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<<   作成日時 : 2005/09/29 10:41   >>

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「価値なき神」の哲学日記 bP」について
 01・17 記
 価値なき神さま
katinakikamiというのは、of course means 価値なき神さまのことね。この革命的世界観は、50年後ぐらいに完成する予定。

私は今68歳+50年=118歳。皆さんも長生きして、ボクの晴れ姿を見てね。
-------(以上引用)-------


いよいよ、この哲学に関して順序を追って解説&批判させていただきます。

”価値なき神”:伝統的な宗教の神ではなく、また、ニーチェ等を代表する神の存在そのものを否定する立場の人々が懐いているような神でもなく、そのいずれの立場でもない独自の”神”、それをここでは”価値なき神”という呼び名で表現しているのです。

現代人は陳腐化して偽善的な価値しかないキリスト教的な”神”を担ぎだすか、マルクス、その他多くの唯物論的思想をその基盤にした、そのような”現代思想”そのものを”神”の代用品として担ぎ出すか、大きくわけてそのいずれかの選択を余儀なくされているのではないでしょうか。

ここに導入された”価値なき神”という概念は上記のいずれにも属さない、そのような”神”の概念を提唱しているところからその哲学がはじまっています。

問題はこの新しい哲学、新しい思想…といったものがどのような方向へ、どのような洞察と展望をもって来るべきあたらしい時代への懸け橋となるか…、そういったことがらが問われることになるのです。実際、なぜこのような”哲学”が生まれたか…というと、アウシュビッツ、広島・長崎、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、9.11テロ、そして対アフガニスタン、対イラクとの戦争、その他もろもろの超越的諸現象の合理的な解釈が、どのような思想的射程で包括的に整合性を保つことができるか、そのような必要性に迫られて、ある意味で必然的にこのような”哲学”に結びついたのではないでしょうか。

逆にいえば、従来の伝統的なユダヤ・キリスト教的な発想、あるいはイスラム教的な発想、そして、いわゆる神そのものの存在を認めない”唯物論的”な発想、それらすべてを超越したところの、”神”という概念、そのようなまったく新しい精神的基盤、すなわち、哲学、宗教、倫理、芸術、技術、生活、教養、娯楽、文明、文化…といったものを構築するために生まれた哲学、それが”価値なき神”の哲学という形態で展開されているのです。

ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ、数学から超数学へ、生物学から分子生物学へ、論理的思考から超論理的思考(?)へ、こういった背景の一貫のひとつとして”価値なき神”の思想がひとりの人間によって自然発生的に、かつ、ある意味で必然的に、すなわち、”偶然的即必然的”に誕生したのではないでしょうか?

いずれにしても、このような思想を生み出せる環境というのは日本という特異な文化的風土でなければ不可能であったような気がすることは否定できません。なぜなら、キリスト教からの無意味な偏向、イスラム教からの強制的な影響、無神論・唯物論からの強制的な圧力…というものからある程度自由な文化圏でのみこのような”思想”は生み出されるからです。

仏教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教といった諸宗教が主導してきた文明、それがこの過去二千年間の歴史でありました。とくに、ユダヤ・キリスト教的な文化圏から広がって諸文化圏へと伝播したもろもろの科学技術主導の文明、およびそれに随伴して開花してきた資本主義、覇権主義、帝國主義、共産主義、社会主義といった一連の唯物基調の思想とが、伝統的諸宗教的基盤と絶妙に偽善的に混合された形態で歴史として展開されてきたのがこれまで二千年の歴史であるとするならば、これからの人類の歴史はこの物質偏重の桎梏から果たしてほんとうに開放されるのか否か、新しい人類の展望がほんとうに開けてくるのか…ということを問う文明になりましょう。

そのようなことを考察するに、この”価値なき神”の哲学によって基本的なことがらを学習することは十分意義があることではないでしょうか。







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コメント(2件)

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ヒットラーも神の子、世界貿易センタービル爆破のテロ犯も神の子です。みんな一生を通じて、快と苦は等量、みんな公平です。
-------------(以上引用)------------
この文章に”価値なき神”の概念のエッセンスが刻まれているのを感じます。要するに、”神”はひとりひとりに”等量”の”苦しみ”と等量の”喜び”を公平に分配している…というこのことです。
モツニ哲学者
2005/09/29 23:41
”価値なき神”の意味合い:

■ プラス(天国的体験)の合計とマイナス(地獄的体験)の合計を常に平衡状態に”厳密”に按排する”神”という意味。

■ この場合の平衡状態とは”価値なき神”とそれぞれの個別のひとりひとりの人間との関係において実現される、極めて主観的、内面的、精神的、宗教的、個別的、特異的、特殊的、例外的、個人的な”汝と我との関係”を意味しています。そして、もし、死後の意識が永遠なものであるとすると、上記に示された内面的平衡状態を保ったまま永遠の《裁き/恵み》というものを背負うことになるわけです。
モツニ哲学者
2005/09/30 06:03

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