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<<   作成日時 : 2005/10/01 21:45   >>

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「価値なき神」の哲学日記 bQ」について

要するに、善悪基準はダメよ。善悪基準で、ものを見るから、この世のありように合理性を見いだせないんだ。善悪の基準から、快苦プラスマイナスゼロの基準へ !!!
これによって、この世の一切に合理性を見いだせる。


この世の一切は神の創作です(人間の主体性との関係については、のちに述べる)。アウシュビッツも神の創作したドラマだし、世界貿易センタービル爆破も神の創作したドラマです。阪神大震災も神の創作にかかる。ヒットラーは神が創った、テロ犯も神が創った。仏心鬼心あわせ持つ神・・・ある時は慈悲深い仏のように、われわれによいことをしてくれ、またあるときは、鬼の仕打ちをします。それだからこそ、この世は合理的で、もしもそうでなかったら、この世はでたらめ不合理なものになります。われわれ一人ひとりは、みんな厳密な、神の支配にあって、一生を通じて、快苦はプラスマイナスゼロ。みんな公平.もらい(=快)の大きい人ほど苦が大きく、もらい、幸せ薄き人は苦も小さくてみんな公平。

《善悪基準から、 快苦の基準へ》
《善悪の基準から、快苦プラスマイナスゼロの基準へ》

ここに示されている考え方が、いわゆる”価値なき神”の概念の基本的な考え方であり、超越論的に合理的な考え方です。要するに、非合理的合理性、逆説的合理性、数学的にいえば超限帰納的合理性、帰納極限的合理性、射影極限的合理性…といったところの意味合いを含んだ合理性のことを示しています。

 わかりやすく言えば、人間的な超近視眼的な視野ではなく、超人間的な極めて超越的な視野で一切の現象の本質を洞察しなさい…というようなことを言っているのです。このことは、ソシュールの洞察、ゲーデルの定理などを既に知っている私たちには、この洞察がそれらの洞察と深い繋がりがあるのを直感で感じることができます。(尤も、ソシュール、ゲーデルがわかってもわからなくても、ここでは敢えて問いません)

 もちろん、言語の本質、数学の本質、思索の本質といったものがそれぞれ認識の異なる”方面”を代表している”一切カラ離在シタモノ”であることを考察するとき、”価値なき神”の概念とヘラクレイトスの”断片108”との関係を洞察することは非常に興味があることではありますが、この断片108の思索はどちらかというと”有”そのものの本質がどのように人間のロゴスに迫ってくるのかということを問題にした、いわゆる”存在論”そのものの議論であり、今回ここでとりあげる>《善悪基準から、 快苦の基準へ》という概念についての思索は、《有そのものが、”どのようにして”個々の人間に、個別的、特異的、特殊的、かつ、主体的、内面的に迫ってくるのか…》という、どちらかというと”認識論的”な”存在論”とでも表現すべきものかもしれません。

 ところで、認識論、存在論といった”概念”あるいは”ことば”をこのような場面でぽんぽん出現させてしまうと、それだけで興味を半減させてしまうことが当然予想されますので、できるだけ抽象論を避ける意味で、ここでは具体例を考察することによって、《善悪基準から、 快苦の基準へ》という洞察について考察してみようと思います。

 人生には様々な”特異点”がありますが、その多くはどちらかといえば個人的なものが中心です。例えば、自分が癌になるとか、うつ病になるとか、破産するとか、愛する人を失うとか、要するに日常ありふれた個々の不幸というか非日常というか、そのような現象のことを差しています。

 ところが、アウシュビッツ広島・長崎湾岸戦争9.11テロアフガン戦争イラク戦争…といった諸々の諸現象はこれまでの常識的な善悪規準では判断できにくい状況にすでになってしまっていることを私たちにまざまざと突き付けています。

 しかし、このことは、数学で言えばゲーデルの《不完全性定理》あるいは《超ひも理論》などに相当する概念に類比することができますし、物理学でも《量子力学》あるいは《超ひも理論》などに対比させることができます、同様にAIの分野では《自己言及》、《自己矛盾》、《自己呑み込み》…といった一連のパラドクス概念に類比させることができますし、エッシャの絵のような騙し絵のような様相でもあります。

 最も端的な例が、精神分裂病に罹ったその精神の内部状況に喩えることができます。いずれにしても、もろもろの具体的な特異点において、これまでの常識に囚われないで”世界”の構造が認識できるか否か…ということが問われていることを意味しています。しかし、このような認識に到達するにはやはりそれぞれが内面的に飛躍できなければ絶対に洞察できない部分があるのです。因みに、わたし自身、『ヘラクレイトス』というハイデッガーの著作を自分のものにするまで約5年間の歳月と10000回ぐらいの反復した読書が必要でありました。

 若いとき(小学生5年)にパスカルに入門し、中学高校時代を通して、フロイト、フランクル、フロムといった精神分析学を勉強し(独学で)、大学時代から社会人(30才まで)の期間は聖書、キルケゴール、田川建三氏、八木誠一氏、滝沢克巳氏…といった一連のキリスト教関係の読書を展開し、その後最初のうつ病を体験(31才のとき)した後、ニーチェ、フーコー、フッサール、ミンコフスキー、ビンスワンガー、ジョイス、オーウェル、ダンテ、ドストエフスキー、カフカ、あるいは、考古学、文化人類学、民話、神話、童話、ファンタジーといった一連の文学および文学的世界に馴染むことができ、

 さらに、平成元年のころ第二回目のうつ病に罹り、生きるか死ぬかの間をさまよい歩きました。そして、奇蹟的にうつ病から解放されたわたしは、文学の創作活動に目覚めるとともに、人工知能システムの基本設計に係わる”基本設計概念”の創出に没頭するようになりました。現在、わたしが展開しているいくつかの”ブログ”はこのような私の人生の背景から生み出されたものであることは、”価値なき神”の”katinakikami”さんの場合と概ね同じであります。

 尤も、”katinakikami”さんの凄いところはあの西田幾太郎の場合と同じように思想のほとんどを自前で新規に創出した…というそのことでありますが…。で、はなしを戻し、そのような早熟な才能と非常に広範な読書経歴をもった私でさえ、『ヘラクレイトス』を理解するのに、50才から56才までの6年の歳月が必要であった…というこのことなのです。

 つまり、”katinakikami”さんの場合でさえ50才から現在までの20年から30年ぐらいの歳月がそこには刻まれている…というそのことなのです。そして、これが最も重要なことなのですが、私の場合、第1回目のうつ病の後から今日まで、基本的には”アルバイト”ですべて生活を賄ってきたというこのことなのです。ぶっちゃけ、会社生活という社畜的な人生からは解放されてきた”恵み”が与えられたことがひとつあげられます。そのことは、”katinakikami”さんの場合も同様であるはずです。

 あとは、”katinakikami”さんの場合も私の場合も自分の洞察、自分の世界認識を自分で新たに創出してゆく…というそれこそみなさんご存知の”知への愛”というまことの意味での独自の”哲学”を展開してきた…ということなのです。

 ”katinakikami”さんの”哲学”に対して、自分で死ぬほど考え抜くことをしないで、ただ単に、その意味を”教えてくれ!”って叫ぶだけの乞食のような連中には、最初からこのような”深い”レベルの哲学には向いていないということをここではっきり申し上げておくのがよさそうです。

以上、哲学日記 bQの解説でした。

 《断片108: ドレダケ多クノ人タチノ話ヲワタシハ聞イタコトダロウ。シカシソノダレ一人トシテ、知ガアラユルモノノ外ニ全ク別ノモノトシテアルコトヲ認識スルトコロマデ来テイル者ハナイノダ》

■ 参考文献:
 『ヘラクレイトス』 ハイデッガー著
『文化のフェティシズム』 丸山圭三郎著
『イエスという男(第二版)』 田川建三著
『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 
ダグラス・ホフスタッター著
『神曲』 ダンテ、集英社世界文学全集
『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー、岩波文庫
『新共同約聖書』




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