の世界はその二冊の書物から多くの示唆とヒントを受け継いでいるが、キルケゴール、ニーチェ、ドストエフスキー、ダンテ、ゲーテ、ジョイス、カフカ、エンデ、ケストナー、ル・グウィン、賢治など伝統的な人々からの伝統的な《異常世界》に関する知識をも舞台の背景に潜ませていることは言うまでもない。

一 分裂病者とキリスト教者

 「滝沢先生、僕は神の存在を信じています。けれど僕は分裂病です。どうして神は僕の祈りを受け入れてくれないのでしょうか? 僕が悪いのでしょうか? 僕の信仰に問題があるのでしょうか? 聖書には義人の祈りは必ず受け入れられると書いてあります。すると、僕は悪人なのですか? 悪魔なのですか? 悪霊にとり憑かれた者なのですか? 聖書は分裂病者には最初から福音を伝えることは考えていなかったのでしょうか? この分裂病の世界は聖書の力が及ばない《ブラックホール》なのですか? あなたは《不可分・不可同・不可逆》の根源を教えてくれます。しかし、あなたの《不可分・不可同・不可逆》では僕の病気は治りません。もちろん僕はあなたのそれを真理であると信じています。僕は自分が分裂病者であることを神に恨んではいません。神を信じているのだから、神が僕をどのような境遇に導いてもそれは神の権利です。しかし、それでも僕は先生に言いたい。それでは僕はいったいどうすればいいのでしょうか……」

老人は彼の言葉にしばし頷くだけで、長い間沈黙を続けていたが、やがて静かにこう答えた。

 「あなたが神をこころから信じているのは私にもわかる。今まで私が会ったどのような人物よりもあなたは純粋に神を信じている。それだけに、私はあなたに対しどのように答えていいかわからない。神が決定することだからしかたがないと言って片付ける訳にはゆかないことも認める。これはあなたにとって難問であるとともに私にとっても難問である。私は専門家ではないが、だからと言ってそのことがあなたの問いから逃げる言い訳にできないことも認める。しかし、では《どのように》あなたに答えていいのかまったくわからない。《何を》あなたに答えて答えてあげればいいのかもわからない。すまないがあなたのどの問いから私は始めなければならないか教えてくれないか」と申し訳なさそうに青年に嘆願した。

 「僕は多くのクリスチャンで出会ってきましたが、先生のようなクリスチャンははじめてです。先生も随分自分の人生に苦しんできたんですね。僕にはわかります。先生は他の多くのクリスチャンと違って自分のわかっていることとわかっていないことが区別できるんですね。多くの牧師や聖書学者はまったく何もわかっていません。純粋なバカです! しかし、少なくと先生は自分が無能であることを認識しています。これははじめての体験です。今まで自分が知っているクリスチャンは友人のあの《異常者》だけでした。先生、実は僕はかつてその友人と延々と語りあったものです。彼だって先生と同じように私を精神分裂から救ってくれはしませんでした。けれど先生と同じように僕の話相手に真剣になってくれました。そう、僕のような人間にも一切差別することはしませんでした。だから、いいんです。先生、別に先生に僕の質問を答えてもらおうと最初から期待なんかしていないんです。だって、僕の問いに答えられる人間なんていないんですから。ただ、僕のあの友人と同じように先生が僕の話を訊いてくれるだけでいいんです。僕は神の存在を信じている! たとえ神が僕の分裂病を治してくれなくても僕は神の存在を信じているんです。しかし、僕は苦しい。絶望している。ほんとうに孤独なんです。この気持ち、わかります? 神を信じているのにこんなにも孤独なこの気持。先生の《不可逆》とはこのことなんでしょ」と。

老人は、この青年の訴えに強くこころを打たれ、しばらく考え込んでいたが、やがて静かにこう言った。

 「私は今こう考えている。もし自分があなたの立場に置かれたら、どのような問いを外に向けるか…ということをね。つまり、自分が《不可分・不可同・不可逆》の根底を確立して、しかもその結果自分があなたの立場に置かれた…と仮定してみる。するとどうなる? 私は自分の《不可分・不可同・不可逆》の根底を撤回するだろうか? あなたがそれでも神を信じているように、私は私で自分の根底を撤回することはないと思う。あなたは自分が分裂病から解放されるために神を信じているのではないように、私もそのように神を信じている。だから、仮に自分が分裂病になったとしても自分の《不可分・不可同・不可逆》の根底を放棄することはできない。つまり、こういうことではないだろうか? あなたは分裂病でありながら神を信じている。そして、私は分裂病ではないが神を信じている。もし私の信仰があなたのそれと同じであれば、すなわち《不可分・不可同・不可逆》が分裂病そのものであると仮定して、それでも神を信じているなら、あなたは私と同じ立場に立てるのではないだろうか…」

これを聞いた青年は、けれど、こうづづけた、

 「すると、神の存在が絶対であると措定し、信仰がすべてであると仮定すると、その人間が神を信じているその信仰の強さに変りがない限り、天才も分裂病者も普通の人間も一切その構造に変わりがないということになりませんか? しかし、構造は同じでも僕は実際このように苦しんでいるのに先生は僕のこの苦しみを絶対にわからない! 構造は同じでも現実の苦しみは絶対的に違う。この不公平はどこからきているのでしょうか? 神が決めるからしかたがない…と言ってしまえばそれ以上議論はできませんが、これは不条理ではないでしょうか?」

 老人はここにきてまた深く考えこんでしまった。彼はあのキリスト教の《運命論者》たちの亡霊を垣間見たからなのだ。すべてを《運命》に押しつけ、一切の議論を片付けてしまうあの偽キリスト者たちの忌むべき《教義》を思い出したからなのである。して、ややあって、また静かにこう語りだした。

 「私は自分の根源、すなわち《不可分・不可同・不可逆》の原理を撤回することはしない! しかし、この根源を万人に適用し、これを唯一絶対の真理として議論することはもう止めることにする。つまり、この原理をあなたに適用することは止めることにする。私の根源は本質的に《私だけのものとして》取り扱うべきものだったのだ! かつて、ある仏教者と対話したがそのとき彼は一切何も答えることをしないで、完璧な答えを私に差し出してくれたが、今、漸くその深い意味がわかってきた…。そもそも、信仰とは自分と神との《二人だけの》単独の関係なのだ! そう、二人だけの個別の《契約》なのだ! あの仏教者の信仰の水準の方が、私のそれより格段に優れていたのだ! 何を《信じるか》、どのように《信じるか…》というようなことより、どのように《生きるか…》ということが《根本的な》ことがらなのだ! 何を信じているか、どのように信じているか…というようなことはその人間が《どのように》生きているかによって決定的に依存していることであり、その人間が《何を信じているか》、《どのように信じているか》を語ることではないのだ! すると、八木と田川ではまるきりその生き方が違うではないか! 私は、もう一度自分自身を考え直さなければならないような時期にきているようだ。私はあなたに何もすることができない。しかし、あなたのために祈ることはできる。その祈りが神に届くかは私にはわからないが、私はあなたが私を遥かに超えた高い信仰をもっている人間だと認める。それは、あなたが分裂病者だからだという訳ではなく、分裂病にもかかわらず、というより、分裂病云々を度外視して、あなたがあなたの神を信じるその信仰そのものに於いてあなたは私を遥かに超越していることを認めないわけにはゆかない…」

 「しかし、不思議ですね。神は先生のそのようなこころを知りながら、僕たちの苦しみに直接介入することができないのですから。神を捨てるより分裂病になってもかまわない…という先生の気持ち、よくわかります。すると、神を信じるということはそもそも《狂気》そのものかも知れませんね。ということは、神の存在を徹底的に《肯定》することも、徹底的に《否定》することも、そのどちらもその本質は《狂気》そのものであるとすると、もしかしたら、先生とニーチェとは実は全く同じ立場、同じ信仰にたっているのかも知れませんね。もう、どうでもいいや……」

            …………………………

 このようにして、老人と青年は不思議な会話を延々と続けていった。ちょうどかつての私とあの青年が延々と会話したように…。この二人が何を、どのように語ったのか、それは誰にもわからない。ただ、言えることは、《言語》、《存在》、《認識》、《時間》、《空間》、《歴史》、《宗教》、《科学》、《芸術》、《自由》、《摂理》など時間が許す限りすべてのことがらについて論じたかもしれない。


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『信のたわむれ』 目次一覧
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第一章 対話すること
一 語ること と 沈黙すること
二 情熱のウロボロス
三 《覚》の徹底化  
四 信じること と 喰うこと (前半)  
四 信じること と 喰うこと (後半) 
五 幻想としての宗教  (前半)
五 幻想としての宗教  (後半)
第二章 分裂病者との対話
一 分裂病者とキリスト教者
二 分裂病者と覚者 (前半)
二 分裂病者と覚者 (後半)
三 分裂病者と天才)
第三章 ことば・こころ・もの
一 ことばの世界(キリスト教世界)
二 こころの世界(仏教世界)
三 ものの世界(無神論世界):前半
三 ものの世界(無神論世界):後半
第四章 ロゴス・反ロゴス・非ロゴス
一 ロゴス空間:前半
一 ロゴス空間:後半
二 反 ロゴス空間:前半
二 反 ロゴス空間:後半
三 非ロゴス空間:前半
三 非ロゴス空間:後半
第五章 衰弱する言語
一 丸山圭三郎(ソシュールの思想)
二 デカルト批判の批判
三 現代の科学者たち
第六章 さよなら

あとがき
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
■ 『Ωの輝き』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
■ 『異常なる感性』
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参考文献:
『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』         ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』     木村敏;弘文堂
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『言葉と物』            M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社
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