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<<   作成日時 : 2005/10/05 23:45   >>

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「価値なき神」の哲学日記 bP7」について
阪神大震災、火が迫ってきているのを知って死んだ人
at 2004 03/30 11:36 編集
次に何を書こうかと、過去の日記(No:136-63p)を開いているところですが、今から9年前の1995年=平成7年と言えば、阪神大震災が起きた年なんですね。私の哲学では、「この世の一切が神の創作」 になりますから、阪神大震災も神の創作です。しかも、「神は戦場で飛び交う弾、一つ一つの軌道を支配する」ですから、阪神大震災の場合も、一軒一軒の家の倒れ具合、だれの上にどのように倒れていったかを支配し、人間一人ひとりが、どのように苦しんで死んでいったかを、コントロールしたことになります。

※※※コメント:ひとそれぞれのアウシュビッツ※※※

 わたしの母は大正10年の3月生まれで今年で85才になりました。今も母は健在ですが、脳梗塞で倒れてから6年目に突入したところです。

 さて、わたしが19才のとき、わたしは米国のペンシルベニア州の私立のレバノンバーレイ大学(college)に奨学金留学しておりました、ときに、昭和44年4月4日、父は胃がんで亡くなりました。父は昭和43年7月に胃がんの摘出手術を受けましたが、1年と持たないで他界しました。享年49才でした。で、わたしがここで何を言いたいかといえば、胃がんでなくなった父のことではなく、若くして”寡婦”となった母のことなのです。

 そのとき、母は45,6才ぐらいだったとおもいますが、いずれにしても貧しい家庭の大黒柱が倒れ、長男(=私)が外国で生活し、長女が重度の精薄であり、次男が都立工業高等専門学校生(鮫洲にある)、三男が都立忍ヶ丘高校の1年生だったため、母は、結局、掃除婦として爾来30年間、脳梗塞でたおれるまで一生懸命家族のために働いてくれました。

 実は、私にとって母も偉大でありますが、祖母(母方の)が偉大だったのです。というのは、祖母には4人の男の子と母と母の妹の6人の子供がいましたが、長男を13才のとき肋膜炎で失い、次男を2才のとき医者の薬の調合ミスで失い、3男を18才のとき自転車事故(川に転落)で亡くし、4男を15才のとき腹膜炎(盲腸の手遅れ)で亡くしてしまったからです。つまり、私の祖母はある意味での”アウシュビッツ”を体験してしまったのでした。別に誰に文句をいえるようなそのようなパターンではありませんが、ぶっちゃけ、オウム事件の被害者より、関西大震災の被害者より、その悲しみはずうっと深いものをもっていたに違いないのです…

 私はそのような母と祖母に育てられてきました。祖母がなくなったのは昭和35年2月でしたから私が小学校5年生のときでした。つまり、私はオギャーと生まれたときから、13才ぐらいまでは偉大な祖母の影響を無意識のレベルで受けて育ったのです。つまり、凄まじいレベルの生命力を実践してきた祖母の遺伝子そのものを受け継いでいるのです。

もちろん、隔世遺伝ですが、私にとって祖母の存在は単なるおばあちゃんではなく、”偉大なグル”的な存在なのです。もちろん、こどもの私にとってそんなこと分かる筈ありませんけれども。

 で、ここで何が言いたいかと言えば、あのような不幸な人生を背負ってきながらも、祖母は人生そのものを諦めないで犯罪にも走らず、自殺にも誘われず、わけの分からない宗教にも一切拘らず(実際、いろいろな宗教がやってきたそうですが、すべて拒絶したそうです)、悪に負けず、ただ只管わたしたちを育てるため母および私たち孫たちをずうっと面倒みてくれた…ということなのです。

 さて、そのような”アウシュビッツ”を体験してきた”祖母”、およびその体験をまざまざ本人(祖母)から何度も何度も直接伝承された母、この二人が存在したからこそ、今のこの私が存在しているのですが、私の祖母は自分の一代記を残せないで亡くなりました。というのもことばは喋れましたが貧乏で文字を習うことができなかったためです。逆にそれだからこそ、一生ボケることなく、鋭い記憶をもって、自分が体験してきたすべてのことを”母”に口で伝承してきたのです。そして、その母が今85才で、祖母からの伝承を受け継いで、いよいよこの私に”祖母”の一代記を完成させるべく、寿命をさずけられているのです。

 そのような”祖母”そして”母”がいたからこそ、私は2度に亙る非常に重い”うつ病”にも奇蹟的に助かることができたのだ…と思っているのです。祖母および母が私たちに残してくれた莫大な精神的財産、それは”どんなことがあっても決して悪いことをしてはいけない…”という極めてシンプルな教えです。

 けれど、これノーベル平和賞とかノーベル文学賞(=例えば大江健三郎など)で味付けられた偽善者の教えの1兆倍あるいはそれ以上の価値があると思うのですが…。まあ、それはそれとして、わたしは人間としての本質、人間にとって本質的に重要なことが何であるか…。ぶっちゃけ、”イエス”あるいは”釈尊”とほぼ同列に近い”祖母”および”母”に直接教えを受けて育ててもらったのです。

 わたしは自慢話をしているのではありません。あなたにはあなたの”アウシュビッツ”があり、わたしにはわたしの”アウシュビッツ”がある、そしてひとそれぞれはそれぞれのアウシュビッツを必ず内在させている…というまさにそのことです。だからこそ、あなたも、わたしも、”xxxの哲学日記”と題してブログを展開しているのではありませんか。そうでなければ、”哲学日記”などと誰も呼んでくれる筈ありません。

親の、子に対する愛情というものは、もの凄いものなんですね。ごく平凡な、普通の親父もバカにならないな。私は子供を生み育てた経験がないものだから・・・

 そのように親が子を失うこと、しかも、6人のうち4人までも失ってしまうとは…どんなに深い悲しみかわかるひとにしかわかりませんよね。ですから、あの”福知山線”の事故の場合のようにいつまでもうじうじしてなんかいられない…というそういう切迫した人生、そういう厳しい人生を歩んできたのです。ちょうど、あの、南アフリカのアパルトヘイトの恐怖政治の環境の中を生きているひとびとのように。ハリケーン・カトリーナの被災者の悲惨さをテレビではそれなりに報道していますが、真実のアフリカの実態がもし明らかにされたならば、カトリーナの悲惨は”幼稚園のピクニック”か”天国”のレベルにしか過ぎません。もし、皆さんがアフリカの諸々の奥地でどのような凄まじいことが展開されているか知ったならばですが…。それこそ、アウシュビッツ、広島・長崎とまったく同列ですよ、広島・長崎以上といわないまでも。

 戦後60年、マスタベーションしかしてこなかった日本人全部、これからはそのようなオナニー空間では生存できませんから、覚悟しておく必要があります。いずれにしても、このテーマでのコメントは一応このぐらいにしておきましょう、また、機会がありましたら必要に応じて加筆するつもりです。以上、ひとそれぞれの”アウシュビッツ”に因んでのコメントでした。


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